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400字で分かる落語:「明烏」2

33:明烏(あけがらす):全4回の2
【成立】 昭和6(1769)年に起こった公儀役人の息子・伊藤伊之助(21歳)と吉原京町二丁目蔦屋の花魁・三芳野(24歳)の心中事件が、新内「明烏夢泡雪」に仕立てられ、人情噺「明烏後正夢」が作られた。浦里が若旦那のために借金を作り、やり手婆のおかやが、雪の中で浦里を古木に縛って割竹で折檻する。この「浦里雪責め」がサディスティックな名場面。この新内の冒頭部分を落語にしたもの。
 昭和の頃は桂文楽(8)の独断場だった。翌朝のふられた二人が甘納豆を食うのが見所。
 古今亭菊之丞は人物をよく描き、流れの中で若旦那の気持ちの変化を見事に描く。
 三遊亭遊史郎は高い声が若旦那に似合っていて、翌朝の房楊枝を使うのがいい。若旦那より連れの二人が主役になって行き、「花魁が両足でぎゅっとはさんで離さない」というのが馬鹿馬鹿しくおかしい。うぶな若旦那なので「手を握って」で十分だというが、二人の間抜けぶりが浮き出て面白い。

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