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【第76章・内藤新宿の別れ】狩野岑信 元禄二刀流絵巻(歴史小説)

第七十六章  内藤新宿の別れ

 元禄十六年(一七〇三年)二月四日となった。吉良左兵衛義周が信濃高島藩領内の配所に送られる日である。

 吉之助は、おりんを伴い夜明けと共に浜屋敷を出た。甲州街道の内藤新宿で左兵衛を見送るため。万一のときの助っ人に竜之進も一緒だ。今や町衆の間では吉良家は完全に悪役であり、左兵衛を討って名を上げようとするお調子者が出ないとも限らない。

 季節は冬、三人は白い息を吐きながら霜柱に覆われた道をサクサクと踏み付けながら歩を進めた。

 内藤新宿は開設からわずか四年だが、その発展は目覚ましい。人の往来は引っ切り無し。すでに数十の旅籠や商店、さらに飯屋から芝居小屋、遊郭まで建ち並び、宿場としてだけでなく、歓楽街としても確固たる地位を築いていた。

 左兵衛を護送する行列は、内藤新宿の脇本陣に入って昼の休憩を取った。半時(一時間)後に出立。無茶をすれば左兵衛の立場を悪くするだけだ。遠巻きにしているしかなく、顔を見る機会さえない。

「いいか。宿場の外れまでだぞ」
 吉之助のその言葉に、おりんは黙って頷いた。彼女の視線の先には左兵衛が乗る駕籠がある。彼の華麗な出自に相応しい黒塗りの立派な駕籠だが、罪人の護送中を示す青網がかけられている。

 行列が内藤新宿の外れの熊野神社まで来た。境内の大半が鬱蒼とした杉林に覆われ、昼間でも薄暗い。
 突然、木々の裏から抜刀した数人が左兵衛の駕籠目掛けて突進してきた。高島藩の護衛は十人。人数では勝っている。しかし、駕籠かきと人足が叫び声を上げて逃げ出すと、侍たちまで混乱状態となり、あっと言う間に逃げ散ってしまった。

「ああ、あぁ。これじゃ、釜無川のときと一緒だ」と、竜之進が呆れ顔で言う。
 おりんが吉之助の袖を掴む。
「先生。左兵衛様を助けて!」
「分かっている。おりん、お前はここを動くな。竜さん、行くぞ!」

 賊の一人が駕籠に刀を突き入れようとしたとき、竜之進が小柄を投げた。刺さりはしなかったが、賊の手首に当たって攻撃を止めた。吉之助と竜之進が駕籠と賊の間に割って入る。賊が何やら喚き出したが、どうにも耳障りで内容が入って来ない。

「赤穂の二番隊だと? 嘘を吐くな。どうせ、臆病風に吹かれて大石の一党から抜けた者たちだろう。恥の上塗りはよせ!」

 そう怒鳴った竜之進が目配せしたきたので、彼の呼吸に合わせて吉之助も踏み出した。ところが、吉之助が杖を突き入れる寸前、賊たちが我先にと逃げ出した。何と諦めのいい連中か。吉之助と竜之進は開いた口が塞がらず、追う気にもならない。

 おりんが転びそうな勢いで駆け寄って来た。彼女がむしり取るように駕籠の青網を外すと左兵衛がようやく出てきた。吉之助たち、とりわけおりんの顔を見て驚いた様子である。彼は、おりんに向けて優しく微笑んだ。

 吉之助は左兵衛のその表情を見て、つい、言わでものことを言った。
「左兵衛様。いっそ、ここで討たれたことにしませんか」
「え?!」
「そうだよ。ここで殺されたことにして、米沢に逃げちゃえばいい。そうすりゃ、好きに生きられる。何ならあたしが・・・」
「それは面白い。しかし、出来ません」

「どうしてさ?」
 おりんは少し咎めるような口調になったが、左兵衛は動じない。
「私は、当主になってまだ一年の若輩ですが、それでも、室町将軍に連なる三河吉良家の当主です。父上(養父であり実の祖父・上野介義央)を守るため、十四人の家臣が戦って死にました。そして、鎌倉以前からこの家のために働いてくれた数多の家臣やその家族。彼等のことを思えば、ここで逃げ出すわけにはいきません。それに・・・」

「それに?」
「私が配所に着かなければ、高島藩の者たちが困るでしょう」
「そ、そんな」
「おりん殿、ありがとう。しっかり修行をして、立派な絵師になって下さい。あなたには、自分自身の人生を自分自身の意思で生きて欲しい」
「左兵衛様は?」
 左兵衛は、静かに首を横に振った。

「狩野殿、矢立をお持ちではありませんか」
 吉之助は柄杓型の矢立を腰から外し、筆に墨を付けて懐紙と共に左兵衛に渡した。すると彼は、青蓮院流の見事な筆さばきで、鈴、の一字を書いておりんに渡した。
「以前、仮名の名前に相応しい漢字を選んで欲しいと言っていたでしょう。この字がよいと思います」

 高島藩の侍たちが恐る恐る戻って来るのが見えると、左兵衛は黙って駕籠の中に戻った。宿場は盛んだが、外に出れば周囲はまだ一面の田地である。吉之助たちは見送るため、大きな一本杉が立つ丘に上がった。

「私は今日初めてお会いしましたが、見事な若殿ですね」と竜之進。
「ああ。あたら人材を、ご公儀は大損だ」
「分からないよ。何で左兵衛様がこんな目に。左兵衛様は何にも悪くないじゃないか。畜生! こうなりゃ、今度はあたしが仇を討ってやる。あたしが赤穂の連中を!」

 その時である。どこからともなく、ゴ~ン、ゴ~ンと鐘の音が聞こえてきた。
「これはいくつの鐘かな?」
「何だい先生、こんな時に。腹でも減ったのかい」

「恐らく、八つ(ほぼ午後二時)でしょう」
 竜之進のその言葉を聞いて、吉之助が天を仰ぐ。
「そうか。それならおりん、お前はもう仇を討つ必要はないよ。仇はすでにこの世にいない」
「えっ?! まさか、それも今日だったの?」
「そうだ。赤穂の連中は、たった今、腹を切った」

「馬鹿だ。馬鹿だよ。侍なんて馬鹿ばっかりだ。大っっっ嫌い!!!」
 どんどん小さくなって行く左兵衛の駕籠を睨み付けながら、おりんは叫び、そして泣いた。

 あの話は少し待った方がいいだろうな。

 妻の志乃から、おりんを正式に養女にして親族の中から婿を取ってはどうかと言われたのは昨夜のことだ。しかし、怒りと悲しみで全身を震わせるおりんには、今はどんな言葉も届くまい。最早黒い点にしか見えない左兵衛の駕籠にもう一度目をやり、吉之助は大きくため息を吐いた。

 吉良左兵衛義周は、諏訪高島の配所で三年後に病で亡くなっている。享年二十一。日常、絵画や書に親しんで暮らしたというが、外出は許されず、手紙は全て検閲された。また、自害を警戒し、髭剃りの小刀さえ与えられなかったと伝わる。

 三河吉良家は室町幕府を興した足利家の一門で、足利宗家と同じ、八幡太郎源義家の孫を祖とする。その為、室町幕府においては、将軍家が絶えれば吉良家が継ぐとまで言われた。しかし、その名門も、左兵衛が嗣子なく死んだことにより遂に断絶したのであった。

次章に続く

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