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【第25章・帰り道】融女寛好 腹切り融川の後始末(歴史小説)

第二十五章  帰り道

「新十郎さん、お待たせ」
「あっ、お栄様。終わりましたか」
「ええ、終わりました」
「おや。町田先生もご一緒ですか」
「はい。しかし、お供の方がいらっしゃるとは。私は不要でしたね」

 栄と蘭方医・町田昌豊は、阿部家上屋敷を出て、呉服橋御門の番所で狩野新十郎と合流した。三人は揃って浜町狩野屋敷に向けて歩き出す。

 すでに深夜九つ(ほぼ午前零時)を回り、文化八年(一八一一年)一月十九日から二十日になっていた。真冬の真夜中にもかかわらず、栄はちっとも寒さを感じない。
 備中守とのやり取りで頭を使い過ぎたか、後頭部から首筋の辺りに熱を感じる。寒風がむしろ心地よい。

 備中守との話し合いは、まずは成功したと言えるだろう。しかし、話の最後に伊川栄信の名前が出てきたことが気になる。

 融川は、近江八勝を描くにつき、空にたなびく雲を金泥と金砂子で描いた。その際、従来のベタ塗りではなく、濃淡をつけて塗ることで遠近感を出した。金を、豪華さではなく、空間の広がりや奥行を表現する道具として用いたのだ。この技法が、公儀御用の大きな仕事で用いられるのは初めてであろう。

 備中守の話では、そのことについて、伊川栄信が否定的な意見を述べていた、ということだ。
 しかし、金泥・金砂子の使い方において、最も先進的なのが、誰でもない、伊川栄信その人なのだ。融川も伊川に学ぶところが多く、今回の屏風制作に当たっても、節目節目で伊川に意見を求めていた。

 解せぬ。伊川栄信を問い質す必要があるだろう。下手をすれば、せっかく得たあの書付が無駄になってしまう。

 栄は、自分の考えに浸りつつ、黙って歩を進めていた。真夜中である。各町の木戸や橋を通行する際、その都度、木戸番屋や橋番所で誰何された。しかし、阿部家の家老が気を利かせて、鷹羽の定紋入りの提灯と、阿部家御用の往来であることを証する書状を持たせてくれたので、どこも難なく通れた。

 さすがに沈黙に耐えかね、日本橋を渡り切ったところで新十郎が尋ねてきた。
「お栄様、それで、談判は上手く行ったのですか」

 栄は、ハッと我に返った。ふぅ、これ以上はここで考えても仕方ないか。思考を切って新十郎に応じる。
「談判なんて、そんな大それたものじゃありませんよ」
 すると、「いやいや、凄かったですよ。まあ、確かに談判じゃないかな。ほとんど怒鳴り合いでしたから」と、町田が横から言った。

「えっ。お栄様、お大名相手に怒鳴り合いを?!」
「失礼な。怒鳴ってません」
「いや、あんなに声を荒げた備中守様も初めて見ましたが、お栄殿も負けていませんでしたよ」
 町田が少し遠い目になった。栄に自覚はないが、第三者の町田から見ると、かなりひどい状況だったようだ。

「よく無事でしたね」と、新十郎はもはや呆れ顔である。
「まったく、お栄殿が、畳をバシッと叩いたときには、警護の侍が飛び出して来るかと思いました。正直、生きた心地がしませんでしたよ」
「お栄様、そんな事まで」

「やったかしら。やったか、な・・・」
 町田先生め、余計なことを。新十郎はこれまで、栄に対して、常に冷静で知的な姉弟子という印象を持っていたはずだ。台無しではないか。

「で、でも、警護のお侍なんて、いましたか。襖の後ろですか。気配はなかったと思いますけど?」
「大名のああした部屋は、隠し扉とかあるのが普通でしょう」
「隠し扉ですか。備中守様の後ろの床の間に漢詩のお軸が掛かっていたじゃないですか。あの後ろでしょうか。あの壁が回るのかしら」
「さあ。私は、横の違い棚の下の戸袋あたりが怪しいと思いましたけど」
「でも、あそこから刀を持って這い出して来るって、相当大変じゃないかしら」

「お栄様、そんなことはどうでもいいですよ。それで、どうなったのですか」
「話の中身は、お屋敷に戻って奥様と長谷川様に報告してから、ですよ」

 すると、そこで町田が表情を改めた。
「内容はともかく、本当にお見事でした。あの備中守様から見事に一本お取りになった。驚きました」
「そうなのですか。やはり、お栄様がやってくれたのですね」

 栄は、町田の眼差しが思いのほか真剣なので、何やら気恥ずかしくなってきた。
「町田先生、大袈裟ですわ。新十郎さん、ち、違うのです。そう、運がよかっただけです。たまたまあちら様と利害が一致したというか。あちら様が深追いしなかったというか。備中守様が、意固地な方でなくて助かりました」

「そうですね。基本的に悪い方ではないのです。出世第一という面はありますが、ああいうお家柄ですから、それは仕方ありません」

「ところで、町田先生は、備中守様から随分と信頼されているようですけど、お召し抱えの話でもあるのですか」
「いえ。ええと、三年ほど前でしょうか。備後福山藩が担当する台場修築の作事現場で大きな事故がありまして、随分と怪我人が出ました。その時、医学所総出で治療に当たったのです。私は、杉田先生の使者として何度か藩邸を訪れ、状況説明を。それが縁で、西洋医学や海外事情について、ときどき尋ねられるようになりました」

「そうなのですか。あと、備中守様が、今後は町田先生を頼るとよいとおっしゃっていましたけど、あれはどういう意味でしょうか」
「あれですか。私は、一応、近江堅田藩の藩士で、ご主君の堀田摂津守様は若年寄を務めておられます」

 堀田摂津守、名は正敦。今は近江堅田一万三千石の藩主だが、本来、仙台六十二万石の第六代藩主・伊達宗村の八男である。
 八男であるから家を継ぐ望みはほとんどなく、飼い殺しになるしかなかった。飼い殺しと言っても、六十二万石の藩主一族だ。何不自由なく裕福に暮らせたと思うが、この人は、仕事がしたかった。特に幕府の中枢で働きたかったようで、元服後、譜代大名や高級旗本を中心に養子先を探して自ら運動した。

 そして遂に、譜代の名門・堀田家の分家の娘婿に納まった。幕府に出仕した当初は松平定信に近かったが、後に対立し、今は阿部備中守と同じ将軍派に属する。
 摂津守は晩年、下野佐野一万六千石に加増転封となるが、何より、七十六歳で死ぬまで、四十二年の長きにわたり若年寄の職にあり続けた。なかなか興味深い人物である。

「奥絵師は若年寄支配ですから、そのことでしょうか」
「だと思います。ただ、私は元服して間も無く、杉田先生に弟子入りするために国元を飛び出していまして、ほとんど幽霊藩士なのです。なので、具体的に何か出来るかというと・・・」

 さらに歩き、小伝馬町の木戸を過ぎて浜町が近くなったところで町田が言った。
「お栄殿、私はここで失礼します」
「あら、先生はこの辺りにお住まいなのですか」
「いえ、私の家は八丁堀です」
「それでは全くの方角違いではありませんか。これから八丁堀までお戻りに?」
「いえ、今夜は医学所の宿直室にでも転がり込みます」

「そうですか、それなら。本当にお世話になりました」
「私は何も」
「いいえ。町田先生が間に入って下さらなければ、備中守様と話し合いの機会を持つことが出来たかどうか。恐らく、対応が後手になり、取り返しのつかないことになっていたでしょう。僭越とは存じますが、奥様や画塾の皆に代わってお礼申し上げます」
 栄がそう言うと、若い新十郎も横で軽く頭を下げた。

「そのように言っていただけると嬉しいです。融川様には身分を越えて親しく交際していただきましたから」
 町田はそこで一度言葉を切り、栄の顔から少し視線を外して続けた。
「いや、その、それにしても、よいものを見せていただいた。勉強になりました。では、新十郎殿、お屋敷まで、お栄殿をよろしく頼みます」
「はい、お任せ下さい。先生もお気を付けて」

 町田は、数歩行って振り返り、改めて会釈をしてからまた歩き出した。その背中を見ながら新十郎が呟いた。
「ありゃ、お栄様に惚れちまったな。間違いありませんよ」
「ば、馬鹿なことを。よいものを見たとおっしゃっていたでしょう。黒書院にあった探幽様の襖絵のことですよ。本当に見事でしたから」
「いやぁ、違うと思うなぁ。医者なんだから、襖より人を見ていたに決まってるじゃありませんか」

次章に続く

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