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星街すいせいのビビデバPVは、新時代のVアイドルが旧メディア界隈に叩きつけた三行半だって話

ホロライブ所属VTuber星街すいせいの新曲ビビデバを最近いろんなところで見かけますねー。様々な人達がカバーしたり、ダンスを真似て披露して、曲やPVが拡散しています。

星街すいせいにかぎらず、最近様々なVTuberの活動が様々なところで目立っていますが、一連の盛り上がりを見ていると、やはり星街すいせいは現在の日本のカルチャーシーンの一番前を走っている一人だよなー、と思わせてくれるものがありました。

そんな事を言い出すと、旧メディアにどっぷり使ったカビの生えた方々の中から「所詮、サブカル界隈から出てきた動く絵じゃねーかwww」とか言われそうですが、個人的には、彼女は旧メディア主導のそれとはちょっと違う、新しいプロセスでスターダムに上り詰めた、新時代を象徴するタレントの一人だと考えいます。

それは、ビビデバをリリースしたことによって、より一層明確になったよなあ、と。

そのあたりについて、いくつか。


自力で人気を獲得したタレント

星街すいせいの特徴の一つは、自力で人気を得たタレントだってことです。

彼女はyoutubeという旧メディア主導ではない別ルートから自力で知名度を獲得していますよね。個人的には、これが実は非常に特徴的で象徴的な事だと思っています。

昔のタレントというのは、ラジオやテレビ、映画や雑誌といった既存メディア経由での売り込みが必要でした。そこには、大人たちの金儲けの都合がまずあって、それに対して時代的、世代的にマッチしそうなキャラクターをひっぱってきて、加工してリリースするような形になったものでした。

そういう売り方をしたものだけが、スターダムにのし上がるというプロセスが旧来の仕組みでした。というかスターになるにはそれしかなかった。あのAdoですら、ネットだけでは無理なので、知名度を得たあとは、メディアと音楽事務所を頼っています。

しかし、星街すいせいはそのルートをとらないですむ存在だったりします。
VTuberという存在になったことで、カバー社という旧メディアとは関係ないところから、youtubeというこれまた旧メディアの影響を受けない媒体で、自力で人気を獲得し、活動をつづけることができているのです。

それは言い換えれば、ファンの人気のみの、世間の正当な評価によっのし上がったタレントであるということでもあると思うのです。

星街すいせいの人気というのは、誰かによって作られたものではなく、誰かが見つけ、誰かが推し、また彼女自身がそのスキルとパフォーマンすによって応えたことで、自力で手にしたものなんですよね。

その純粋性や正当性が、今までのタレントではあまり見かけない価値あるものになっていると思うのです。

で、このyoutube経由の活動についてなんですが、そこにはもう一つ、あわせて得られた大きな恩恵があります。

星街すいせいは、自前でPRできて自前で金を稼げる

youtube配信者の何が強いって、やはり自前でお金を稼ぐ環境がすべて完結していることです。

旧タレントがお金を稼ぐには、番組に出演しパフォーマンスをしたり、ドラマや映画のためにコンテンツを作る必要があります。またそれ以外の手段でいえば、ライブ等は可能でしたが、そのライブの告知一つとってみても、メジャーシーンにおいては、メディアに頼らなければいけない状況がありました。すくなくとも新人はそういうことが必ず強いられた。

つまり何をやるにしても、外部の既存メディアを頼らなければ行けなかった。
しかし新時代の配信者は、それを自前ですべておこなうことができます。配信で金を稼ぎ、PRもライブ告知もできてしまいます。人の顔色を伺う必要がないのです。ファンの顔色を伺うことに専念すればいいのです。

それによって得られるものは何か?

星街すいせいは、実は強力な資本的独立性と思想的独立性を得ているんですよね。


資本と思想の独立性による強み

自前で集客とPRができるので、彼ら、彼女たちは旧音楽事務所にも、芸能界にも、メディアにも媚びなくていいのです。金があるので、代理店にこのタレントを売り込んでくれ、と頭をさげなくていい。むしろ向こうが使わせてくれと下げてくる。少なくとも立場は対等。なんなら代理店やメディア抜きでやれる。

さらに、芸能事務所や音楽事務所に頼らなくても、札束で叩いて自分の好きなクリエイターを自前で集めることが出来る。これが強いですよ。

さらにVTuberは、プラットフォームの自由さもあって、その活動の自由度が非常に高い。

通常、旧芸能事務所だと、売り込むために露出先にあわせていろいろと発信をコントロールする必要があった。メディアの都合に従う必要があった。変なことをしたらメディアから降ろされて干されるんですよ。

しかし、単体が独立採算でありメディアに縛られないVTuberは、外部にクリエイティブをコントロールされづらい。降ろされても関係ないですからね。究極的には、youtubeにBANされなければどんなことをしてもいい。つまりそこには、強烈な経済的/思想的独立性があるのです。

もちろん、売れる売れないは自己責任ではあるけれど、それ以上に、やりたいことをそのタレントの思想のままに自由にやれてしまう環境がある。これは志をもったクリエイターにとって、ほんとうに大きな強みであると思う。


さんざん繰り返されてきたメジャーとインディースのカルチャーマウント合戦に決着

で、その結果ですが──

かつてはどのジャンルにおいても、メジャーシーンとインディーズシーンって結構対立していたと思うんですよ。

インディーズシーンというのは、メジャーシーンのカウンターカルチャーとして存在していましたが、インディーズは自由度でまさっていても、メジャーシーンを上回るなんてことはなかった。

マスに太刀打ちできなかったのです。
それが、ネットメディアの発達によって逆転したんですね。人気がメジャーシーンを上回る時代になった。

この意味はものすごく大きい。

そんな界隈で、そのカルチャーの最先端にいる一人は間違いなく星街すいせいだと言っているのです。

これらの背景を加味して、ビビデバのPVを見ていくと非常に興味深いのです。

ビビデバは「所詮サブカル界隈の動く絵じゃねーかw」に対する強烈なアンサー

ビビデバの歌詞は、ディズニーのシンデレラになぞらえたものですが、内容を見れば分かる通り、現代の日本のカルチャーシーンにおいて、シンデレラの一人である星街すいせいそのものでもあります。

そのストーリーは物語にするなら以下の通り。

1.はじめ、屋根裏の埃っぽい部屋で奇跡を願っていた少女は、馬車にのってVTuberに変身してデビューして大人気になる。
2.しかしメジャーシーンには面倒くさーい大人たちがいます。あれをしろこれをしろ、お前はそんなんじゃスターになれないぞ、と。そんなウゼー既得権益者とシンデレラは大喧嘩してしまいます。
3.うんざりしたシンデレラは、ガラスの靴を投げ捨てて、テレビカメラではなく自前の自撮り棒を持って外に出る。
4.そして自由に踊ってYoutubeに配信する。「あたしは好き勝手に思いを届けるんだ」と言わんばかりに。

↑ほんとにそういうストーリーだよね、コレ。

もう明らかに「お前らとは関係ないところで俺等は好き勝手に流行ってやるんだ」という気概が見て取れますよね。今まさに星街すいせいやVTuber界隈と、旧メディア界隈で起こっている現象そのものが、ビビデバのPVの上で繰り広げられていた。

星街すいせいはビビデバで、明らかに旧メディア界隈を突き放し、なんなら喧嘩を売っているのです。「あたしたちはここから好きにやる。お前らにコレができんの?」と。PVはそういうメッセージだよなあ。

そして事実として、星街すいせいのライバーとしての活動はそうなっている。それを後押しするカバーの資金的独立性と技術もまた、新しい時代のシンデレラストーリーを体現し強烈に後押ししている。

そういう存在が彼女だってことなんです。

ええ、星街すいせいは、間違いなく日本のカルチャーシーンの一番前を走っているんです。マジで。

すいちゃん絵ころん:かのえの


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