巫蠱(ふこ)第十五巻【小説】
▼卯祓木④
「もちろん、おたがいに納得したうえでの別れです」
「……よければ、くわしく」
ここで誇(くるう)たちは移動する。いつまでも廊下で話し込んでいては、ほかの客の迷惑だからである。
宿泊施設「卯祓木(うばらき)」には自由に立ち入っていい中庭があって、そこでならじっくり話せそうだ。
▼宍中誇⑪
中庭にしつらえてあった長椅子のひとつに腰掛け、ふたりは話を再開する。
「まず確認したいんですが、伴侶のかたとの仲直りは成功していましたよね」
「誇(くるう)さんの仕事は完璧でした」
「そのあと破局ですか」
「いえ、最初からわたしたちは別れるために仲直りしたんです」
▼宍中誇⑫
「仲違いした状態で別れたら、それが記憶にこびりついて、これからもずっと相手に囚われ続けるんじゃないか……という怖さがわたしたちにはあったんです」
「なるほど、たがいに許し合ったうえで、後腐れなく別れたかったと」
「だまっていてすみません」
「いいんですよ」
▼宍中誇⑬
「あなたたちがわたしの仲間の視点を求めたのにも合点がいきました。今回の仕事が上手くいきすぎるのを心配したんでしょう。確かに、たとえば筆頭蠱女(ひっとうこじょ)なら別れの気持ちも受け容れたはず。
「しかしあのけんかと仲直りを見ていたのは、冷静で冷酷で冷笑的な目でした」
▼宍中誇⑭
「ああ、誇(くるう)さんのとなりにいた……あの人だけはわたしたちの真意を見抜いていたようです。
「別れるために仲直りしたとはいえ、たがいを許し合えたのならもう別れる必要もないのでは……離別する未来まで許し合ってもいいのか……そんな視線をわたしたちは感じたんです」
▼宍中誇⑮
「後腐れない別れを求めた結果、かえって未練を残したんです。これからどうすべきか……揺れ始めたわたしたちは、ある実験的な約束を交わしました。
「ひとまずこの場は別れる。一年以内に再会した場合はあらためて伴侶になるか確認し合う。期限をすぎれば永久に友人」
▼宍中誇⑯
ここで相手は言葉を中断した。そして中庭の出入り口のほうに顔を向ける。
「おや、どうしました」
相手は長椅子から立ち上がり、背中を向けたまま誇(くるう)に問い返す。
「……誇さん、これはあなたの仕業ですか」
「なんのことです。わたし、ただで仕事はしませんよ」
▼宍中誇⑰
誇(くるう)の元依頼人が驚いたのも無理はない。別れたはずの人物が、前触れなく視界に映り込んだのだから。
再会したふたりはたがいに駆け寄り、約束どおり意思を確認し合った。
もともと別れる気だった。伴侶にはもどれない。
「だからもう一度、出会ったころから始めよう」
▼宍中誇⑱
「でも本当にまた会えるなんて。別れてそんなに時間も経っていないのに」
「しかも例の約束について話しているときに」
ふたりの視線が誇(くるう)に集中する。まだ彼女は長椅子に腰掛けていたのだ。
「……都合がよすぎるってことですか。いいじゃないですか、奇跡ってことで」
▼宍中誇⑲
「それもありえない再会じゃない。ふたりの思考は似通っていて、けんかを見たかぎり体力も同等。このあいだ別れたばかりなら、すぐ遠くには離れられない。
「なにより忘れていませんか。ここは卯祓木(うばらき)。ひとりになった者だけが、立ち寄る場所じゃないですか」
▼宍中誇⑳
もうこれ以上、誇(くるう)は言葉を重ねなかった。
元依頼人のふたりは卯祓木(うばらき)から出て行くと言う。
「感謝します。少なくとも、この中庭での誇さんとの会話がなかったら、わたしたちは会えていなかったように思われます」
「わたしこそ、いいものを。では、お達者で」
▼宍中誇㉑
ふたりは中庭の出入り口をとおって消えた。
しかし声が届く。
「そういえば誇(くるう)さんと話しているとき、なんであそこに」
「わたしはきょう来たんだけど、部屋のなかに寝具以外なにもなくて退屈だったから施設内を見てまわってた」
「へえ……」
聞き取れたのは、ここまでだ。
▼卯祓木ソノと宍中誇③
しばらく誇(くるう)は、ひとり中庭に立っていた。
「あんた、やっぱりまだいたの」
誇に声をかける者が現れたのは、ちょうど太陽が真上にのぼった時刻であった。
彼女はソノ。ここ卯祓木(うばらき)の経営者である。
「……誇、なんかした?」
「なにもしてないよ」
▼卯祓木ソノと宍中誇④
さきほどまでソノは受付の仕事をしていた。そのとき、ふたりでここを去る客があった。
卯祓木(うばらき)はひとりで来た人だけが泊まれる宿泊施設だから、その違和感は大きかった。
ソノは考えた。くしくもきのうここに来た、誇(くるう)が関係しているのではと。とはいえ確証も確信もない。
▼卯祓木ソノと宍中誇⑤
ただし誇(くるう)はソノの質問にまともに答えなかった。しかも逆に問うてきた。
「なんで卯祓木(うばらき)って、おひとりさま専用なの」
「……ここは孤独にある人のための仮初めの宿。もしそんな場所に友達や家族を連れた幸せそうな人がやってきたら?」
「場違いって思われるかも」
▼卯祓木ソノと宍中誇⑥
「思われる、ねえ。そういやあんたは『思われる者』……蠱女(こじょ)だっけ。あんたらって実際なんなの」
「人間だよ」
「むしろあんたらの不可思議さが中途半端であることが気になる」
「杖を振っても全部元通りになるわけじゃないからね」
「そこまで夢は見ていない」
▼宍中誇㉒
こうして誇(くるう)は卯祓木(うばらき)をあとにした。
「でもあの中庭……わたしたち以外だれも来なかった。つまり利用客もそんなにいなかったということ。国境付近の施設だし情勢を考えれば当然だけど。
「さて、あらためてうちの筆頭蠱女(ひっとうこじょ)さまは、どこにいったのやら」
▼そとの世界②
……巫蠱(ふこ)の住む地を囲むその国は巨大な半島を領土とする。隣国と地続きなのは北西部のみで、ほかは海に面している。
最近、その地上の国境線付近が緊張状態にあるらしい。
文字どおり、両国の兵が肉眼でにらみ合っているのだ。まだ戦闘には至っていないが。
▼そとの世界③
旅人や商人など一般人の通行は可能である。
ただし状況が状況なので国境を越えるには検査を受けなければならない。たとえば危険物を所持していないか確認される。
やっかいなのは国境線をはさんで存在するふたつの国両方がそれぞれで検査を実施していることだ。
▼そとの世界④
検査が二重におこなわれると単純に時間がかかる。
もともと両国の関係は良好であった。国境を越えるのに許可も検査も必要なかった。それがなぜか急に変わった。
「ね、迷惑な話でしょう」
ある商人が旅人にそんな話をしていた。
旅人はあいづちをうちつつ、聞いていた。
▼そとの世界⑤
いまは検査を受けるまでの待ち時間である。それなりの人数が待合所で待機している。
やることもないので、初対面の者同士で会話が始まったりもする。
「商人さん、兵隊さんがこっちを見てますよ」
「旅人さん、この程度の文句が許されなかったら、この世は終わりですよ」
▼そとの人間①
待合所のようすを観察している兵は三人いた。そのうちのひとりの視線を旅人は感じた。
旅人……彼女がそちらのほうを向くと、兵である彼は目をそらした。
「あれ、あの兵隊さん、ひょっとしてわたしではなくあなたを」
商人は声を落とし、ため息をついたようだった。
▼そとの人間②
そうこうしているうちに商人の名前が呼ばれた。
「あ、わたしの検査の番です。では旅人さん、話に付き合ってもらって感謝します」
「こちらこそ」
最後に商人は微笑を見せて待合所を出て行った。
ひとりになった旅人は目を閉じ、さきほど聞いた名前を記憶から消した。
▼そとの人間③
「本人が自分から名乗らない限り、その名前を覚えるべきではない」という考えが旅人にはあった。偶然耳に入った名前なら、なおさらである。
仕事上必要な場合でも仕事が完了した時点で相手の名前を記憶から追い出す。
ただし一方で、顔と声は忘れられなかった。
▼そとの人間④
旅人は自分の名前が呼ばれるまで沈黙していた。
「コウさん、コウさんはいらっしゃいますか」
その声を聞いたときに目をあけた。
「はい」
返事をして、兵のひとりについていく。待合所を出て、取調室のような場所に移動する。
透明な壁がある。その向こうに人がいた。
(つづく)
▽次の話(第十六巻)を読む
▽前の話(第十四巻)を読む
▽小説「巫蠱」まとめ(随時更新)
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?