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【第85章・そして狩野派総上席】狩野岑信 元禄二刀流絵巻(歴史小説)

第八十五章  そして狩野派総上席

 将軍世嗣・徳川家宣の命で甲府藩の後始末に向かった松本友盛と島田時龍。二人が甲斐から江戸に戻ったとき、季節は春を過ぎ初夏に近い皐月半ばとなっていた。

 ところで、家と同じで城にも表と裏がある。そして、城の裏門は搦手門と呼ばれる。江戸城の搦手門と言えば半蔵門。神君伊賀越えに功のあった服部半蔵正成にちなんで名付けられた。

 服部氏は忍者を使役する伊賀の土豪の家系だが、正成の家は父の代に伊賀を離れ、三河松平家に普通の武士として仕えていた。
 半蔵正成が家康から伊賀忍者を指揮監督する役を与えられたのは伊賀越えの後のこと。そして、幕府成立後も服部家は八千石の高級旗本として厚遇された。ただ、大名にはなれなかった。忍者の頭目を独立性の高い大名にすることに危険を感じたか。剣術師範の柳生家が大名になれたことと比べ、ちょっと気の毒な気もする。

 それはともかく、当時、半蔵門は甲州街道に直結していた。友盛と時龍も甲府からこの門を目指して帰って来たのだが、城に入ろうとしたところ、門番所で止められた。
 しばらく待っていると、元配下の駒木勇佑が駆けてきた。家宣は多忙で、報告は明日でよい。まずは新居に入って身辺を整えよ、との指示だ。駒木に案内され、その新居、つまり、拝領屋敷に向かうことになった。

 ちなみに、駒木も旗本である。禄は百石。旗本としては最低ランクだが、お目見え資格のある旗本とない御家人では先行きの可能性が大きく異なる。
「今後は諱で呼んだ方がいいか。何だっけ?」と時龍。
「頼友です」
「よりともって、お前、幕府でも開くのか」
「字が違いますよ。ただ、毎度そう言われるので、日常は左門とお呼び下さい」

 駒木左門は算術の才を評価され、幕府の勘定所に配属された。念願の文官仕事だが、勘定所と言えば秀才のたまり場。新人にも容赦なく、死ぬほどこき使われているそうだ。

「えっと、こちらですね。東側が松本様、西側が島田様です」
「駒木、じゃない。左門殿、忙しいところ手間を取らせて申し訳ない」と、友盛が会釈した。
「嫌ですよ、他人行儀な。お二人には今後とも世話になると思うので、よろしくお願いします」
「ああ、こちらこそな」

 半蔵門の正面は麹町である。門を出て堀を渡ればすぐ。そして、この一帯は、万一の際、甲州街道への退き口となる。故に、江戸開府以来、特に信頼の厚い譜代大名や旗本の屋敷で固められていた。
 その要地の、現代で言うと麹町警察署の向かい辺りに十軒ほどの旗本屋敷が密集しており、友盛と時龍の二人が与えられた屋敷は、その中に並んであった。

「これが新居か。凄いな。本当にお屋敷ですよ」
「ああ、立派なものだ」
「しかし、友盛さんの方が広いじゃないですか。倍はありそうだ」
「こっちは御用絵師としても働くからな。工房や蔵なんかも建てないといけないんだよ。ともかく、ここからなら毎日城に通うのも苦にならんな」

 甲府藩士から幕臣に転じた者たちは新しい身分役職に応じて屋敷を与えられている。面積も重要だが、さらに重要なのは城との距離である。当然、近いほどよい。そして、友盛と時龍が与えられたのは主君の居所たる江戸城西之丸に直ちに駆け付けられる場所。二人が家宣の側近であり続ける何よりの証となろう。

「とりあえず、お疲れさん。じゃあ、後でな」
「ええ」
 友盛と時龍は多少照れた感じで挨拶を交わすと、それぞれの屋敷に入って行った。

 松本家の屋敷は広さ約千坪。しばらく空き家だったからか。門から母屋までの間はほとんど土がむき出しの状態で、殺風景この上ない。取り急ぎ雑草だけは抜いたというのが丸分かりだ。

 玉砂利でも敷くか。いっそ苔を貼ろうか、などと足を止めて考えていると、玄関に一人、若い娘が出てきた。

「父上、お帰りなさいませ」

 おりんだ。甲州街道で初めて出会ったとき、痩せっぽちの小汚い子供だった彼女は、江戸に来てから年々娘らしく、そして美しくなっている。しかし、外見とは裏腹に、言葉遣いや挙措動作は不安定なまま、だったはずだ。

 それが、今日の姿はまごうことなき武家のお嬢様である。流水と花菖蒲をあしらった美麗な振袖を身にまとう。帯は濃紺地に花唐草文、これは西陣の上物。そして、きっちり高島田に結い上げた髪には牡丹の細工の入った両天簪。その姿できっちり正座し手を付いている。声のトーンまで変わったような。

 友盛が玄関に入ろうとすると、おりんがすっと右の手の平を向け、止められた。彼女が横を向いて言う。
「母上。父上のお帰りです」
 すると、横の廊下からわらわらと人が出て来て二列に並んで座った。

 前列は女性二人。まずは友盛の妻・松本志乃。彼女もこれからは「奥様」と呼ばれる。その右隣におりん。正式に友盛・志乃夫妻の養女となり松本鈴と改めた。旗本松本家の跡取り娘である。

 後列に男性三名と女性五名。男性は松本家の家臣たち。筆頭は家宰(大名の家老に相当)となる高木臣吾。彼は友盛旧知の塩山の大庄屋・高木治兵衛の三男で、当年三十五。

 次いで、徒士頭・狩野吉蔵、二十四歳。志乃の遠縁の若者だ。馬庭念流を遣うということで、外出時の警護役によい。

 そして、徒士兼お鈴に次ぐ絵画の弟子・餅つき金ちゃんこと米田金七。町絵師・伊藤文竹の工房で出会ったときはまだ子供であったが、すでに十八。背も伸び、立派な青年になっている。

 一方、女性五名は、高木臣吾の妻・富(三十歳)と娘・滝(十六歳)。狩野吉蔵の妻・よし(二十二歳)。残る二人は下働き。年長のはつ(三十八歳)は元浜屋敷の下女である。浜屋敷は主を失い一旦閉鎖となったので、かねて働きぶりに感心していた志乃が引き抜いたのだ。そして、若いすみ(十六歳)は鉄砲洲の表通りに店を構える八百屋の女将・おつるの縁者で行儀見習い。嫁ぎ先が決まるまでという約束である。

 女主である志乃が手を付いて頭を下げると、皆がそれに倣った。
「殿様、お帰りなさいませ」

「お、おう。今、帰った」
 ぎごちなくそう答えた当主の松本友盛。彼を加えた総勢十一名が、旗本松本家の立ち上げメンバーということになる。

 出来れば家臣をもう一人、その他に足軽や中間なども欲しいところだ。ただ、友盛の場合、御用絵師として工房を設けねばならない。実家の竹川町狩野家の画塾を兼ねた工房には常時三、四十人の絵師がいた。それも含めてしっかり考えて家中を整えて行く必要がある。

 夕方、隣から島田家の面々がやって来た。

 旗本島田家は、当主の時龍、妻の美咲、そして長男・竜太郎と長女・美雪の四人家族である。聞けば、正規の家臣は二人だけで、代わりに足軽二名を雇った。下働きは中年の夫婦、とのことだ。

 型通りの挨拶を終えた後、庭に面した書院で会食となった。
「しかし、これが甲州街道の痩せこっけた小娘とはな。いやはや、立派になったものだ」と時龍。
「恐れ入ります。島田の小父様も今ではお屋敷住まいのお殿様。ご立派になられて何よりですわ」と、お鈴も負けずに言い返す。
「ははは」
「ふふふ」

「二人ともいい加減しろ。我ら全員、程度の差はあれ成り上がりであることに変わりない。まあ、成り上がれただけ立派なものだ。まずはそれを喜ぼうじゃないか」と友盛。

「おっしゃる通り。信じられない程のご出世ですわ」
「本当にそうですわね」
 最後に志乃と美咲、両家の奥様がまとめた。役回りは、身分が変わっても変わらないものらしい。

 翌日、友盛と時龍は正装して登城し、西之丸御座之間において主君たる将軍世嗣・徳川家宣に拝謁した。

「二人とも、久しぶりだな。それで、甲府の様子はどうか」
「はっ。ご懸念には及びません。万事落ち着いております」
「そうか。飛ぶ鳥跡を濁さずと言うからな。これでひと安心だ。大儀であった」
「ははっ」

 その後、家宣に促されて顔を上げた。相変わらずの穏やかな丸顔、気さくな語り口。羽織に入っている家紋も元々三つ葉葵なわけだから何も変わっていない。しかし、友盛の目にはやはり主がひと回り大きく見えた。

 家宣は将軍世嗣となり、官位も従三位権中納言から従二位権大納言に上がっている。正二位内大臣を兼ねる将軍綱吉を除けば、江戸の武家社会において並び立つ者は最早存在しない。

「二人には今後も予の近くで警護の任に当たってもらう。頼むぞ」
「はっ」

 友盛に与えられた第一の役職は、新番一番組組頭というものであった。

 新番は、幕府の即応常備戦力である大番に並ぶ形で新設された。主な任務は将軍世嗣の身辺警護と西之丸の警備である。番頭の下に四人の組頭がおり、各組は番士五十名、与力十名、同心二十名という編成。全員が元甲府藩士であった。
 番頭は四千五百石を与えられた元甲府藩江戸家老・安藤美作が務める。ただし、番頭は基本的に調整役で、事実上、筆頭組頭の友盛が将軍世嗣の親衛隊長と言っていい。時龍は、副長格の新番二番組組頭に任じられた。

 帰り道、厳つい枡形の半蔵門を出たところで時龍が口を開いた。
「あっ、新番衆の詰め間(控え室)を確認してませんよ。西之丸のどこになるんだろう?」
「いや、本丸の土圭之間だそうだ」
「えっ、本丸? 何で? 新番衆は世嗣様の護衛でしょ」
「そうだが、上様はこれまでの将軍世嗣とはお立場が違う。これまでの世嗣はあくまで次の将軍だった。政に関する権限はなく、西之丸で研鑽を積む日々を過ごすだけだった。しかし、上様は新たな幕政の主宰者としてその地位に就かれた。今後は、西之丸が本丸を支配する形になるんだ」

「つまり、我らは本丸を支配するための占領軍ってことですか」
「その表現は物騒に過ぎるだろ」
「まあ、いずれにせよ、間部様のお知恵でしょうね」
「間部様ではないよ。越前守様だ」
「そうでした。しかし、何か遠い存在になってしまったような気がするなぁ」

 甲府藩は御三家に並ぶ家格を誇っていたとは言え、一大名の用人だった男が、わずか半年で幕閣に名を連ねている。
 本来、若年寄になるには譜代大名で、かつ、奏者番や寺社奉行を数年務める必要がある。友盛たちが江戸を発つ前三千五百石の旗本だった間部はすでに一万石の大名になっているが、幕府内でのキャリアは当然ない。にもかかわらず、若年寄の席を与えられた。今は「格」の付いた仮免状態だが、それは一時のこと。二万五千石以上、さらに京都所司代や大坂城代を経た後に就くのが一般的な老中に昇るのも時間の問題であろう。普通なら十年二十年かかるところをわずか半年で。権力には、こうした魔法のような一面がある。

「お帰りなさいませ」
 玄関で綺麗に手を付いて迎えた娘の背後に見慣れない衝立があった。
「ただいま。お鈴、それは何だ?」
「これですか。衝立ですけど」
「それは分かるが、今朝までなかっただろう」
「はい。先程表具師が持ってきたのです。甲斐から見た富士は、上様が最初に気に入って下さった画だと母上から伺いました。玄関に衝立くらいなければ格好がつかないでしょう。そこで、父上が描き溜めていた中から一番いいと思ったものを選んで仕立てさせたのです」

「そうだったか」
 かつて、勘当同然に竹川町の屋敷を出されたとき、最後に目に入ったのは祖父・狩野尚信の筆による衝立であった。あれには何が描かれていたか。そんなことを思いながら式台に上がる。ふと衝立の裏面に目が行った。水墨で松が描かれている。落款に「狩野鈴女」とあった。お鈴の筆名である。
 目が合うと、彼女が得意気に微笑んだ。
「ふふ、如何です? なかなかでしょう」
「馬鹿者。私と共作など十年早い」

 この日、友盛は主君から土圭之間詰め番士とは別に、もうひとつ役職を与えられていた。

 幕府御用絵師、しかも狩野派総上席としてである。

 江戸幕府の御用絵師には漢画を基礎とする狩野派と大和絵系の住吉派があるが、勢力としては狩野派が九対一で圧倒的に優勢で、事実上、狩野派のトップたる総上席が御用絵師全体を統括することになる。

 御用絵師は単なる画家ではない。美的センスを要する幕府の全ての業務にかかわる。大は御殿や社寺の造営から、小は細々した物品の調達まで。そして、幕府のやり方に三百諸侯が倣う。つまり、幕府の御用絵師、特にその筆頭は、この国の美のスタンダードを決める者なのだ。現代の役職に置き換えるのは難しいが、敢えて言えば、東京芸術大学の学長と東京国立博物館の館長、さらに文化庁長官を兼ねるくらいの地位である。

 画壇の名門の出ではあっても、絵師として表立って活動してこなかった男がいきなりこの地位に就いた。ある意味、間部越前以上の大出世であり、正に魔法のような人事であった。

次章に続く