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#5 喫茶店でのショパンの存在感

喫茶店で流れる音楽の最適解とは何か。
そんなことを考え始めると、夜しか眠れない。

僕の至福の時間のひとつに、「喫茶店で読書をする」というものがある。
僕が生息している京都は、ことさら喫茶店が多い。馴染みの店に通うこともあれば、気になっていたけれど未開拓だった店に足を運ぶこともある。
僕のGoogleマップは、喫茶店のブックマークで埋め尽くされ、もはや他の店舗が見えないほどだ。それくらい、京都の中心部には喫茶店が溢れかえっているということでもある。


はじめての喫茶店

某日、仕事帰りに本を読もうと、初めての喫茶店を訪れた。
京都のど真ん中、ビルの最上階にあるその店は、アンティーク調の内装が特徴で、都会の喧騒を忘れられる空間。事前の調査によると、知る人ぞ知る人気店らしい。
そして何より、この喫茶店ではMariage Frèresの「マルコ・ポーロ」を提供してくれるのだ!
7割くらいの期待と、穴場喫茶に入る前の特有の緊張3割を胸に秘め、いざ入店。
予想通りのアンティーク。広すぎないフロア。窓からは京都の大十字路を一望。
席に着き、僕は気がついた。

バラ4だ。

流れていたのはショパンのバラード第4番、通称「バラ4」だった。
ええ、あの超ドラマティーコバラードだ。
しかもクライマックス。


ミステリとマルコ・ポーロとバラード

まあ、そんなことは置いておいて、
僕はお目当ての「マルコ・ポーロ」を注文し、鞄から文庫本を取り出した。

バラ4だ。
しかも今、クライマックスだ。

僕が読んでいるミステリーも佳境だった。
(え、この人が犯人!? いや、違う、どんでん返された!? え、どっち!?)
そんな僕の心の声を煽るかのように、”バラ4”はさらに劇的に展開していく。

そこへ、待望のマルコ・ポーロが運ばれてきた。
すでに蒸らされた状態で提供され、ティーポットには保温カバーまでかけてある。
ここまで丁寧なサービスをしてくれる喫茶店はなかなかない。素晴らしすぎる。


”バラ4”が終わった。

マルコ・ポーロといえば、あの甘い香り。カップに注ぐ前に、ポットの蓋を開けてさあ香りを…
次もバラード!しかも1番!バラ1!
マルコ・ポーロの香りを…
あ、ここ難しいところ!
マルコ・ポ…
このピアニスト結構ためるんですね!

それはそれはエスプレッシーヴォなバラ1だった。

本を読みながらバラード第2番。
ページをめくってバラード第3番。
最後の章に差し掛かると、またバラード第4番。

どうやらバラードをループ再生していたらしい。バラード転生喫茶。


”軽”の喫茶店と”重”の音楽

ショパンのバラードや、それとカップリングされることの多いスケルツォは、どれも非常にドラマティックな作品だ。
言うなれば、音楽だけで主演女優賞級の存在感を放っている。
僕の記憶はマルコ・ポーロと小説の内容と、ショパンで見事に三等分された。
耳が小さいことで定評のある僕だが、店を出る頃には並の人間程度には成長していたはずだ。

あくまで僕の価値観だけれど、喫茶店にショパンは、存在感がありすぎる気がする。
別にショパンに恨みがあるわけではない。むしろ、ショパンの作品は大好きだ。
だからこそ、店内で流れていると、耳も頭も、時には感情までも持っていかれてしまうのだ。

別の日、別の喫茶店ではチャイコフスキーの「ロミオとジュリエット」が流れていたこともあった。
あれは、悲恋を描いたオーケストラ曲。喫茶店で流すには、あまりにも壮大すぎる。
もちろんこの曲も好きだけれど、”バックグラウンドミュージック”ではなく、主役級の音楽だ。危うく喫茶店で涙するところだった。

これは僕がクラシック音楽に精通していて、つい反応してしまうからかもしれない。
普段あまりクラシックを聴かない人にとっては、ショパンは「主演女優賞」ではなく、単なるBGMなのかもしれない。
あくまで僕個人のぼやきだけれど、それでもやっぱり、ショパンは喫茶店という「軽」な空間には「重」すぎると思う。


BGMに最適なクラシックとは

では、代わりにどんな音楽がいいか。
僕はエリック・サティなんか良いんじゃないかと思う。
音楽史を踏まえても。

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