巫蠱(ふこ)第十二巻【小説】
▼之墓簪と刃域服穂①
「服穂(ぶくほ)さん、姉さんみたいにねむれそう?」
簪(かんざし)の声が、目を閉じた状態の服穂の耳に届く。
「……立ったまま寝るなんてわたくしにはむりのようです。壁を使っても、うつらうつらしただけで、ずりおちます。なにかコツは?」
「姉さんいわく、気合い」
▼刃域服穂と葛湯香②
けっきょく服穂(ぶくほ)は立ったままねむることができなかった。
妹の葛湯香(くずゆか)のそばに移動して、文字どおり、よこになる。
「ねえ。なんでいまになって諱(いみな)のまねを」
「巫蠱(ふこ)が終わるかもしれないときです。わたくしだって研究に熱がはいりますよ」
▼之墓館と刃域葛湯香①
そのまま寝付く姉を葛湯香(くずゆか)は見ていた。
すでに簪(かんざし)も絖(ぬめ)もねむってしまっている。
ひとり館(むろつみ)だけが絵をかきつづけている。
家のあかりは消えている。暗いのによくかけるなと葛湯香は感心する。
孤独も思う。
自分はそこまで真剣に自分の終わりに向き合えない。
▼刃域葛湯香②
葛湯香(くずゆか)は自分のことを巫女(ふじょ)の「はしくれ」と思っている。
実際、巫女十二人の名前を正式に列挙したとき最後に名前を呼ばれるのは彼女だ。
その順番が優劣や上下関係でないのは分かっていても葛湯香は、筆頭巫女たる赤泉院蓍(せきせんいんめどぎ)とは対極に位置する存在でありたいのだ。
▼赤泉院蓍⑬
しかし、当の赤泉院蓍(せきせんいんめどぎ)が葛湯香(くずゆか)と正反対の真剣さを持っているかは定かでない。
というのも、蓍はきのうの深夜に自分の屋敷に帰ってきたのだが、それからほぼ一日が経過する時間ずっと、ひたすら、いびきをかいている。
その寝顔には幸せしかない。
▼赤泉院蓍と桃西社睡眠②
立場上、蓍(めどぎ)は巫女(ふじょ)の筆頭……つまり代表のような存在である。そのためか「付き人」とも言うべき者がそばにいる。
たとえば、ここ十日ほどは長身の巫女、鯨歯(げいは)が蓍と行動を共にしていた。
そして現在は、鯨歯の姉の睡眠(すいみん)が蓍のねむりを見守っている。
▼赤泉院蓍と桃西社睡眠③
だから蓍(めどぎ)が目を覚ましたとき朝の光のつぎに見たものは、彼女の顔であった。
「おはよう睡眠(すいみん)」
あくびをまぜつつ、蓍はからだを伸ばす。
対して、睡眠は笑顔で応じる。
「おはよ。つかれは、とれた?」
「まあ、たぶん。おまえのおかげだな」
「そりゃ、けっこう」
▼赤泉院蓍と桃西社睡眠④
「そうだ睡眠(すいみん)。わたしの留守中、身身乎(みみこ)はだいじょうぶだった?」
「いい子だったよ」
「ふーん。ともかく留守番ありがと」
「こっちこそ鯨歯(げいは)が迷惑かけなかった?」
「いいや。……しかしもう朝か。なんだか一日じゅう寝てた気がする」
「言葉どおりね」
「マジか」
▼赤泉院蓍と身身乎①
睡眠(すいみん)を部屋に残して、蓍(めどぎ)は屋敷の庭を踏んだ。
地面がしめっている。いまは晴れだが、きのうは雨がふったようだ。
彼女はそのまま進んでいく。向かう場所は決まっている。
水たまりのような小さな泉が近くにある。彼女はそこに飛び込んだ。
そのとき、身身乎(みみこ)の声がした。
▼赤泉院蓍と身身乎②
「蓍(めどぎ)姉様」
屋敷のほうから妹が呼びかけていたのだ。
返事をするひまもなかったのか、蓍のからだはそのまま泉に吸われていった。
その顔が浮上してくるまで十秒を要した。
対して、身身乎(みみこ)は首をふる。
蓍は大きくうなずいて、もう一度水中にもぐった。
▼赤泉院蓍と身身乎③
蓍(めどぎ)が泉に消えるのは日課のようなものである。
よそから見れば不可思議だろうが身身乎(みみこ)にとっては日常だ。これなしには、自分の姉が帰ってきたという感じがしない。
泉のそこで息をとめると質のいい瞑想ができると本人は言う。
はたして蓍は、なにを考えているのだろう。
▼巫女たち⑦
……赤泉院(せきせんいん)の屋敷には五人の巫女(ふじょ)が住んでいる。
蓍(めどぎ)、岐美(きみ)、身身乎(みみこ)。睡眠(すいみん)、鯨歯(げいは)。
彼女たち全員がそろって食事をとるのもひさびさだ。
「筆頭」
「蓍」
「蓍姉様」
「蓍ちゃ……お姉ちゃん」
「な、なにおまえら」
その日ごはんを用意したのは蓍だった。これは異常である。
▼赤泉院蓍と岐美③
ともあれ食事中、岐美(きみ)が蓍(めどぎ)に相談する。
「お姉ちゃん、各地をまわって確認したいことがあるんだけど」
「なに」
「みんなが本当に現状を把握しているかどうか。余計かな」
「いってきたら。『どうせみんな知ってるだろう』って意識がいちばんあぶない」
▼赤泉院蓍と岐美④
食後、岐美(きみ)は蓍(めどぎ)たちに見送られながら屋敷をでていく。
「あ、そうだ」
玄関のまえで蓍が岐美をすこしだけ呼びとめた。
「岐美。いろいろありがと。宙宇(ちゅうう)に手紙を届けてくれたことだけじゃなくて、本当にいろいろ」
「お姉ちゃんこそ、ごはん、おいしかったよ」
▼赤泉院蓍と桃西社鯨歯⑰
岐美(きみ)のすがたがみえなくなるまで蓍(めどぎ)はその場に立っていた。
そんな彼女のとなりに鯨歯(げいは)が近寄る。
ひざを曲げ、正座する。ちょうど蓍の手が届く距離にあたまがある。
蓍はそれを優しくなでた。感謝のつもりである。
鯨歯はだまって照れていた。
▼赤泉院蓍と身身乎④
それから蓍(めどぎ)は屋敷の部屋にもどる。
途中、廊下で身身乎(みみこ)とすれちがった。
さきほどの鯨歯(げいは)のときと同様、そのあたまをなでようとする。
が、かわされた。蓍の手がふれる直前に身身乎がしゃがんだのだ。
妹は上目づかいに姉を見ている。
「蓍姉様、お話いいですか」
▼赤泉院蓍と身身乎⑤
かくして、ふたりは屋敷の一室にて対座する。
妹の身身乎(みみこ)が話の口火を切る。
「鯨歯(げいは)から状況は聞いています。そして蓍(めどぎ)姉様がやろうとしていることも。外部と平和裏に話し合うのですね」
「うん、おまえはどう思う」
「わたしは蓍姉様の考えに反対します」
▼赤泉院蓍と身身乎⑥
「蓍(めどぎ)姉様はわたしを使うつもりでもあったとか」
「……平和的な話し合いにかぎらず御天(みあめ)の仕事を終わりにさせないのも手だったからな」
「選択肢はそれだけですか」
「第三の道か」
「いいえ。最善……第一の道です。蓍姉様が知らないふりをするならわたしが言います」
▼赤泉院身身乎⑤
「戦いませんか。
「外部と平和的に折り合いをつけようとしたところで飼い殺しになるのが目にみえます。
「また、御天(みあめ)の仕事をむりに増加させれば当人自身がおこるでしょう。
「最善は御天が終わったあと向こうに戦端をひらかせて、勝つことです。わたしたちなら可能です」
▼赤泉院蓍と身身乎⑦
「ふーん」
「……気の抜ける返事です。ここは筆頭として血気にはやる身内をいさめるのが筋なのでは」
「いいや。わたしだって御天(みあめ)を長引かせて世界平和をふいにさせようとも思っていた。
「それをたなにあげて正義をきどっておまえを非難するほうが、よほど筋がとおらない」
▼赤泉院蓍⑭
「戦うのも道。しかもそれはわたしたちにとって最終手段ではなく最良の選択肢。実際、身身乎(みみこ)の言うとおりだな。
「ただ、わたしは思う。
「万が一にも、わたしたちは負けるかもしれないと。あるいは戦う以上、わたしたちは負けなければならないのではないかと」
▼赤泉院蓍と身身乎⑧
「だからわたしは戦いたくない」
蓍(めどぎ)の口調が、はっきりしていた。
それを聞いた身身乎(みみこ)は自分の両ひざを立てる。ひざ小僧をほおにくっつけ、あらためて姉を見る。
「分かりました。負けたくないのはわたしもいっしょです。蓍姉様の愚策に、付き合いますよ」
▼赤泉院身身乎と桃西社睡眠①
姉との話をひととおり終え、身身乎(みみこ)はその部屋をでた。そして彼女は、おなじ屋敷内にある、べつの部屋へと足を運んだ。
戸をあけると、奥から人影が伸びてきた。
影の持ち主が問う。
「どっちが折れた?」
身身乎は答える。
「だれの思いも折れてはいません」
▼赤泉院身身乎と桃西社睡眠②
身身乎(みみこ)は戸を閉め、奥にいた桃西社睡眠(ももにしゃすいみん)に近づき、腰をおろす。
自分のからだを睡眠の影のなかにすっぽりおさめる。
そうすると、なぜかねむくなってくる。
就寝にはまだ早い時間帯であった。しかし身身乎はすぐに寝付いた。
つかれたのだろう。
▼赤泉院身身乎と桃西社睡眠③
睡眠(すいみん)は察した。
いま身身乎(みみこ)が自分のもとにきたのは疲労だけが理由ではないのだと。
そしてその真意をだれにも言うべきではないことも。
睡眠は、身身乎をそっとおんぶして、身身乎自身の部屋へと移動し、ふとんを敷いて、彼女を寝かせて、ささやいた。安心して、と。
(つづく)
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