じいじからの放送大学便り②いい国作ろう鎌倉時代
【古代中世の日本より】
私の学んでいる古代中世の日本史ですが、名前に反して実は激動の時代な平安時代を過ぎ、鎌倉時代に突入しました。
日本史においては様々な時代区分がありますが年号込みでと言う事では鎌倉時代が一番有名な時代ではないでしょうか。あの「いい国(1192)作ろう鎌倉幕府」は年号語呂合わせ界における不滅の金字塔ですよね。新しく武士政権を確立したということで人気もありますし。
とは言え、その鎌倉幕府の成立年度ですが、昨今では「諸説あり」の状況のようで、直近は源頼朝が征夷大将軍になった、いい国作ろう1192年よりも頼朝が諸国に地頭を置いた1185年を成立の年とする方が有力なようです。
ところで、この「諸国に地頭を置いた」ってどういう事でしょうか?
地頭と言うのは、農民から徴税を行う役人です。
しかし当時の農民は平安時代から続いた国府、ないしは有力貴族が保有する荘園に属しており、そこからの徴税業務は郷司、下司とか言われた現地役人が行っていました。
そんな状況で、いくら源頼朝が「置いた」って言っても簡単に徴税が出来るものなのかと思う訳です。
「新しく地頭に任命された◯◯衛門ですぅ。今後の年貢、私が徴収いたしますが担当者どちらですか〜」などと言ったところでスムーズに事が運ぶものか、体制を変えることは特に現場でこそ大変で摩擦の多いことなのだと言うのを嫌と言うほど体験した私などはサラッと「置いた」って言われても不思議に思うわけです。
そこで今回学んだ講義から学んだことですが、頼朝は国府や荘園の郷司や下司などの首を地頭にすげ替えたのではなく、あくまで既存の組織はそのままにして、そういう郷司や下司などの任命権を獲得したということです。
頼朝以前にも武士の階級で朝廷の権威を脅かそうとした者たちはいました。平将門や平清盛たちです。
しかし彼らは基本的には上を目指そうとして平清盛のように貴族としての官位を得ようとしたり、平将門のように天皇に代わり新皇を名乗ったりしました。自分が天皇や貴族になろうとしたわけです。
しかし頼朝はそのようなものより、税の徴税者の任命権を求めたわけです。
朝廷は驚いたと思います。税を盗ってしまうと言うなら大変ですが既存の徴税者の任命権をくれ。それで充分だと言ったわけですから。
しかし頼朝はこの要求には大変な価値があり、新しい武士の世を作るためのメルクマールだとわかっていたのです。
この要求から得られるご利益は二つです。
まず第一として徴税者任命の権利を得たとは土地を得たのと同意語であること。つまり徴税担当者の人事権を得るというのは徴税者を配下に出来、結果徴税を管理出来る事になります。土地からの利益を管理できれば土地を支配したのと同じと考えたわけです。
もう一つは全国の武士(軍事力)を掌握出来る事。当時の徴税担当者は基本的には地元の武士でした。なぜならば徴税の揉め事、隣地との小競り合いなど解決するには全てに武力が必要だからです。武士が徴税担当者になったと言うより徴税担当者は武士になる必要があったと言えるでしょう。
しかし彼らは官位もなく正式な役人というわけでもなく、ポジションが不安定でした。現在なら臨時雇いの嘱託公務員とでも言ったところでしょうか。彼らは現場の最前線で働きながら正当な処遇をされないことに不満を抱いていたと思います。
しかし頼朝は「武家の棟梁」として彼らの役割を明確化した上で職位として任命してくれたわけですから。
任命してもらう立場としては嬉しいと思いますよ。現場で働くものとして一番嬉しいのは評価されることと処遇の保証ではないでしょうか。良く歴史で「本領安堵」とか「ご恩」とか言いますがこれが地頭達には実感としてあったのだと思います。
しかしこういう事はとても都で権力争いをする人には思いつけないことだと思います。源頼朝のように貴種でありながら底辺から成り上がり、刀を一振りする事に「なんか頂戴、なんか頂戴」と言ってくる御家人たちと毎日付き合ってきたからこそ出てくる戦略なのだと思います。
今回の地頭の設置で一気に王朝の土地が武家の土地になったわけではありません。しかし次の室町時代になってほぼ全ての土地は地頭が置かれるようになり戦国大名が台頭する頃には税収も武家に入るようになりました。
頼朝は施策成功の原則は①施策が的を得て持続可能であること(コストがかからない)、②現場にご利益がある。であることを知っていたのでしょう。
まず①任命権を行使することは少々手間がかかりますが別にコストのいる話ではありません。結果、手にする権限は絶大でパフォーマンスが素晴らしく良いです。②この施策を地頭が支持したのは言うまでもありません。
以上より源頼朝は日本を革新する施策を立案し成功させた類まれな改革者と言えるでしょう。
ひるがえって現在はどうでしょう。
私等も永らく計画立案のポジションにおり中期計画を立案したり他社の経営理念などを拝見したりしてきましたが、恥ずかしながらあまり的を得た問題把握に基づいた理念や計画などなかなか作れたこともお目にかかったこともありません。
ぶっちゃけて言うと経営上の問題として一番に挙げられるべきなのは本来は経営者の資質なのですが、それは基本ふれる事は少ないわけです。
世の中の流れの本質を把握していない。覚悟を持って会社方針を決められない。強力に施策を推進できない。
これらは基本経営者の問題です。
しかし経営者は自分の問題や仕事とは思っておらず部下に任せてしまったりするわけです。
部下にしても「当社の一番の課題は経営者の資質です」とは言えませんよね。そんな連中からは持続可能ところか有効な施策は出て来ません。
現場にご利益という面でも実際は元馬に負担がかかりがちです。
誰だって面と向かった相手に大変な仕事を押し付けるより遠く離れた現場にいろいろ理屈を付けて押し付けるほうが簡単ですよね。
頼朝の時代でしたら話は簡単で、こんな上司の下にはいられないということで上司の首を切ってしまってそれを手土産にしてイケてる親分のもとに馳せ参ずるわけです。
今はそんな事はありません。
平和な時代ですから。
良かったですかね?