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食べ物の恨みは恐ろしい歴史の話 その2
水戸徳川家の家斉公は、第15代将軍徳川慶喜公の実父です。
幕末の時代にあって尊王攘夷派の先頭に立ちました。
しかし、大老井伊直弼と対立して蟄居させられてしまいました。
井伊直弼が尊王攘夷派を徹底的に弾圧したからです。
いわゆる「安政の大獄」です。
水戸藩では井伊直弼の横暴に対する反発が強まりました。
やがて脱藩した浪士たちが井伊直弼を襲撃しました。
江戸城に登城する井伊直弼の一行を待ち伏せて
雪の舞い散る桜田門付近で暗殺したのです。
いわゆる「桜田門外の変」です。
井伊家は代々彦根藩主を歴任してきました。
名門の家柄でありながら気配りも怠りません。
彦根藩の名物である近江牛の牛肉の味噌漬けを
将軍家や徳川御三家に献上して喜ばれていました。
中でも水戸藩主の徳川斉昭公は牛肉好きとして知られ、
彦根藩から贈られる牛肉を楽しみにしていました。
表向きは獣肉食が禁じられていた江戸時代であっても、
牛肉は「薬喰い」として例外的に認められていたのです。
ところが、井伊直弼が大老に就任すると牛肉食を厳格に禁じ、
牛肉の味噌漬けを贈らなくなってしまいました。
これに怒った徳川斉昭公が、井伊直弼と反目するようになり、
結果として桜田門外の変が起きたといわれています。
もし、井伊直弼が従来通り牛肉の味噌漬けを献上していれば、
暗殺されずに済んだかもしれません。
食べ物の恨みは恐ろしいものです。