400字で分かる落語「稲川千両幟」
「い」の72:稲川千両幟(いながわせんりょうのぼり)
【粗筋】 大坂から江戸へ出た稲川という力士、十日間全勝しても贔屓が出来ない。大坂へ帰ろうと考えていると、汚い乞食が現れて蕎麦をおごるから食ってくれと言う。「大名でも乞食でも、贔屓に違いはございません」と快く食うと、乞食の合図で酒肴が運び込まれる。男は河岸の新井屋で、大坂でほれ込み、江戸に来たら河岸のみんなで贔屓にしたいと相談すると、乞食に出すような物も口にするなら贔屓にしてもいいと賭けをしたのだった。河岸全体で贔屓にするという例はなく、これがきっかけで人気が出るという……「相撲取りを夫に持てば、江戸長崎や国々を」でお馴染み、『関取千両幟』はこの人をモデルに描いたものでございます。
【成立】 「稲川」「千両幟」「稲川治郎吉」とも。本当は猪名川だが、芝居の字から「稲川」となった。明治初年に大坂から来た初代・梅ヶ谷藤太郎にも同じ逸話があり、広沢菊春の浪曲を聞いた。落語では三遊亭円生(6)が上手かった。雷門助六もよかった。