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”初学者”であること。

今日、キャリコンの更新講習を受けました。
初めての更新講習は認知行動療法。一番興味がある分野です。
ゼロからの知識を得たので、知識と経験値はぐーんとアップしました!
ゼロじゃなくなったわけですから。

とはいえ、いざロープレをしてみると、普段やっている聴き方にプラスとかアレンジをして「認知を変える問いかけ」を入れようとしたら、緊張や「どうやって話を進めたらいいんだ??」と頭が真っ白になってパニックになってしまい、何もできなかった自分がいました。
途中立て直して、全くダメだったわけではありません。

それにしても、「無力さ」を感じてしまいました。手元にテキストがあるからそれを見てやってみればいいのに、頭の中がゴチャゴチャになり何も言葉が出てきませんでした。
キャリコンがきっかけで対人支援の世界にきたばかりの初学者なのだし、わからないから学びに参加してるんだと言い聞かせてますが、どうやら心や体はまだモヤモヤしているようです。
今、記事を書いてる途中で少しフォーカシングをしてみました。

「悲しい」と感じている自分がいると気づく。

体に「ご機嫌どうした?」と話しかけたら、一番よく声が聞こえる足の部分から早速声が聞こえました。

「悲しい」と。

どした?とさらに聴いてみると、
「悔しいも無力もあるけど、学んできたこと全てが記憶から飛んだようになにも出来なかったのが悲しかった」
と言っていました。
足のつま先が、金縛りに遭ったような感覚。
ふくらはぎに石が吊されている感覚。
「そっか、悲しかったのね・・・」とつぶやいたら、少し軽くなりました。

他の部位では、おなかあたりや目の奥あたりにフェルトセンスを感じ取り、
どした?と聴いてみた。
やはり、「悲しい」と返ってくる。涙もボロボロ出てくる。

その時、普段フォーカシングしてるときと違ったのは、まるで体の意識が私の脳に乗り移ったかのように、勝手に口が動き始めたことでした。憑依したイメージ?
「悲しい」「悲しい」「悲しい」
と、何度もつぶやき始めました。
頭の中には、キャリコンの試験対策でやってきたロープレの記憶。
キャリコンになってからのロープレの記憶。
どちらも巡っていました。

ずっと初学者なりにやってきたはずのことが何もできなかった。
それが悲しい。そう言いました。
悔しいも無力さも感じるけど、一番は「悲しいんだ」と分かりました。
そっか、悲しかったのね。と、憑依(?)が終わった後に呟いたら、スッと色々な部位の重みが少し軽くなりました。

この悲しいと思った出来事を今後どう料理していくか、自分のペースで考えていければいいなと思います。
でもきっと、この悲しいと思った今日という日はすごく大事なことじゃないかなと思う。
学び続けること、「心を扱うとはどういうことか」がどうして大切なのか、身をもって少し深く知れたのだから。


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