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真面目なあなたへ。敬語=礼儀正しい=正義=それは本当に正義か?

人はなぜ敬語などの礼儀正しさを求めるのか?
を突き詰めると結局、氣分を害したくないからだ。

でも、この敬語は海外にはあまりないらしく、
海外の人は基本、タメ語らしい。


ちなみに敬語をなぜ使うのか?
敬語=礼儀正しい=常識=正解=正義という価値観はどこで生まれるのか?
を考えると厳しい親の影響、学生の頃の部活動などの縦社会の組織で
生きてきた人は、この価値観が強い傾向にあるような気がする。


でも、
礼儀正しい=相手の気分を害さない =正義 
礼儀正しくない=相手の気分を害す= 悪


という価値観が育つの良いが、
この価値観が強く育ち過ぎてしまった場合、礼儀を知らない相手がいたら、
過剰にイラっとしたり排他的で攻撃的になりやすくなり、
人間関係で問題が起きる原因となる。


だがもう少し突き詰めると礼儀正しくない=悪というのは、
本当は礼儀正しくない無礼な相手に言い返す=争いにな可能性がある=  争いになったら嫌な思いしたり、第三者に迷惑をかけて怒られたりる=
それが恐い=嫌=不快な事は我慢=苦しい

というパターンとかもあると思う。

ようは結局、恐れや苦しみといった感情に強く縛られているのだ。
だから、現実でその恐怖を刺激するような事が起きた時に過剰に反応して
イラついたりするのだと思う。


結局は自分の事しか考えていないエゴの感情だ。
大体、人間関係で争いが起きる人は心の奥が恐れ、怒り、
苦しみなど自分の事しか考えていないエゴの感情に強く
縛られている人ばかりだ。


でも、感情は目には見えないけれども感じて切って、
消化していく事は出来る。

なので極論、自分自身の感情を消化しきるか、
しないかの問題だから人間関係=自分自身という事になる。

でも、感情を消化しきる術を知らない人にとったら、
人間関係=自分自身と言われてもストレスしかないだろうなあ。


という事で纏まりないけど今日はこの辺で。

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