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中国の「神話」

中国にはもともと「神話」というジャンルはありませんでした。

そもそも古漢語に「神話」という言葉はありません。
「神話」は、明治時代、英語の myth を翻訳した和製漢語で、のちに中国に逆輸入されたものです。

中国には、「ギリシャ神話」のように一貫性を以て語られ、系統的に神話を専門に集めた文献もありません。

山海経せんがいきょう』『淮南子えなんじ』『列子れっし』『楚辞そじ』など幾つかの古典籍の中に、今日の目から神話と見なすことのできる故事が散見しています。

その中でよく知られているものに、「盤古開天ばんこかいてん」「女媧補天じょかほてん」「后羿こうげい射日しゃじつ」「鯀禹治水こんうちすい」の話があります。

盤古開天

天地がまだ形を成さない大昔、天と地は1つの混沌とした大きな卵のような状態でした。

その中で、巨人盤古ばんこが生まれました。


盤古はどんどんと背丈を伸ばしてゆきます。盤古の成長にしたがって、天は上に押し上げられて、1日に1丈高くなりました。

こうして、1万8千年の時を経て、盤古の背丈はついに9万里に達し、天と地もまた9万里を隔てるようになりました。

盤古が死ぬと、その左目は太陽に、右目は月に、頭は五岳に、血は河川に、息は風に、声は雷になりました。


女媧補天

大昔のある時、天地が崩壊してしまいました。

大洪水が押し寄せ、烈火が辺り一面に広がり、猛獣が山林から飛び出して人々を襲い、世の中は恐怖と混乱に包まれました。

その時、天地を見守る神女媧じょかが現れました。

女媧は、まず五色の石を集めて練り合わせ、崩れ落ちて開いた大穴を塞いで天を修繕しました。

次に、巨大な亀を呼び寄せ、4本の足を断ち切って、天を支える東西南北の柱として立てました。これで天が再び崩れることはなくなりました。

そして、女媧はあしを焼き、その灰を積み上げて洪水を堰き止め、大地を乾かしました。

こうして大きな災害は収まり、人々は平和を取り戻すことができました。


后羿射日

ぎょうの治世、ある時、天に10個の太陽が一度に昇りました。

太陽は命の源。地上に明るさと温かさをもたらす存在です。

しかし、10個も同時に昇ってしまうと、河川は干上がり、大地は割れ裂け、田畑は焼け焦げてしまいます。

草木も穀物も枯れ果て、すべての生き物が激しい陽光に晒され、絶滅の危機に瀕していました。

そこで、天帝は羿げいに命じて、余分な太陽を始末させることにしました。


羿は弓の名手です。弓をグイッと引き絞り、息を凝らして狙いを定め、次々に9個の太陽を射落としました。

9個の太陽が消えて、残った1つの太陽が穏やかな光を注ぐようになると、気候は正常に戻り、川は流れ、地は潤い、作物は再び育ち始めました。

羿は太陽だけでなく、人々を脅かしていた獰猛な生き物たちにも矢を向け、次々と射殺しました。

こうして、人々は安心して平和な生活を送れるようになりました。


鯀禹治水

堯の治世、地上に大洪水が起きました。

こんが洪水を塞ぐために、天から「息壌そくじょう」という土を盗み出しました。

息壌は、無限にモリモリと生長を続ける不思議な力を持った土です。
鯀は、これを使って洪水を堰き止めようとしたのです。

ところが、天帝は鯀が息壌を無断で持ち出したことに怒り、鯀を処刑してしまいます。

鯀が処刑された時、鯀のお腹からが産まれ、父の志を受け継ぎました。

禹は龍門山を切り崩し、9本の河川を開通させ、水が東の海へ流れ込むようにしました。

禹は涂山氏とざんしの娘を娶りましたが、新婚早々に家を離れ、治水一筋に全身全霊を献げました。

治水に尽力すること10年。その間、三度家の前を通りましたが、一度も家の中に入ることはありませんでした。

禹は、熊に姿を変えて山々を切り開き、龍を使って水を流す手助けをさせたとも伝えられています。


「中国神話」(中国語、中文字幕)


*ヘッダー画像: 「盤古」


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