荒々しい夜の後に

ざっとめくってみた本の先にあるものはあとがきであり解説であり。脱力さえ感じるこの本にあとがきはその上塗りでしかない。
体験であることを指摘したあとがき。読書の体験?読書が体験以外の何もの?
あとがきが悪いんじゃない!この不満はやはり本文にあることは確か。いくつかの話をつなげていく、という作業を読者に投げてしまう、ともとれるかたち。どう考えるかで大きく変わる。
何度も読んでみるということなのか。登場人物の登場の仕方で、その人への気持ちが変わるということなのか。しかし、よく考えると違った方法でそれを明らかにしている小説は多く、特に目新しいものではない。目新しさといえば、この本の装丁、であろうか。これは読む人に苦労させる。この苦労はマイナスかプラスか。
この試みは紙の本の良さを伝えたいのかもしれない。
と、考えてみると、どこから読み始めるか、というのは紙の本では結構大事なことで、電子書籍なら、気にすることなく途中から読んでしまうことなど何度もあり、その上、読み飛ばしたところも、わからなくなったりする。まあ、Kindleにしても教えてくれはするが。
この本の残念なところは謎解きが全体なんですよーという感じで、謎さえ、明確になってないんじゃないかというところ。一番最初にある短編の、題名の中の単語は一体なにを指すのかが、いまいちわかりにくい。登場人物に語らせるのがわかりやすい。と思ったが、東野圭吾さんの、どちらかが彼女を殺したなんかは加害者がわからなくなっているが。それとは違う。そう、状況が曖昧で、まるで夢のようですね、って感じかな。自分で考えろってことなの??
その小説のタイトルは「N」

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