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F 先生を偲ぶ

「〇〇君、明日は新しいの穿いていきますからね」

「はあ?」

「君のデビューですからね、新しいパンツ買ってあるんですよ」


40年前の晩秋、京都の夜。

同行の教授や院生仲間が愉快に飲み食いする中、初めての全国大会を翌日に控えていたわたしは、それどころではなかった。

酔漢たちの放談に相槌を打ちながら、心ここに在らず、頭の中では、しきりに研究発表のシミュレーションをしていた。

居酒屋を出て宿へ帰る道すがら、F 先生がそっと新しいパンツの話を打ち明けてくださった。

思いも寄らぬことで、わたしは何と返答してよいかわからなかった。
こんな畏れ多いお心遣いをいただいてしまってはバチが当たると思った。

翌日の学会デビューは惨憺たるものだった。想定外の質疑に、不覚にも、

「はあ?」

とまた感嘆詞を吐いてしまった。

数秒間沈黙した後、

「今後の課題とさせていただきます」

と、紋切り型の逃げ口上でごまかすのがやっとの始末。
どうやら、さっそくバチが当たったらしい。


F 先生は「情」の人であった。

温和で優しい先生方ばかりの専攻の中でも F 先生はまた格別に優しかった。

学生の面倒見の良さは誰もが認めるところだった。

実を言えば、当時、専攻の教員は浮き世離れした仙人のような方ばかりで、みな事務にはとんと疎い。カリキュラムのことをちゃんとわかっていたのは F 先生だけであったから、必然的に何かと F 先生が学生の世話をすることになった。


F 先生は博覧強記の人であった。

書物の字句ばかりでなく、日常の出来事も事細かによく覚えていらした。

「〇〇君、君はいついつ、こんなこと言ってましたね」

といった調子で、本人がとうに忘れていることまで覚えていらっしゃった。


F 先生はお寺のご住職でもあった。

先生のお寺でお彼岸の手伝いをさせていただいたことがある。

「おや、〇〇さん、お元気ですか。足の具合はいかが?」
「やあ、〇〇さん、お久しぶり。お嬢ちゃん、今年小学校でしたよね」

次から次へと訪れる檀家一人一人に向かって必ず先生の方から先に声を掛けていた。それは、ほとんど神わざ(いや、仏わざ?)に思えた。

なんと記憶力のいい方だと感心したものだが、思えば、それは記憶力云々の問題ではなく、周囲の人みなに温かい心配りをされる先生のお人柄そのものだった。

うぬぼれを承知で敢えて言えば、わたしは先生と同じ分野の研究に携わったご縁で、先生の恩情を他の人より少しばかり多めにいただいてきたかもしれない。

40年前、師が真新しい下着で弟子の初舞台に臨んでくださった。

世間知らずの若輩者には、それがどれほど有り難いことか十分に理解できていなかった。

近頃は昔のことを追憶する時間が増えた。

先生のご存命中に十分な恩返しが出来なかったのが心残りだ。

余談だが、先輩から聞いた話では、F 先生は酔うとタタミを泳ぐらしい。
部屋の端まで泳ぐとターンまでするのだそうだ。

残念ながら、わたしは目撃したことがない。
これも心残りの一つだ。


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