巫蠱(ふこ)第五巻【小説】
▼楼塔流杯と城射辰①
「夜更けにくるとはめずらしい」
流杯(りゅうぱい)のもとに落ちてきた声は、まぎれもなく城射辰(さしいたつ)のものだった。距離があるのによくとおる。
「流杯師」
「師匠」
ふたりはいつもそう呼び合う。
弓一張りがおりてくる。
流杯は、筒を一本ずつ両手に持った。
▼楼塔流杯と城射辰②
筒。流杯(りゅうぱい)はほとんど肌身はなさず、それら二本を持ち歩いている。
弾を撃ち出す飛び道具だ。
弓矢をあつかう射辰(いたつ)と関係が深いのは、その共通点ゆえであろう。
「急用か」と射辰が問う。はっとしたように流杯は返す。
「御天(みあめ)っちが……」
▼楼塔流杯と城射辰③
ここ四日、巫蠱(ふこ)のあいだでは「御天(みあめ)の仕事がなくなる」という話が何回もくりかえされてきた。
流杯(りゅうぱい)は姉の是(ぜ)からそれを聞き、未来を案じてこわがった。
対する射辰(いたつ)は、弓弦をはじきながら淡々とあいづちをうっている。
▼楼塔流杯と城射辰④
「……そんなわけで飛んできました。夜更けにつきあわせちゃってすみません」
射辰(いたつ)はしゃがみ、そこに突き刺さっていた矢を抜いた。
「いや、察するに夜明けまで待つ気だったんだろう。からんだわたしのほうがあやまるべきだ」
カニを見つけ、つんつんする。
▼城射辰②
「じつは姉さんの仕事もこのごろ、きなくさかった。いままで戦いが起こるまえに感じていたものと同程度のきなくささだ。
「最後の戦争というのは、そんなに派手ではないのだろうか。それとも人々は、つぎが最後と気付いていない。
「だから御天(みあめ)が飽和するのか」
▼蠱女たち③
翌日、城(さし)の山小屋で一夜を明かした流杯(りゅうぱい)は、遅くにたずねたおわびと言って、ごはんの用意を手伝った。
射辰(いたつ)は料理の師でもある。
起き抜けの目をこする長女の玄翁(くろお)と三女の絖(ぬめ)にあいさつし、流杯も食事に加わる。
▼城玄翁と絖①
……話を聞いた玄翁(くろお)が、いったん箸を置いて言う。
「ふーむ、分かった。でも安心しろ。思われなくなっても、仕事は続けるさ。なんならわたしが全員やしなおうか。
「そうだ絖(ぬめ)、皇(すべら)の糸は」
「例によって切れてる……あっ、糸ってのは比喩だからね」
▼楼塔流杯と城玄翁①
「玄翁(くろお)さんは思われなくなることが、こわくなったりしません?」
「まったく。人はもともと、だれにも思われはしないから。
「仕事をして業績を残しても、みんなはその結果を見ているのであって、本人を観察しているわけじゃない。そのふつうに、もどるだけだ」
▼楼塔流杯と城玄翁②
「でもねーちゃんの道場は……」
「あれは仕事ではなく交流と呼ぶべきものだ。がめついわたしとちがって、対価もとらない。
「だから門下生は是(ぜ)という蠱女(こじょ)をありのままに見て、ありのままにうしなう」
ここで会話がとぎれた。
四人は同時に汁物をすすった。
▼楼塔流杯と城射辰⑤
「流杯(りゅうぱい)師」
食事のあとかたづけのかたわら、射辰(いたつ)が話しかけてくる。
「なにを望む」
「みんなのいのち」
「蠱女(こじょ)でなくなったあとは」
「なにもないです」
「わたしが教えることも」
「それはあります」
「うん。そしてわたしが教わることも。だからつぎは、夢を語ろう」
▼宍中誇と之墓館①
……舞台をもどそう。
之墓館(のはかむろつみ)の朝は、ひさしぶりに早かった。
すでに起きていた宍中誇(ししなかくるう)とあいさつをかわす。
「絖(ぬめ)がくれた紙まだあまってるから使ってよ」
「ありがとう、誇お姉ちゃん」
さっそく画板に乗せて絵をえがく。
▼赤泉院蓍と刃域服穂①
一方、赤泉院蓍(せきせんいんめどぎ)は手紙をしたため、刃域服穂(じんいきぶくほ)にそれを託した。
四日前と同様、手紙に手紙をつつんで封じる。
「じゃ、宙宇(ちゅうう)に。いや会談場所をぜーちゃんの道場にするってだけ」
服穂はうなずき、そとにでていく。
▼宍中十我と赤泉院蓍⑤
「服穂(ぶくほ)はたずねなかったけど」
十我(とが)が蓍(めどぎ)にひじを向け、言う。
「その会談ってもしかして、そとと平和裏に折り合いをつけるためのものか」
「ああ。わたしがやる。それと皇(すべら)にも参加させる。筆頭が両方でてこないと話にならない。てか安心できない」
▼宍中十我と赤泉院蓍⑥
「よかった、わたしはてっきり蓍(めどぎ)があぶないことを計画しているかと。どうやらぜーちゃんと話して思いなおしてくれたらしいな」
「会談を設けるのはすでに決めてた。ただ身身乎(みみこ)に工作させるかちょっとまよった。
「否定してもらえたのは、ありがたかったな」
▼赤泉院蓍と桃西社鯨歯⑧
そして手足を広げてゆかに貼り付く鯨歯(げいは)を見ながら、蓍(めどぎ)は笑った。
「おまえ話したな」
鯨歯は姿勢をくずさず答える。
「わるかったですか」
「逆。ありがと。十我(とが)が身身乎(みみこ)の件で動揺してないってことは、そこはぜーちゃん経由か。全部は、ばらしてないようだが」
▼宍中十我④
「わたしが鯨歯(げいは)にたのんだ。
「……それと。平和的になんとかしようとしてるのは分かったけど、なんで説(えつ)に見てもらってないんだ。……聞いたかぎり、そうだよな。
「きのう蓍(めどぎ)たちがこなかったらそのままわたしは後巫雨陣(ごふうじん)にいくつもりだったんだけど」
▼赤泉院蓍④
蓍(めどぎ)は指を立てている。
右手は中指と人差し指。左手は中指と薬指。
「皇(すべら)の行き先、聞いても答えてくれたことないって一媛(いちひめ)は言った。
「で、たぶんこれ本人だけじゃなくて説(えつ)にも聞いたうえでのせりふだな。つまりあいつにも、話したくないことはある」
▼宍中十我と赤泉院蓍⑦
「まあ説(えつ)に背負わせるのもよくないか。で、蓍(めどぎ)。これからどうするんだ。御天(みあめ)がうごいてきょうで五日目。
「皇(すべら)をさがすのは絶対。阿国(あぐに)にも知らせる。あとは」
「みんなで話し合う。まずは八人、それから可能なかぎり全員で。巫蠱(ふこ)の趨勢をうらなおう」
▼之墓館③
之墓館(のはかむろつみ)は、十我(とが)の家を去ろうとする蓍(めどぎ)と鯨歯(げいは)から道案内のお礼を言われた。
簪(かんざし)に言いそびれたぶんも、伝えてほしいとのことだ。
……宍中(ししなか)のふたりの話に耳をかたむける。
紙をこすり、絵をかくために。
それらを姉に見てもらうため。
▼赤泉院蓍と桃西社鯨歯⑨
「……さて桃西社(ももにしゃ)にいこうか」
「阿国(あぐに)には次女さんがすでに知らせてそうですけどね」
「それでもいく」
「皇(すべら)さんがいるかもと?」
「いないだろうな」
「あ、分かりました。筆頭、思いっきり瞑想したいんでしょう」
「まあな。けっこうがまんしてる」
▼巫蠱の地①
先述のとおり赤泉院(せきせんいん)の西隣は楼塔(ろうとう)である。
そこから左回りに、後巫雨陣(ごふうじん)、宍中(ししなか)、之墓(のはか)、桃西社(ももにしゃ)が順に赤泉院をとりかこむ。
宍中から桃西社にいく場合、之墓か赤泉院を経由することになる。
▼赤泉院蓍と桃西社鯨歯⑩
「ここまでめぐってきたからには、諱(いみな)にも会っとくか。うまく言うとか簪(かんざし)は言ってたけど、なんか心配なんだよな。
「……それに、皇(すべら)を見つけるまえにもどったら睡眠(すいみん)がうるさそうだし」
「うちの姉がすみませんね」
「いや、なによりもありがたい」
▼之墓諱①
之墓(のはか)。
三女の館(むろつみ)と次女の簪(かんざし)、そして長女の諱(いみな)のまもる地。
之墓諱はいつも「思って」いた。この地にまもる価値はないと。
思う者たる巫女(ふじょ)ではなく思われる者たる蠱女(こじょ)だからこそ、思いは際限なく流れた。
諱は巫蠱(ふこ)が、きらいだった。
▼之墓①
当然ながら蠱女(こじょ)のひとりである自分のことも嫌悪していた。ただ、分からない存在がふたつだけあった。
妹たちだ。
紙をこすってかかれた絵。なんで館(むろつみ)は自分にこんなものを見せるのだろうと諱(いみな)は思っていた。
そして簪(かんざし)がおずおずと目のまえに立つ。髪をこすりながら。
▼之墓簪②
蓍(めどぎ)たちと別れたあと、簪(かんざし)はいったん楼塔(ろうとう)に引き返していた。
妹の絵を回収するためである。
後巫雨陣(ごふうじん)には絵を持ち込めない。したがって、かいたものは是(ぜ)があずかっているだろう。
……いや、ほんとうは、姉のもとに帰るのをためらっただけかもしれない。
(つづく)
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