400字で分かる落語「幾代餅」
「い」の16:幾代餅(いくよもち)
【粗筋】 幾代太夫の絵姿で恋患いになった搗き米屋の奉公人・清蔵、親方に言われて三年みっちり働いて会いに行く。幾代から「今度いつ来てくん」なますと言われて、自分はしがない奉公人で、三年働かないと金が無いと自白する。心意気に打たれた幾代は、来年3月に年季(ねん)が明けたら女房にすることを約束させて送り出す。
ぽーっとした清蔵、店でも「来年の3月」とつぶやきながらニタニタしているので、「3月」と呼ばれて働いている。さあ、3月になって本当に幾代が来て、二人で幾代餅という餅屋を出して繁盛する。
【成立】 古今亭志ん生(5)が演じた。三遊派の「紺屋高尾(こうやたかお)」と同じで、志ん生が作り替えたという本もあるが、浪曲にもあるので疑問。浪曲は、
遊女は客に惚れたといい 客は来もせず又来るという
という命文句が有名。志ん生は演る時の気分や反応で結びが変わっていた。本文のような人情噺調は馬生が、「銭置いて持ちを置いて来ちゃった」というのは志ん朝がよく演じた。本には「その後演り手がない」とあるが、多くの人が演っている。桂右団治は女性だけにお店と茶屋の二人のかみさんが素晴らしい。その他さん喬、たい平らを聴いている。
元禄17(1704)年に両国小松屋喜兵衛が餅をざっと焼いて餡を詰めたものを売り出し、女房が遊女だったので賊に幾代餅と呼ばれた。