舌で楽しむ菊の節句。和製エディブルフラワー「阿房宮」と今はなき地酒「菊駒」、そして北東北のワタリガニ
食用菊と聞いて恐らくほとんどの地域の人が想像するのは、刺身のツマとして入っているたんぽぽのような小さな花だろう。
しかし青森県南東部や岩手県の北部を中心とする旧南部藩地域や山形県では、花の直径が5〜10cmほどもある食用菊が昔から親しまれている。
これらの大きな食用菊は薬味に使われるものと比べて苦味が穏やかで花弁が柔らかく、花弁だけをむしり取って食べることが多い。料理の彩りとして使われることももちろんあるのだが、大抵の場合は茹でたものをお浸しにしたり天ぷらにしたりと料理の具材のメインとして食べる。
なお近年は双方の地域で両方の品種を見かけることも多くなったが、青森県の八戸市周辺などで昔から一般的に食べられているのは「阿房宮」という黄色い品種であり、対して山形県では「もってのほか」などと呼ばれる薄い紫色の花弁の品種が一般的なのだそうだ。
食用菊の苗はGWの終わり頃になると、青森県の南部地方や岩手県内や大きめのホームセンターに姿を見せる。
多年草のキクは一度植えると冬には一度地表の葉や茎は枯れて姿を消してしまうが、翌年の初夏には再び地表に姿を現すサイクルで10年程度は生き続ける。
鑑賞目的で大輪の花を咲かせる場合ならとにかく、病気にも強く風で茎が折れないように支柱をあてがう程度の世話で食用には十分なほどの収穫が見込める。育てやすいこともあり、この時期の産直ではよく生の状態で売られている姿を目にするが、茹でて円盤状に乾燥させたものもまた通年手に入る。
さて、9月9日は菊の節句と呼ばれており、2024年の旧暦9月9日はこの記事が公開予定日の翌日である10月11日だ。
菊の節句は人日 (1月7日)、上巳 (3月3日)、端午 (5月5日)、七夕 (7月7日)と並ぶ五節句の1つである重陽の節句が由来となっている。
陰陽思想では読んで字の如く、重陽の日は陽が強くなりすぎる不吉な日とされ様々な邪気払いの行事がかつては盛んに行われていた。その1つとして「菊の花を入れた酒を飲む」ということが日本では平安時代頃から行われていたのだという。
菊に関連のある酒ということで、青森県の地酒、如空を紹介したい。というのもかつて如空は菊駒の名前で販売されていたのだ。
如空を製造している八戸酒類は第二次世界大戦中に八戸市とその周辺のの酒造会社が統合して作られた会社だ。当時統合された酒造会社の中に、八戸市の隣町である五戸町の菊駒酒造 (統合時の名称は三泉酒造)という酒造会社があった。
この企業は当初は「三泉正宗」という名称の日本酒を製造していたのだが、昭和初期に観賞用菊の栽培や品種改良でも有名であった4代目蔵元が、菊の名前と当時はこの地域で盛んに育てられていた馬から名前を取った「菊駒」に改名。八戸酒類に統合後も八戸酒類五戸工場で菊駒の製造は続けられていた。
しかし2008年に菊駒酒造が独立。製造に携わっていたスタッフの多くが移動すると共に、八戸酒類は「菊駒」の名称を使えなくなってしまう。以降、これまで菊駒の名で販売されていた八戸酒類五戸工場の酒の販売名は如空へと改められた。
しかし菊駒酒造は売上の低迷を理由に2023年の10月に酒の生産を停止。現在菊駒が手に入るとするならば、2023年7月以前に出荷された非常に貴重なものだ。
菊駒酒造の生産停止が報道された当時は菊駒の名称は八戸酒類に戻されるのではないかという噂も流れたが、1年が経った現在もそういった話を聞かないあたり菊駒という名の酒が新たに作られることはもうないのかもしれない。
さて、今回用意したのは如空の原。
一般的に日本酒は加水して濃度などを調整するのだが、こちらは一切加水していない原酒だ。
如空は食中酒、特に五戸町の名物である馬肉汁 (馬肉をごぼうやキャベツなどの野菜と共に味噌と醤油で煮込んだ具沢山の汁物)やなんばん味噌 (細かく刻んで青唐辛子や大根などの根菜類を麹味噌で漬け込んだもの)など、味の強い料理と合わせることが前提の酒と言われている。
これらの料理に負けない味わいの如空のしかも原酒。メーカーの方でもおすすめの飲み方として水割りやお湯割りなどが紹介されている。
これは菊酒にしても味わいが負けなさそうだ。
さて、日本では菊の節句の食事というと菊酒と栗ご飯であるが、五節句の本場である中国ではこの季節に親しまれる味覚としてカニ、特に上海蟹 (チュウゴクモクズガニ)がある。
菊黄蟹肥 (菊の花が咲く時期になるとカニの肉が超える)という言葉がある通りこの時期に旬を迎える上海蟹であるが、日本に生息するカニも近縁種のモクズガニは勿論のことワタリガニのオスなどがこの時期に旬を迎えると言われている。
北東北のカニといえば、かつては以前記事にしたトゲクリガニや小型で味噌汁などに使われるヒラツメガニなどであったが、近年はワタリガニの姿も東北地方の太平洋側でよく見かけるようになった。
かつてワタリガニは四国地方など比較的暖かい地域で盛んに獲られているカニであったが、東日本大震災以降の頃から宮城県や青森県などでも盛んに漁獲されるようになった。ここ10年ほどで一気に数が増えた理由としては、海水温の上昇や津波の影響により元々岩場だった海底が砂地になったことで定着したことなどが原因といわれている。
定着の経緯を思うと必ずしも喜ばしいとはいえない北東北の太平洋の新たな恵みであるが、だからといってその旨さを味わってみない訳にはいかない。
今回はワタリガニを使い、蟹粉豆腐もどきを作ってみる。
蟹粉豆腐はわかりやすくいえば、麻婆豆腐の餡の部分を蟹味噌と蟹の身に代えたような料理だ。ゲームの原神では「かにみそ豆腐」の名称で登場しているらしい。
本来はこの時期に旬を迎える上海蟹のメスの内子のオレンジ色を生かした料理なのだが、調べているとワタリガニで作る人や中には鹹蛋 (アヒルの卵の塩漬け)をベースにカニ油やエビやカニカマなどを加えているレシピなどもある。
流石に卵を使ったものについては区別するためか「蟹黄豆腐」と表記されている場合もあったのだが、材料が高価だけに代用のレシピも多いらしい。
ワタリガニのオスの旬は身と味噌が詰まる晩夏から秋にかけてのこの季節。今回はワタリガニのオスを用意したので、この味噌と身を使うのだがあくまでも「蟹粉豆腐もどき」なので大目に見てほしい。
因みにメスのワタリガニの旬は産卵が近づき卵が詰まる冬場だ。
さて、茹で上がったワタリガニを解体し、味噌と肉を取り出す。
ズワイガニなどと比べて足の短いワタリガニではあるが、思っていた以上の身が取れる。
茹で汁の残りには殻を戻して煮詰め、冷めたら干し椎茸を入れて戻しておく。
茹で汁に溶けてしまった味噌も余すことなく使い切る。
椎茸が戻ったらフライパンに刻んだネギを入れ、油を注いで冷たい状態から加熱し香りが出るまで炒める。
そこに蟹の身と蟹味噌、そして細かく刻んだ椎茸を加えて軽く炒めた後、紹興酒と椎茸出汁を加えて煮る。
本来ならここで塩や砂糖に醤油や酢、場合によっては鶏がらスープなどを加えて味を調えるのだがここで困ったことが起きる。なんとワタリガニ、ネギ、紹興酒、椎茸の4つで味が完成してしまったのだ。確かに茹でるときに塩は少し入れたが、それ以外は一切味付けしていないのに既にこれ以上のどんな味付けも蛇足になる味がする。
強いていうならば「少し味が強すぎる」のが欠点なのだが、ここに切った後に湯通し (※)した豆腐と水溶き片栗粉を加えると……
※余談ながら麻婆豆腐の豆腐に湯通し必要か論争があるが、ここでの湯通しは余計な水分を抜いて味が薄まらない目的で行っているので蟹粉豆腐では湯通しをした方がベターな気がする
三陸産ワタリガニの蟹粉豆腐もどき、完成である。
いやどうしよう、もしかして蟹粉豆腐は上海蟹よりもワタリガニに合う調理法なんじゃないか?と思うほどに全てが噛み合ってしまっている。
ワタリガニのコクと椎茸の旨みがパズルのピースのように噛み合い、臭みはネギと紹興酒で見事に打ち消されている。さらに言うと本来の蟹粉豆腐の主役はカニである以上豆腐は豆の主張が少ない絹ごし豆腐ものがおすすめされる一方、たまたま安かったからと言う理由で木綿豆腐を使ってしまったのだが大豆の風味がやけにワタリガニに合う。蟹粉豆腐の本来ならば定番らしい胡椒を振る必要さえない。
旬だからなのだろうか、今年作ったおかず兼つまみ&今年食べたおかず兼つまみ部門で、一番美味いものを更新してしまったかもしれない。
いやしかし、この美味さの一番の鍵は間違いなく産地ならではの安価で新鮮な旬のワタリガニだろう。
特に東北地方の太平洋側にお住まいの方、安価で新鮮なワタリガニを見つけたらぜひ一度騙されたと思って試してして欲しい。
様々なものが旬を迎える菊の節句。
昨今は特に気にしない家庭も多いだろうが、連休を前に明日の週末は少し豪華に秋の味覚を楽しんでみてもいいだろう