挑戦の足を引っ張る「敗者バイアス」の面倒くささと対処法【雑記】
何か事を成そうとするときの判断を阻害するものとして、近年良く話題にあがるものに「生存者バイアス」という言葉があるかと思います。
意味としては──
それお前にしか出来ねーよ、条件が限定的すぎるよ、参考になんねーよ、ってヤツですね。
これらは、wikiの言葉にあるとおり選択バイアスの一種となっています。
で、このバイアスなんですけど、個人的にはこの生存者バイアス以上に厄介なバイアスがあるよなぁ、などと常々思っています。
それは、タイトルにある通り敗者バイアス、犠牲者バイアス、失敗者バイアス、被害者バイアスとか?意味合いとしては、何らかの理由で物事をなし得なかった者たちを指す言葉です。これは一般的ではない、思いつきで作った言葉ですけど・・・。
英語にすると victim bias , loser bias とでも言いましょうか(調べたら意図する意味合いの用語はでてきませんけど)。
意味合いとしては、やっても駄目だった/駄目だからやらないほうがいい、というような情報を提示する輩ですね。
これが、判断できる情報の少ない時期に、一番最初に人の行動を邪魔する、本当に厄介なものだと思っている。年月を経るほどに、なんて面倒なバイアスなんだ、と思う。
敗者のバイアス
人は経験的に、失敗をするとそれを回避するように行動します。それ自体は極めて当たり前のことなんですけど、多くの人々は、しばしばその経験を自身の専門外のジャンルにまで拡大して、物事達成の可否についての判断をしてしまう。それどころか、それを人に押し付けたりするよね。
隣の失敗アドバイザー
例えば絵を描いている同じ人間が2人いたとします。
で、片方が何らかの理由で挫折する、もう片方が下手であった場合、挫折したものは「俺より下手なんだからうまくなるわけない」なんて言葉を吐いてしまう。
わりとあっさり挫折したものほど強い言葉を吐いてくる。「お前に出来るわけない」と。
こういうの結構あるあるですよね。
でも、それなりに絵心のある人はみんな知っていると思いますけど、絵って訓練すれば一定水準までできるようになる習字とかと一緒だったり。
しかし、その二人はあまりにも初心者すぎて、情報も少ないので、そうであることを知らず、片方のネガティブなバイアスに引っ張られてしまう。才能というあやふやなものが必要だと勘違いして、「そうだよなぁ、無理だよなぁ」なんて思っちゃうんですよね。
こうして敗者の言葉によって、敗者バイアスによって、何者にもなれない人間が一人、また一人と生まれてしまう。
あるあるじゃない?
ルーザーペアレント
さらに敗者バイアスをかけてくる存在を紹介しましょう。
この、マイナス方向のバイアスをかけてくる人というのは、友人にはかぎらないものです。
一番大きいものの一つは、やはり身内ですよね。とくに親。親の言う「俺の子/私の子なんだから、そんなのできないんじゃないの?」は本当に、子どもの判断を鈍らせるものがある。
まさに厄介な敗者バイアスがそこにある。
内訳としては、本当にネガティブな存在として敗者バイアスをかける毒親がいますが、そうでない親も厄介です。
後者のほうを個人的には、無意識毒親ムーブと読んでいますが、これは親であるがゆえに仕方がない側面もある行動だったりします。
前提として多くの親は「子どもには人生で失敗してほしくない」というのがあるんですよね。
そして、自身が良く知らない情報/かつて失敗した物事については、「その向こう側の成功した状態やプロセスの判断」がつかないので、とりあえず保険として子が大ゴケしないように反対しておけ、というムーブをかますのです。
「本当にそれがやりたいなら、本気で協力を頼み込んでくるだろ、そうでないのは本気ではないからだよな」なんて考えちゃってね。
これがちょっと厄介で。
実は、子供は親以上に情報収集能力がないのだから、やりたいを伸ばすなら、親がやらなきゃいけないのは圧ではなく、子どもの代わりになっての情報収集だったりするんだけどね。忙しいから、それも出来なかったりしてね。
結果として、自分にはできないことだから=敗者バイアスのままに、圧だけかけて足をひっぱる。仕方がないのだけど、わかるのですけど──
あるあるじゃない?
セルフ敗者バイアス
そして最後にもう一つ。
自分を縛り付けるのは自分、という話。
先ほど一番最初に申し上げた通り、人というのは失敗すると以後それを回避するように動きます。親や友人、周辺環境によらず、自分でやってよく情報があつめられる失敗した人間は、自分で自分にバイアスをかけることがあります。
「これ、たぶん僕/私には出来ないなー」と。
コレもまた厄介な敗者バイアスなんですよね。
ほんとうは、あと1時間時間をかけたら、出来るようになっていたかも知れないことだったり、後になって、たった1つ改善すればクリア出来た物事だったり──なんてことは往々にしてある話です。
そして、世の中というのは、これらのセルフバイアスによって、ほんとうに数多の失敗者がうまれているんだよなあ、などと。
六太も言ってますよね。
「俺の敵はだいたい俺です」って。
あるあるじゃない?
ああ厄介、なんて厄介なバイアスたちなんだ。
加えて、今まで上げた一連の敗者バイアスに加えて、生存者バイアスによる「そのやり方では駄目だ」「おれはこうやった」というマウントもあるというね。
物事を達成するための障害というのは、ほんとうに色々ありますよね。
しかし、厄介事というのは、それがあると分かっていれば対処できるものであるとも思います。
で、以下、個別対処法のメモ。
生存バイアス/敗者バイアスの対処法について
個人的にそれなりに物事をこなしてきた結果として、上記2つについては以下の3つをやるしかないと思っています。
対象の情報を隅々まで集める
成功者や失敗者どちらからも何を言われても無視して手を動かす
ポジティブメッセージを共有できる仲間を作る
一つづつ解説。
対象の情報を隅々まで集める
これはね、結局物事を取り組んで達成する際の大前提ですね。
判断ができず、失敗を恐れてしまうのは、知らないから、情報がないから、なんですよね。そのため、一つの情報だけでなく複数の情報を集めて、多角的に判断する必要がある。
幸いにして、昨今はインターネッツが発達していますから、それなりの情報というのはけっこう集められつと思います。その時に必要になってくるのは、判断力についてですが、これはバイアスに警戒しながらも初期は成功者を参考にするのもいい。情報は集めた分だけ、自分の身に帰ってくるものが大きい。アンテナをはりつづけて、そして情報は集まった分だけ、判断の制度も質も取捨選択のスピードもあがっていく。
そこの労力は惜しんではいけないし、ずっと続けるべきものですよね。
そして思うのです。
何者にも成れないやつって、本当に、その成りたい対象の情報集めねえっすよね。集めろよまじで。
それは敗者の思考であり、自身へのマイナスバイアスですわよ。
何を言われても無視して手を動かす
つづいて、これも大事な物。
散々、成功者と敗者のバイアスがヤベえという話をしてきましたが、これはね、まず、こればっかりはもう無視しつづけるしかないんですよね。
というか志をもった人というのは、ある瞬間から、誰かに胸の内を話さなくなります。外野がうるさいので。一通り情報があつまったなら、それを明かすことをやめていい。
フェイクを用意したりね(くそめんどくせー)
そして、外野を売っちゃった後で最も大事なこと。
それは「手を動かす」ということ。
手をうごかしましょう。
悪人正機で吉本隆明センセもいってます。毎日コツコツ1時間って。
↑人生における万能クソ名著。
物事というのは、情報を集めるフェーズと手を動かすフェーズが必ず存在する。何者にもなれない人間は、バイアスに邪魔されて手が止まってしまうのですが、外部からの刺激をシャットダウンして、ひたすら、シコシコと試行錯誤しましょう。
これが、物事が大成するために絶対にやらなければいけないことなんですよね。手を動かすことは無心になることなので、自分で自分にかける敗者バイアスの対策にもなるっていう。
あ、手を動かせは、かくかくしかじかで、日高先生も言ってるね。
ポジティブメッセージを共有できる仲間を作る
で、最後がコレ。
一人での孤独な戦いは心がめげてしまいます。
だから、暇を見つけて、社会をドラクエをして仲間を探しましょう。
仲間はどこかにきっといます。自分というのは特別だけれど、その特別をもって物事に孤独に取り組んでいる人というのは、別に特別じゃないんだよね。同じ人間なのだから必ず何処かにいるものです。
それはジャンル違いの人でもいいのです。
そういう奴が1〜2人いると、外部からの刺激にも孤独な戦いにも耐える力になる。その相手はバーチャルでも、ネット経由でもいい。
そうして、それらの相手との間でポジティブメッセージをやりとりして、笑い合うようできたら、それだけでけっこう戦える。
人はコミュニティの生き物なので、仲間はいないよりもいたほうがいいのよね。マジで。
情報を集め、ノイズを遠ざけ、手を動かし、自他ともにポジティブであれ──で?その先に向かうは?
以上、が諸々自分をじゃまするバイアス対処法についてです。
なんのことはない当たり前のお話ですが、これを日々の生活のなかで行うことのなんと大変なことか。
で、最後にもう一つ。
条件がそろって、物事の積み上げができる環境を整えられたとしましょう。後やるべきことはなにか?
それは、達成するまでやり続けることなんですよね。
ドアをノックしつづける。
ただこの「ノックしつづける」の注意点というのも一つあるんですよね。ただやみくもでは駄目なんです。
ノックしているドアが開かないなら、日々情報を刷新し視点を変え、試行錯誤する必要はあるのです。「開かないなら同じ手法でやりつづけない」ってことも大事で。
学生時代の知り合いに、才能のあるシナリオライターがいたんですが、その人は10年投稿しつづけて、佳作は本当にいろいろ取れたんですけど仕事は得られず止めてしまった。
その人が怠ったのは、賞レース以外の選択肢の開拓です。賞レースは大賞のみデビューのチャンスが得られるけど、映像やゲーム関連の業界にいるとわかりますけど、シナリオライター自体は常に需要が一定数あって、別ルートもちゃんとあるんですよね。そっちから、少し遠回りしてドラマや映画業界にデビューした人もいる。
そういう、ノックするドアの選択肢をいろいろと探すことが、日々コツコツ手を動かすことに加えてやる必要があるものなんですよね。
入口を変えろ、別ルートを探せ
そして、現在はネットがあり、さまざまなコンタクト手法、発信手法が存在していますから、そういう手段には事欠かないとも思うのですよね。
それら八方手を尽くしていれば、いずれちゃんと然るべきところに収まるっていう。
以上、敗者バイアスと、その他の足を引っ張る者共、さらに、その対処法についての、皆さんに対する、そして自分に対してのメモでした。