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「大人で子ども」 来るべきデザイナー感想2

第一章 平野正子

印象に残ったのは、「流行っていることでも面白そうならやってみる、自分を通してやってみたらどうなるかということに興味がある」という趣旨の言葉。

その客観的スタンスに驚いた。プロジェクトや作品を客観視しているのではなく、自分という器自体を客観視し、一種の装置のように見ている。肉体と魂が分離して
個々に独立して動いているようにも感じる。

デザインやものづくりなど、何かを作る仕事はどうしても熱中してしまい、その制作過程においてはしばしば客観性を失うもの。客観視に長けている者でも、自分自身を装置としてみる姿勢というよりは、冷静にプロセスを踏んでいく姿勢の方が近い。

頭と手ではなく、肉体と魂の分離することの面白さは情報のインプットのされ方にある。通常、人が何かを見聞きした時、その人なりのフィルターがどうしてもかかってしまう。取捨選択や、変換が行われ、情報の純度が下がる。
一方、平野さんの姿勢には、その情報の純度を限りなく高いまま自分の中にインプットする可能性を感じる。

不要なフィルタリングはせずに、まずは情報を純粋に受け入れる。その上で、肉体がその情報をどう感じて、どう変換して、どうアウトプットするのかを観察する。常に自己発見・成長が生まれるような、子どものような姿勢。

また、今の時代は多様性がキーワードになり、これまでの二元論的な考え方ではなくフラットな考え方が主流になっている。様々なものがフラット化していく中で、デザイナー自身の作家性をどう扱うのかは難しいテーマだと考えていたが、平野さんのスタンスには、そのフラットな価値観と作家性を両立する可能性をみた。

フラットであることと独創的であることに境目がなく、一つの作家性として形をなしているような。大人のまま子どもでもあるような。




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