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ジジイが放送大学で学ぶ理由

サラリーマンの仕事が一区切りついた機会に今年の4月から放送大学に入学しもう2ヶ月になりました。

放送大学と言うとTVやラジオの放送だけの授業で実態が無いようなイメージがあるのですが、実際は幕張に大きな本部があって一部の授業を教室でやったり、図書館やサロン等の施設を利用出来たりします。

本部の図書館
クラブ活動もある


そしてここには大学院もあって博士号も取れるし、ここで取った単位で教員免許等も取得することが出来ます。私の場合はまずはお試しの感じで1年間有効で二学期間授業を受けられる選科生を選び申し込みました。

申込みはオンラインで出来て3月中には入学許可証がもらえます、そこで本部に学生証を取りに行きました。ちなみに本部は私の家から自転車で10分ほどです。
桜の咲いている校門をくぐり学生証をもらうと何かしらちょっぴり若返ったような気分です。
\(^o^)/

この年で大学に行くと言うと、今更勉強する意味があるのかと聞かれるのですが、実は大アリです。
これは自分の為なんです。
私も永らくこの世で生きて来て様々な出来事に接しましたし、知識、経験も積んできたつもりです。しかしそうした記憶は時を重ねると色褪せ、不確かになり、特に一番まずいのは時折自分の人生など何か意味があったのかなと言うような気になったりします。
これが世間の主役クラスの人であれば自分では覚えて無くても他の人が覚えてくれたり、本とかが出版されたりしてその人が生きた意味を考えてくれるのですが、自分のような通行人Bクラスの人間だとそうも行きません。毎日、面白可笑しく過して行けば良いやと思ってはいるのですが人生の終わりが近づくにつれ何かモヤモヤしてきます。
しかし、そんな気持ちがここ最近、一部のみなさんもご存知のコロナ中にやっていたオンラインミーティングなどを機会に再び歴史を勉強するようになってから、少しスッキリするようになってきました。

と言うのは歴史を学び、歴史と言うレンズを通して自分が知っている事実や経験などを眺め直すと断片的な経験や出来事が何かしら大きな意味のあるストーリーの中のシーンのように思えてきたのです。
例えて言うなれば様々なシーンを意味が分からないまま演じた俳優が完成した映画を見て初めて自分が出演したシーンの意味が分かり映画のストーリーが理解出来たような気持ちでしょうか。特に私のような通行人Bにはすごくありがたいわけです。

そしてこれは歴史だけの事ではない。例えば会社法を学ぶ事で現在社会の中での会社の本質が理解出来るし物理学や経済学を学ぶことで様々なレンズで物を見ることが出来ると思っています。
つまり学ぶと言うのはむしろ様々な経験をした後でこそ楽しいと言うのに気付いたのです。

もう一つ大事なことを忘れていました。学生証を持っていると学割が効くそうです。高齢者割引と合わせればこれは最強と言えるでしょう。

今回はまだ選科生と言うお試しの身分です。古代中世の日本人、社会学概論、ビートルズで学ぶ英文法を受講します。
まずは一学期やってみたいと思います。
また進捗をご報告したいと思います。

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