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バイト先にいたあの人、元気かな

こんばんは。みなさんお疲れ様です。

今日は時々思い出す、バイト先のおばさまのお話です。

その人は私が東京に来て始めたバイトで私の教育担当をしてくれた人でした。

見た目はかなりふくよかで日焼けした柴田理恵さんをイメージして頂ければ寸分の狂いもないと思います。
だから以下からは柴田さんと表記させていただきます。

私の東京最初のバイト先は飲食店でした。
学生時代にも経験したことがある大手チェーンの最寄り支店。
故にマニュアルはほぼ覚えている状態でのスタート。

柴田さんが教えてくれるのは店舗独自のルールと常連さんの特徴などなど。

柴田さんはとにかく笑顔で、バイト先の人々が言う冗談に誰よりも笑う。そんな人でした。

初出勤が終わり休憩室でシフトを確認していると

「聞いたよ?お笑いやってるんでしょ?」
柴田さんが話しかけてきた。

一応店長にはお笑い活動をしていることを伝えていた。
気はすすまなかったけど、店長には伝えておいた方がなにかとシフトの融通を利かせてくれると踏んだから。

しかし初出勤の時点で柴田さんに伝わってしまっていることには少し驚きました。

「本当に応援してるね?私、芸能活動してる人、大好きなの!」
柴田さんは笑顔でこんな言葉をかけてくれました。

当時私は養成所に通っている段階。芸能活動をしているという認識を持たれることに莫大な違和感を感じながらも「ありがとうございます」という
ほぼ無視に近い返事をしました。

「実はね・・・」
柴田さんは続けます。

「私も昔、芸能界で活動してたの・・・」

え?!??!



柴田理恵さん?!??!

セミリタイアしてファミレスでバイトしてるんですか?!

思わずこんな疑問をぶつけそうになるところ、自分の喉に急ブレーキをかけて
「そうなんですか?」とまたまた無視と遜色ない返事をしてしまいました。

冷静に考えれば柴田理恵さんこんなに銀歯ないし、今もゴリゴリに芸能活動してるし・・・


まあそんな感じで初日は私にしては及第点くらいの盛り上がり度でした。


東京での一人暮らしは本当にお金がかかります。だから想像していたよりも連日シフトに入らなければいけません。
学生時代は本当に気楽だったなと痛感しながら連日柴田さんと働いていました。

そうなんです。
柴田さんもめちゃくちゃシフト入ってるんです。

雨の日も風の日も、忙しい日もそうでない日も柴田さんはお店にいます。

本来のシフトよりもかなり超過して働いていました。

なんならシフトが休みの日も店舗に様子を見に来てくれたりしてました。


柴田さんは少し目を見開いてしまうくらいにふくよかでした。

連日働く中で、かなりしんどそうに腰を抑えている時もありました。

でも柴田さんはとにかく働くんです。
お客さんがあまり来なくてみんなが小休止モードに入っても
柴田さんはその気の緩みを許しません。

折り込みチラシの作成、テイクアウトに入れる用のカトラリーセットなどなど
まあやらなくてもいいけどやってもいいよくらいの業務なんていくらでもあります。
そんな作業を夢中でやりますし、私たちもやることになります。

柴田さんは時々めちゃくちゃしんどそうな顔をしてカトラリーセットを作ってました。

忙しいときは本当に忙しい店舗でした。
売り上げも周辺地域の中で上位でした。
柴田さんは基本的に残業してました。

だんだん柴田さんが身体の不調を訴えるようになりました。

腕が上がらなくなったみたいです。

私は何度も「休んでください」と懇願しました。

しかし少し目を離すと柴田さんは職場に出て働いていました。「私が抜けたら回らなくなるもん」と言いながら。

店長も全ての事情を知ったうえで柴田さんを野放しにしていました。

なにがこの人をここまで労働させているのだろうと

真剣に考えるようになりました。


だんだん柴田さんは退勤後も休憩室に留まるようになりました。

他のバイトと愚痴を言い合ったりしてるようでした。

次の日も朝早くから出勤なのに、

深夜1時2時まで愚痴を言い合ってる日もあったみたいです。

「昨日、2時まで帰れなかったんだよ?!」
と僕に愚痴ってくる時もありました。

なにがあったのか聞いていると
同じくバイトをしている田中さんと店に対する愚痴を言い合ってたと言ってました。

ついに柴田さんは愚痴を言い合ってた時間に対して愚痴を言い出したのです。

愚痴のマトリョーシカです。

私がこのバイトを当初は笑顔はじける元気な柴田さんが
だんだん「来る」出演時の柴田さんになってきました

「来る」の柴田さん


だんだん柴田さんは早退することが多くなってきました。

発熱や身体の痛みが理由でした。

早退と言っても退勤予定の10分前にあがる程度です。
しかし柴田さんは常に小1時間ほど残業をしていたので、この10分前にあがることは非常事態でした。

徐々にバイトの同僚も柴田さんの様子を気にするようになりました。

柴田さんは段々とあるセリフを繰り返すようになりました。
「私、もう我慢の限界だよ?」

きっと「店」に対して向けられた言葉だと思いました。

こんなストレスがたまる前になんとか休んで頂きたかった・・・
そのためにみんなで「少し休んで」と声をかけたのに・・・
休日にも顔を出して働いて・・・

周りも自分もやめた方がいいと分かってるのになぜか暴力的な男と付き合ってしまう女の子を見ている気分でした。



そんな日々が続いたある日、柴田さんが話しかけてきました。
「佐野君、健康診断、日程決めて自分で予約とってね」

さすがは大手。こんな末端フリーターにも健康診断をさせてくれるのか。

「ちなみにおすすめはね・・・・○○病院!あそこは健康診断が終わると缶ジュースがもらえるのよ!」

柴田さんは満開の笑顔で教えてくれました。

でもその病院はもう本当に山奥に存在し、どの交通手段を使っても1時間はかかるのです。

柴田さんは休みを取ってジュースがもらえる病院に健康診断をしに行ってました。


結果はあまりよろしいものではなかったようでした。

連日、店の商品をテイクアウトして食べていることが原因だと周りは言っていました。

確かにあんな毎日ポテトフライとハンバーグを食べて大丈夫なのかなと不安視はしてました。

柴田さんは「佐野君!健康診断もう予約した?私が行ったところ、やっぱジュースもらえたよ!」と報告してくれた。
真剣にどうやって「いや家の近くのところ行きます」と伝えようか悩みました。

大バッシング覚悟で最寄りの病院を予約しました。


それから世界はコロナ禍へ。


学生や実家暮らしの人々はあまりシフトに入らなくなりました。

働き手を失った代償は全て柴田さんと私に降りかかりました。

柴田さんは毎日のように店の揚げ物と

時々、一番太るパンを食べていました。

一番太るパン



そんな柴田さんはお局パートさんに怒られて突然辞めてしまいました。

今でも、特に理由は分からないんですけど
柴田さんのことを思い出してしまいます。

強く思い出すのは
「ジュースがもらえるから山奥まで健康診断をしに行く」と息巻いていた姿と
休憩室で太るパンを頬張る姿です。


柴田さんは本当に良い人です。
お店への貢献度も計り知れないと僕も思ってました。

でも。

柴田さんが辞めた次の日も。その次の日も。次の月もその次の月も。

店の状況は全く変わりませんでした。


あんなに毎日のようにシフトに長時間入り

休日も手伝いに来てくれてた柴田さんが抜けたのに。

店の従業員にかかる負担も、売り上げも。

全くと言っていいほど変わらなかったのです。

これは本当に恐ろしい事実でした。

店長も長年一緒に働いたパートの人たちも、柴田さんがやめた次の日からほとんど柴田さんの話題を出すことはありませんでした。

こんなにもあっさりと、人って他人の視界から消え失せるのかと。




でもおかげで「自分ひとりが抜けてもそこまでは迷惑がかからない」という捉え方ができました。運良く。

だから社会生活において無理することもないし、

自分のことを大切に、優先してあげた方がいいなと。

強く感じることができました。


柴田さん、元気かな。

とりあえず売れて。
柴田理恵さんに会うことができたら
太るパンの一つでも差し入れしようかな。

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佐野寛
みなさんからのサポートで自分磨いて幸せ掴むぞ♪