【第22章・応山公の名物裂】狩野岑信 元禄二刀流絵巻(歴史小説)
第二十二章 応山公の名物裂
熙子の威厳に打たれ、家臣一同が平伏する中、綱豊も顔面蒼白だ。しかし、徳川将軍家をなまくら刀や猟犬に例えられては堪らない。
「お照、言葉が過ぎる!」
「殿、落ち着いて下さいませ。皆も面を上げよ。話し辛い」
熙子はそこで一転、慈母が子供に言い聞かせるような優しい声音になった。
「よろしいですか。わたくしは、決して武家を蔑んでいるのではありません。むしろ貴んでおる。世を平穏に保つには、武家の力が必要なのです。強き武家あってこそ、上は畏き辺りから、下は庶民に至るまで、安心していられるのです」
そこで、新井白石が熙子の考えに疑問を呈した。
「恐れながら申し上げます。無論、武力の重要性を否定するものではありません。されど、東照神君が江戸に幕府を開き、太平の世を実現して既に百年。いつまでも武を政の中心とは出来ません」
学者とは偉いものだ。吉之助は、熙子に堂々と反駁する白石の勇気に驚いた。間部なども目を白黒させている。
が、近衛熙子という女性は、さらに上を行く。
「太平の世ですか。しかし、悲しいかな、永遠の平和などない。治にいて乱を忘れず、という言葉を知らないのですか」
「そ、それは・・・」
「そもそも、今が太平の世ですか。なるほど、国内は一応治まっています。しかし、目を外に転じれば、明国を滅ぼして新たに立った清国は、かつての蒙古と同じ騎馬の民とのこと。国内の平定が済めば、外に兵を向けて来ぬとも限らぬ。そして、南方では、すでに数多の島が南蛮人や紅毛人の手中に落ちたと聞く。その支配地ではキリスト教への改宗を強要され、従わぬ者は殺されるか奴隷にされるか、だそうな。おぞましい限りじゃ。さらに、北の蝦夷地でも、年々オロシャ船との接触が増えているというではありませんか。もし、その内のひとつとでも事を構えることになれば、どうなりますか。いざとなれば、国内とて一枚岩とは言い切れまい。要するにじゃ、太平の世など、所詮、画に描いた楽土同様、幻に過ぎぬ」
近年、歴史研究が進み、江戸幕府は鎖国政策をとった後も、想像以上に、海外の情勢に注意を払っていたことが分かってきた。
それはそうだろう。世界的な弱肉強食の時代である。日本自身、前の豊臣政権下とは言え、大陸に攻め込んでいる。江戸幕府も薩摩藩を通じて琉球を支配下に置いた。そして、明という大帝国の滅亡。これは衝撃だったに違いない。さらに島原の乱。蜂起したキリシタンの背後にスペインのフィリピン総督などの存在を疑わない方がどうかしている。
その後も国際情勢は厳しさを増すばかり。ただ、この物語の舞台となっている江戸中期の前半については、日本は完全に蚊帳の外にいられた。その後の流れを見れば、単なる幸運に過ぎない。しかし、幕府、特に政権中枢は、将軍綱吉の性格もあって完全に内向きになっていたのである。
「お照。そのようなこと、どこで?」
「この程度のこと、御殿の奥にいても分かります。殿、よい機会ですからお尋ねします。殿は、将軍になりたいのですか。なりたくないのですか」
「無論、なりたいと思う」
「ならば殿。殿が次期将軍に相応しいことをお示し下さい。世を治めるにあたり、文を重んじるのも結構。法を整備することも大事でしょう。されど、武を侮り、軍備を疎かにしてはなりません。何より、武家の棟梁たる者、一朝事あれば、帝の剣となり盾となり、自ら進んで血の穢れを引き受けるくらいの覚悟がなければ困るのです」
「分かっている。分かっているとも」
「ふふふ、頼もしいこと。ならば殿、迷うことはありません。鶴御成をやりなされ。見事に鶴を仕留め、帝に献上するのです。徳川将軍家が今後も天下の守護者であり続けると、殿ご自身が世に示すのです」
「わ、分かった」と、綱豊が声のトーンを一段上げてはっきり答えた。
「皆も分かりましたか。皆、殿のお覚悟を心に刻みなさい。そして、一丸となって殿をお支えするのです。よいな」
「ははっ」
「ところで、間部」
「はっ」
「出羽守は、具体的に何と言ったのですか。殿お独りでせよと?」
「い、いえ。出羽守様は、単に公方様に代わって鶴御成をするように、とのみ・・・」
間部の答えに満足そうに微笑むと、熙子は駄目押しの言葉を吐いた。
「ならば、歴代将軍の例に倣い、殿の御名で諸大名を集め、盛大に狩りを催しましょう。それにより、殿こそが次期将軍であると、誰の目にも明らかになるでしょう。殿、ここは勝負所でございますよ」
「うむ。お照の言う通りにしよう。詮房、準備を整えよ。皆も協力してくれ」
「ははっ」
まず綱豊が立ち、綱豊の差し伸べた手を取って熙子も優雅に立ち上がる。そこで、熙子が綱豊に尋ねた。
「殿。狩野吉之助とはどの者ですか」
「吉之助、面を上げよ」
「はっ」
「おや、絵師にしては随分と厳めしい面構えですこと」
「お照。吉之助は狩野家の出だが、長年甲斐で山役人をやっていたのだ」
熙子は、「そうなのですか」と言って、吉之助の顔をもう一度見た後、床の間の方に目を向けた。そこには、吉之助が描いた富士図が掛けてある。表具の仕立て直しも済んでいる。
「狩野。この富士、見事です。殿もわたくしも気に入りました」
「恐悦至極に存じます」
「それと、この中回しは、祖父・応山様ゆかりの名物裂と見たが、如何?」
中回しとは掛け軸の部位で、画の描かれた本紙を取り囲む部分である。そして、応山とは、熙子の祖父・近衛信尋の法名である。信尋は後陽成天皇の皇子だが、兄・後水尾天皇を支えるために近衛家に養子に出た。政治家としても有能であったが、能書家としてさらに名を馳せている。また、優れた茶人でもあった。
吉之助は、近衛信尋が帛紗などに好んで用いた独特の唐草文金紗の裂地と同じものを、自作の富士図の表装に用いたのである。
「ご明察でございます。殿から、御前様にも御覧いただくと伺っておりましたので」
「おい、吉之助。予は、裂のことなど聞いておらぬぞ」と綱豊。
「ふふふ。殿、種明かしなど、興醒めというものです。いや、待て。狩野、そなた、もしやわたくしを試したのか」
「め、滅相もございません。け、決して・・・」
「まあ、よい。それにしても、この裂地、よく手に入りましたね。都から取り寄せたのですか」
「いえ、江戸にて調達いたしました。元御用絵師で今は表具師を生業とする勝田家に相談いたしました」
「よく気付きました。狩野吉之助、今後とも殿の御ため、しっかり励むように」
「ははっ」
綱豊と熙子の退出後、間部が一同に今後の段取りについて簡単に説明し、散会となった。吉之助は、最後に御成書院を出た。障子戸を閉めるとき、床の間に掛けられた「甲斐国富士図」にもう一度目をやる。
思えば、自作の画をきちんと表装し、ひとつの作品として他人に納めたのは初めてだ。しかも、藩主夫妻に、気に入った、と言ってもらえた。やはり嬉しいものである。
吉之助が一同の背を追って大広間の横の廊下を歩いていると、竜之進が話しかけてきた。
「驚きましたね」
「何が?」
「御前様ですよ。新年行事などで遠くからお姿を拝した限りでは、さすが摂関家の姫君、何と雅な方かと思っていましたが、全然違いますね。あれはまるで、話に聞く北条政子だ」
「ははは、尼将軍か。竜さん、上手いこと言うな」
「しかし、我々は、殿を次の将軍職に就けたいのですよね」
「そうだな」
「でも、殿が将軍になったら、徳川の天下はあの方に乗っ取られそうですよ。いいんですかね」
「はっははは。そうかもしれんが、その心配は早過ぎるだろ」
「ですかね」
「それより、大丈夫なのか」と、今度は吉之助が心配顔になる。
「何がです?」
「何って、鷹狩だよ。殿は、鷹狩はお得意なのか。御前様は威勢よく、次期将軍としての武威を示すなんておっしゃっていたが、逆に、恥を晒すことになる恐れはないのか」
「あっ」
同時に、少し前を歩いていた間部と安藤美作が揃って振り返った。まずいな、という彼らの表情から、推して知るべし、であろう。
江戸時代、関東周辺にも鶴が飛来した。歌川広重の名所江戸百景の中にもある。しかし、まだ七月中旬、蝉の声が騒がしくなり始めたばかり。遥か遠いシベリアから越冬のために鶴が飛来するのは、少し先のことである。
次章に続く