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ジャガイモはなぜフランスに広まったのか
フランス語でジャガイモのことを「ポム・ド・テール」といいます。
「大地のリンゴ」という意味です。短く「ポム」ともいいます。
フライドポテトのことを英語で「フレンチフライ」といいますが、フランス語では「ポム・フリット」と呼んでいます。
ポム・フリットはステーキの付け合わせの定番です。
フランスでたいへん人気のあるジャガイモ料理です。
しかしジャガイモがフランスに伝わってきた当初は、他のヨーロッパの国々と同様に食用にはされませんでした。
それどころか、悪い病気を引き起こすという迷信が広がり、ジャガイモの栽培を禁止する法律まで制定されました。
フランスでジャガイモの普及に貢献したのはパルマンティエです。
彼は栽培を促進するだけでなくレシピの考案にも努めました。
フランスには「アッシ・パルマンティエ」という料理があります。
挽き肉をジャガイモのマッシュで包んでオーブンで焼いた料理です。
「ポタージュ・パルマンティエ」というポタージュスープもあります。
もちろんジャガイモを使っています。
これらの料理はパルマンティエに因んで名づけられました。
パルマンティエは戦争ではプロイセンの捕虜になった経験があります。
そのとき食事で与えられたのがジャガイモです。
捕虜に食べさせる料理ですから美味しくはないかもしれませんが、彼はジャガイモが食材としてたいへん優れていることに気づきました。
フランスに帰国後、彼はルイ16世の庇護の下にジャガイモを広めます。
それにはまず民衆に関心を持ってもらうことが大切だと考えました。
そこである秘策を思いつきました。
宮廷の近くにジャガイモ畑を作り昼間は厳重に衛兵に見張らせます。
その重々しい警備を見た民衆はこう考えました。
「この畑にはきっと貴重な作物が植えられているに違いない。」
ところが夜になると畑の警備が解かれて無防備な状態になります。
人々はこっそり畑に忍び込んでジャガイモを掘り出しました。
つまりわざと盗ませる作戦だったのです。
これが功を奏してジャガイモが広まったといわれています。
もっともこれはフリードリヒ大王の戦略とも伝えられています。
パルマンティエはそれを捕虜のときに聞いていたのかもしれません。
ジャガイモの普及にはマリー・アントワネット王妃も一役買っています。
宮廷では毎晩のように華やかな夜会が開かれていましたが、王妃はジャガイモのブーケを飾って出席者の目を惹いたそうです。
ジャガイモの花は薄い紫色を帯びた白い清楚な花です。
バラやランのような妖艶で煌びやか花ではありません。
衣装にも宝飾品にも贅を尽くしたマリー・アントワネット王妃ですが、かえってジャガイモの清楚な花を目新しく感じたのかもしれません。
王妃のおかげでジャガイモは少しずつ知られるようになりました。
しかしその食材としての価値は認識していなかったようです。
フランス革命の直前、家臣が国民の窮状を訴えるエピソードがあります。
「民衆にはもう食べるパンがありません。」
それを聞いたマリー・アントワネット王妃は有名な言葉を残しています。
「パンがなければケーキを食べさせればよい。」
本当にこの言葉通りに発言したのかどうかわかっていませんが、国民の苦しみを理解しない王妃の人柄を表す言葉とされています。
もし王妃が食材としてのジャガイモの真価を知っていたならば、きっとこう答えたに違いありません。
「パンがなければジャガイモを食べさせればよい。」