カメラについてぼんやりと考えてみた
これほどまでにスマホの性能が上がった昨今、カメラを使う意味なんてあるのだろうか。
僕はあると思う。
カメラのスマホのに勝る有用性はAI処理による画一化されたパッと見の美しさでなく、そのものの実在としての美しさを切り取ることができるところだと思う。
どちらが優れてるとかいう話ではなくて、その人それぞれの価値観だったり文脈によるところが大きい。
フィルターをかけて、より鮮やかな写真を好む人はスマホの方がいいと思うし
一方で光の色といったコントラストだったりなんだったりを求める人たちはカメラの方がいい。
言うなれば
・実在
・架空
の二元論みたいな、そんな哲学がスマホカメラとカメラの使用をめぐる議論の根底に走ってるような、そんな気がする。
架空というと非難してるように見えるけど、そんなことはない。人の感覚は常に虚像を生む。
普段生きていて、目のど真ん中に死角なんて感じたことのある人はいないと思う。でも、実際は視神経が通ってる以上、絶対にそこに死角はある。
僕たちの視界のど真ん中には、絶対に真っ暗な空間が広がっている。
でも、その闇を認識できない。
これは人の脳が眼球という脳の支部機関から全体の情報を得て、統合して補完することでこの死角抹消しているからに他ならない。
とどのつまり、人は架空や虚構の中でしか生きられない。
そんな虚構の中でしか生きられない人間にとって、カメラを使うという行為は数少ない抵抗、みたいなそんな話。
暗い所は暗いままに。
雨粒は雨粒の形そのままに。
そんな風に捉えるためのツールがカメラなんだろうな、と。