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“BLACK MIRROR”視聴ガイド:科学・情報・技術と大衆、そして倫理

*扉絵:コグニティブ・フォートトーク、ビジョンクリエーター生成
*この論考には“BLACK MIRROR”各エピソードのネタバレが含まれる。

“BLACK MIRROR”視聴ガイド:序文(目次)はこちら。

『シロクマ』(シーズン2エピソード2)の公開参加型刑罰執行興業に見られるスマホを片手に囚人を撮影し続ける観衆と、『殺意の追跡』(シーズン3:エピソード6)で登場する「死ねタグ」に興じる大衆、そして『ブラック・ミュージアム』(シーズン4:エピソード6)において博物館に殺到する観覧者は、浅ましい人間の性を象徴している。この他、『時の"クマ”ウォルドー』(シーズン2:エピソード3)もまた、過激な言動をまき散らすアニメのキャラクターに喝采する大衆の愚かさを描く。そして『シロクマ』は記憶のない受刑者に刑罰を与え続けることの加虐性が際立つも、観衆は娯楽を享受する。一方『ブラック・ミュージアム』の観覧者は「展示物」に飽きて見向きもしなくなるが博物館を作った曰わく付きの館長は復讐され、『殺意の追跡』においてはプログラマーの埋め込んだ倫理規定が発動し、「死ねタグ」に興じた大衆は報いを受ける。『時の"クマ”ウォルドー』は扇情的な物言いで大衆を慰撫し熱狂を巻き起こして現実の地方政治に進出を試みるキャラクターが、入れ替え可能で中身の空虚なハリボテであると共に、情報工作の手段として運用され得る本質を描く。大衆は操作される。

「パンとサーカス」に象徴される古代ローマ帝国や“SSS”政策に駆動された第2次大戦後の現代を引くまでもなく、オルテガ・イ・ガセット的意味としての大衆は、不完全な情報の中で、細分化された個々の選好基準に分断された果てに付和雷同する。そこには倫理など存在せず、大衆は「赤信号、みんなで渡れば怖くない」を地で行く熱狂と狂気、そして一度発動すると治まるまで止まらないうねりと化して破綻へと終着する。しかし、そこに倫理が存在しない以上、破綻がその熱狂と狂気に参加した個々人に降りかかるのかというと、決してそうではない。そのシワ寄せは弱者に降りかかる。

記憶のない囚人は圧倒的な弱者である。仮想世界に閉じ込められた囚人も圧倒的な弱者である。囚人の、何を以て罪人と成すかという証明には常に危うさが潜み、冤罪の可能性を捨てきれない。そして情報工作を受ける大衆は、地方自治を放棄することにより引き起こる自らの生活基盤の危機に鈍感である。ゆいいつ倫理が実装されたミツバチドローンシステムは、因果応報により、標的を享楽的に死に追いやった報いとして、参加者に同じ死を与える。

倫理がなければ愚劣な浅ましさは野放しだが、有無を言わせぬ一律の規定は、容赦なく実行されるが故に尚更おぞましい。これらのエピソードが問うのは「倫理とは何か」だろう。

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