とある性犯罪者の随想
人間は常に現実にいる。
ゲームをしている時でさえ、現実でコントローラーを手に持ち画面を見つめている醜男がいるのだ。
又、小説を読んでいる時も現実で矮小な取り柄のない男が手に本を持ち物語に没頭しているのだ。
現実は不公平で残酷だ。
それはその通りだろう。
ただ、そこで諦める前に考えて欲しい。
本当に本質的に現実を認識しているかを。
魅力の無い君がいる。
しかし、それだから諦めるのか。
この世界を真っさらな目で見よう。
君には何が見えるだろうか。
君は外にいるとしよう。そしたら上には青い空間や黒い空間、時によって様々に変化する空間が見えるだろう。又、下を見れば黒い物体を敷き詰めたものが見えるだろう。又、その脇には君と所謂同種の動物達が歩いているかもしれない。
そう。本当の世界というのはそこにいろんな物質があるだけなのだ。無論、生命体として存在しているものもあれば無機物もあるが。
この事実を踏まえてもう一度考えて欲しい。
君が得たいものを得れないのは何故か?
君を本当に抑圧しているものは何か?
そう。答えは「虚構」。
つまり「道徳、法」などだ。
君は「本当に」それを得れないのだろうか?
確かに君は周りの男に比べたら筋力は劣るかもしれない。体格は劣るかもしれない。
しかし、例えば手法は山程あるが、骨折したので助けがいると騙し、車に連れ込ませ、凶器で脅し、拘束し、連れ帰り、目的を果たす.....ということは確実とも言えないが十分に可能では無いだろうか。
又、君は理解しているはずだ。
そのような事をし、バレれば法によって裁かれ、不利益を受け、道徳に悖る行為として世間的な批判、不利益をも受ける事を。
君がここまでの損得勘定をして、その上で得たいものに対して不利益の方が多く、そこまでして得たい、なしたい事では無い、後悔もなく悔しさも無いと判断し、事に及ばないのならば私は何も言わない。
しかし、そうでなくただ道徳的にダメなものという虚構によって阻害され損得勘定すらしない事はあまりに負け犬根性が過ぎる。
これはこの例の欲望に限らない。
君が得たいものしたい事は何か?
何が重荷かを真に現実から導く事が大切だ。
又、これは余談(私にとってはどうでもいい事)だが虚構は虚構故に矛盾を生じる。
資本主義にあって平等主義にあってJC、JKを買うと罪になるのは何故か?
教育で努力、勤勉を謳うくせに実質的に生まれによる絶対的特権、生まれに恵まれなければ得られないものを作るという事を認めるのは何故か?
彼等はこれに目を背け、知った上で承認している。であれば私は抵抗する。
所謂一般道徳価値観で正当な手法では手に出来ないのなら、それから外れてでも手に入れる。
私にとってそれ(道徳、法、厳密にはそれらを破る事によって受ける不利益)は得たいものに勝らないからだ。