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働かないおじさんの30年前 #私の就活体験記 キャリコンサロン編集部

書けない。

就活のことは書けない。

あまりにも酷かったです。

説明会に行っただけで内定が出たり。

OBのほうからどんどん連絡が来て

豪華ランチをご馳走してもらったり。

内定の引き止めに、泥酔するまで飲まされたこともあります。

今、必死に就活に取り組んでいらっしゃる方々からは

憎まれそうなめちゃくちゃが行われていた時代でした。

そう。私、いわゆるバブル世代の最後なんです。

いままさに、問題となっている働かないおじさん世代です。

思い出すと、あの頃の採用のツケが回ってるな、と思います。

僕は、就活というものをよく理解していませんでした。

学チカと言われても、ひたすらバイトして遊んでいただけだし

やりたいことも漠然としていました。クリエイティブなことが好きだから

企画したりする仕事に興味を持っていたけれど、

能力はほとんどなかったと思います。今思えば。

志望動機はろくに言えなかったし、そもそも大人としゃべるのは

無理でした。人見知りで気の利いたこと一つ言えない大学生でした。

でも、大学のOBが各所にいたので、声だけはかけてもらえました。

その思い出が強烈に残っています。

ある証券会社のOBは、こう言いました。

「仮に株が暴落して、うちの資産が半分になっても、全然大丈夫。

そもそも半分になることは絶対にないし。安心してうちにきたらいいよ」

と会社のことを説明してくれました。

その会社は、1997年に破綻しました。

ある自動車会社のOBはもっとすごかったです。

「ごめん。僕の勘違いだった。一週間前に採用終わってた。

わざわざ来てもらったのに」

と言うのです、自分で呼び出したのに、です。

こんなのんびりした方がいて大丈夫なのか。

その自動車会社は、のちに外国人経営者に立て直しを依頼したことで

話題になりましたね。

「今ここで、就活をやめたら、内定をだすよ」

と言ってくれた銀行さんがありました。

理由は、「遅刻する前に、電話で連絡してきた学生は君が初めてだ」

でした。

1999年に統合されました。

多くは書きません。

今言えることは、

当時感じた違和感は、当たらずとも遠からずだったなということです。

そんな私が入った会社のは、当時7位くらいの広告会社でした。

拙い自己PR、志望動機、でしたがなんとか潜り込むことができました。

規律もゆるく、楽しい会社でした。

1999年に上位の広告会社と合併してからも楽しい会社でした。

楽しすぎて20年もいてしまいましたが、

働かないおじさんになりかけていたときに、

これもまた勘ですが、辞めることができました。

今、思うことは、大学の就活のとき、

キャリアコンサルタントという人が存在したら、ということです。

何のために働くか、どう生きるのか、何も考えないまま就活にのぞみ

何となく出会った広告会社に入って、という人生以外に

どんな選択肢があったのだろうか。

30年前の自分に問いかけてあげたいです。

あの頃は、OBに手書きの志望動機を見てもらって

「ここはダメ、ここはもっとふくらませて」などと

赤ペンで修正してもらうような牧歌的な時代でした。

それだけじゃない、もっと大切なことがたくさんあったのに。

自分と世の中の未来をもっと考えるべきでした。


今、バブルなんて嘘のような苦しい時代です。

でも、苦しい時代というのは、自律的な選択や、

自分でしっかりと意思決定できる時代、かもしれません。

いままで楽をした分、これからをしっかりと生きようと

働かないおじさんは、思っています。

反面教師として、今を必死に生きる同僚として、

相談者の方々ともっともっと伴走できたら、と思っています。

バブルのことは嫌いになっても、私のことは嫌いにならないでくださいね。


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