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かののつれづれ ~正義って~
じつに恥ずかしいことだけれど。
人それぞれの正義って違っているって気づいたのはほんの最近だった。
長男が中学生の時、彼の聴いていた”セカオワ”の「Dragon night」という曲。
その一節。
人はそれぞれ「正義」があって、争いあうのは仕方ないのかもしれない。
だけど僕の嫌いな「彼」もかれなりの理由があると思うんだ。
ほんとに恥ずかしい話だけれど、
その年になるまで、
「正義」って確固たるものだと思っていた。
医療職。
福祉の現場に携わる中で、
自分なりの「正義」を振りかざしたことがどれほどあったことか。
「常識」と言い換えてもいい。
自分の思う常識。
それはほんのごく狭い空間でのみ通じることであって、
一歩外に出れば通用しない。
そんなことも少なくない。
ひとそれぞれに「正義」が違う。
そんなこと、それまで考えたこともなかった。
ちょっと考えればわかることなのに、
それを想像することすらできないほど、
ワタシは思考停止していた。
戦争も
戦いあうそれぞれが、それぞれの「正義」に基づいて
その「正義」を守ろうと戦ってる。
それにすら気づかずにいた。
みんな、自分のなかでは正しさを持っているんだ。
自分だけが正しいなんて、なんという思い上がりか。
歴史はいつだって勝者の側からしか語られないけれど、
自分だって
自分の都合のいい「正義」からしか物事を見ていない。
中学生の息子の聴く音楽からそんな基本的なことを教えられて
愕然とした。
小さな地域の社会の中でだけれど、
それなりに自分の仕事をしてきたつもりになっていて、
「…オイオイ、なにもわかってないじゃないか…」
そんな気分になった。
一方向からしか見ない「正義」
これってやっぱり危険だなって思う。
たとえば、コレ👇
反対から見る癖をつけると視野が一気に広がる pic.twitter.com/oxdnhMJSls
— けむ👔引き抜かれる法人営業 (@koukei_sales) October 6, 2024
日本を代表する「勧善懲悪」物語の筆頭「ももたろう」。
これを、成敗された鬼の子側からみる発想。
たとえば、
ワタシが大嫌いな「あのひと」だって、
「だれか」にとっては
大事な大好きなひと、かもしれない。
そんな想像をちょっとココロの中でするだけで、
日常のいざこざはちょっと減ったりするかもしれない。
そんなことを思った日曜の夜。
ああ。
もうすぐ起きる時間。
おやすみなさい。