【物語の現場034】甲州街道を前進中、大月宿あたりの山並み(写真)
「狩野岑信」の第三十九章で、嵐子が大月宿でやらかした件について書きました。
写真は大月の手前、JR中央本線の鳥沢駅と猿橋駅の間の車窓風景(山梨県大月市猿橋町、2022.4.23撮影)
大月は古来から甲斐(山梨県)東部を支配するための要地。北側の山頂には難攻不落と言われた岩殿城がありました。織田・徳川連合軍の侵攻を受けた際、新府城を放棄した武田勝頼が身を寄せようと目指したのがこの城です。
ちなみに、勝頼を裏切った城主・小山田信茂は、戦後、織田軍によって処刑されました。さらに信茂の妻子や母親までも殺されています。悲しい限り。
江戸時代になると、大月宿は富士山への参拝客でも賑わいます。宿場の西側から富士山麓の吉田に繋がる道が出ていたためです。
さて、吉之助たち甲府藩一行もすでに大月宿の手前まで来ています。彼等もこの山並みを見ながら歩を進めているのです。