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【第31章・上野出陣始末】狩野岑信 元禄二刀流絵巻(歴史小説)

第三十一章  上野出陣始末

「美作、帯刀、すぐに出陣だ。目指すは上野寛永寺! 詮房、そなたは屋敷に残り、後方支援と幕閣との連絡を頼む」

 綱豊が家臣に下知した。声が上ずっている。今にも駆け出しそうな夫を熙子が止めた。
「狩野、偵察してきたことを殿に報告しなさい」

 吉之助は一礼して進み出ると、藩主夫妻の前に広げられた地図上を指し示し、寛永寺までの進出経路と現地での消火態勢について腹案を述べた。綱豊はさかんに頷いているが、すでに、心ここにあらずという感じだ。

 上野寛永寺。江戸市中に大寺院はいくつもあるが、そこは別格である。天下の覇者・徳川将軍家の菩提寺であり、かつ、江戸の鬼門(北北東)の守りを兼ねる。そのトップには、最初、家康から家光までの三代にわたって宗教顧問を務めた天海大僧正が就いた。それ以降は京都から皇族を宮門跡として迎えている。

 現代の寛永寺は上野公園の北の端にひっそりある。しかし、江戸時代においては、東京国立博物館や恩賜上野動物園を含む上野山全体を寺領とし、壮大華麗な伽藍を有していた。

 綱豊率いる約二百名の甲府藩消火部隊は、吉之助に先導され、江戸城西側の堀沿いの経路で上野を目指した。一行が寛永寺の南西に到着したとき、暮れ六つ(ほぼ午後六時)を少し過ぎていた。

「甲府中納言様、ご着陣! 各家は消火活動を続けつつ、連絡係一名を御陣に派遣し、指揮官の氏名、人員、現在の状況を中納言様まで報告せよ!」

 吉之助と竜之進は、そう叫んで回りながら、周辺が一望できる高台に上った。外はまだ十分明るい。高所から眺めると、神田一帯、広範囲に焼け野原となっている様子がよく見えた。

「そこで聞きましたが、日本橋方面に流れた火は両国から本所まで至り、両国橋も焼け落ちたそうです」
「両国橋が?! 思ったよりひどいな」
「吉之助さん、ほら、あそこ。もう神田川を越えてます。これは、ここまで来ますよ」

 吉之助は、竜之進の言葉に頷きながら、出発前、間部に言われたことを思い出していた。

 何があっても、勅額だけは守れ、ということだ。

 伽藍は焼けても建て直せば済む。しかし、帝にわざわざ揮毫していただいた勅額を、江戸に着いたその日に失えば、将軍家の面目は丸潰れとなる。そして、将軍綱吉と柳沢出羽守は、その責任を、十中八九、綱豊に押し付けてくる、というのが間部の見立てである。
 吉之助は、こんな時まで政の駆け引きか、と呆れたが、間部の眼差しは真剣そのものであった。

 上野での消火活動を終え、甲府藩の一行が浜屋敷に帰還したのは、翌朝の六つ半(ほぼ午前七時)である。

 二百名の藩士たちは揃いの火事装束に身を包み、きっちり二列縦隊で行進。遠目には勇ましく見えるが、全員装束は泥や煤にまみれ、どの顔も疲れの色が濃い。
 騎乗は三名。先頭の安藤美作、中軍の綱豊、最後尾の鳴海帯刀である。吉之助と竜之進は、網豊の左右を歩いていた。ともすれば、疲労と眠気で馬から転げ落ちそうになる主君の体を両側から支えながら。

 一行が浜屋敷の大手門を入ると、裃姿の間部が凄い勢いで駆け寄ってきた。
「狩野殿! 勅額は、勅額は?!」
「ご安心を。無事です」
「そうですか。よかった! よくやってくれました!!!」
「詮房、傍で大声を出すな。頭に響く」
「これは失礼いたしました。殿、本当に、本当にお疲れ様でございました」
「ああ」

 玄関前の広場で馬を降りた綱豊は、整列して片膝を付く藩士たちに、「皆の者、大儀であった」とだけ言うと、熙子が指揮する奥女中たちに抱えられるようにして御殿の中に消えて行った。

 次いで、家老の安藤が一同の前に立つ。
「恐らく明日になろうが、大広間にて、殿から改めてお褒めの言葉を賜ることになろう。詳しくは、それぞれの上司から連絡させる。とにもかくにも、方々、ご苦労でござった。ゆっくり休んでくれ。ひとまず解散とする」
「はっ」

 長年山廻与力として山中を歩き回ってきた吉之助も、さすがにふらふらである。とにかく、ひと眠りしたい。しかし、竜之進と共に御長屋に帰ろうとしたところで、ガシッと腕を掴まれた。間部だ。

「事の次第を伺いたい。私の部屋まで来て下さい」
「間部様。明日、いや、せめて昼過ぎまで待ってもらえませんか。正直、立っているのも・・・」
「それでは遅い。皆が寝ている間に、私にはやることがあるのです」

 竜之進が一人知らぬ顔で帰ろうとするので、その袖を掴んだ。露骨に嫌な顔をされたが、ずっと主君の側にいた吉之助と、消火現場を巡回していた竜之進、二人の話を合わせなければ状況が伝わるまい。

「家綱公の御廟所も焼け落ち、いや、本当にもう駄目かと思いました」と、吉之助は眠気を抑え込みつつ話をする。

「勅額は避難させたのでしょうね」
「いえ」
「なぜ?!」と言った間部の顔には、信じられない、と書いてある。

「火が不忍池に至ったところで、私から殿に進言いたし、そして、殿から寛永寺側に勅額と輪王寺宮様(後西天皇第六皇子・公弁法親王)のご避難を申し入れていただきました。しかし、きっぱりと拒絶されました」
「何ですと?!」

「とにかく、輪王寺宮様が勇ましい御方で。天台座主も兼ねる己が火を恐れて逃げ出したとあっては、この国の仏法が廃れる、と仰って。僧たちと共に根本中堂に籠ってしまわれた。すると殿も、宮様を残して退けるものかと堂の前に床几を据え・・・」
「なんと」

「はい。鳴海様と竜之進は消火現場に出ていたので、安藤様と話し合い、とりあえず勅額をいつでも持ち出せるように準備し、その上で、いざという時には、安藤様が宮様を、私が殿を、力尽くで引っ担いででもお逃がしいたさんと。もう、腹を括りましたよ」
「そうでしたか」

 横では竜之進も目を丸くしている。
「へえ、そんなことが。こっちは最前線で火と格闘しながら、しょっちゅう風向きが変わるもんだから、いつ火に巻かれて焼け死ぬかと戦々恐々だったけど、そっちはそっちで大変だったんですね」
「まあな」

 吉之助はそこで前に置かれた湯呑に手を伸ばし、一口すすった。中は白湯であった。
「ふう。そして、火が境内に侵入し、遂に真新しい仁王門が焼け落ち、さらに根本中堂の目前まで火が来ました。これはいよいよと思ったところで、いきなり・・・」

「雨、ですか」
「はい」
 すると、竜之進が天を仰ぎ両手を上に大きく広げた。
「いやぁ、凄い雨でしたね。たらいをひっくり返すとはあのことだ。それまで見渡す限り火の海だったのに、あっと言う間に消えてしまった。みんな、呆然としてましたよ」

「ああ、凄かったな。私は元々信心の薄い人間ですが、あの時ばかりは、根本中堂に向かって手を合わせてました」
 吉之助はその場で自然と合掌した。本当に奇跡としか思えなかった。

「その後、残り火の点検と消火に参加した各家の損耗確認を。幸い、死者は出ませんでした。そして、諸々の処置をし、最後に殿が輪王寺宮様にご挨拶申し上げてから引き揚げてきた、という流れです」
「なるほど。その時の宮様のご様子は?」
「そうですね。皆の奮闘に対して、お褒めの言葉を賜りました。型通りのやり取りが済んだ後、殿と親しくお話されてましたので、ご体調の方もまずは心配ないかと」

「そう、ですか」と、間部が怪訝な表情をした。
「何か」
「いや。今の輪王寺宮様は公方様に近い。殿のことは、よく思っていないはずです」
「そうなのですか。私は殿からずっと下がったところで平伏していたので、表情までは分かりませんが、少なくとも嫌ってはいないと思いますよ」
「それは貴重な情報です。これを機に交流を深めることが出来れば・・・」

 そこで竜之進が、目を擦りながら間部の言葉を遮った
「ま、間部様。済みませんが、その交流をどうとかは、流石に明日以降にしていただけませんか。こっちはもう限界で・・・」
「これは失礼。お二人とも、ご苦労様でした」

 歴史上、勅額火事と呼ばれる大火事は、元禄十一年(一六九八年)九月六日の昼前、京橋南鍋町(現代の銀座五丁目と六丁目の一部)の商家から出火し、北は神田から上野まで、東は日本橋から両国、本所までの広大な範囲を焼き尽くした。犠牲者は三千人に及ぶ。
 しかし、約四十年前の明暦の大火に比べると被害は大幅に軽減された。それは、夜半に降った大雨のお陰もあるが、官民挙げて、消防体制や町並みの改善に努めてきた成果でもあった。

次章に続く


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