巫蠱(ふこ)第十七巻【小説】
▼鉄山アマリ①
彼の名字は鉄山(てつやま)と言うらしい。
「つまり鉄山アマリさんですか。お返しにわたしの名字も教えたいところですが」
旅人は言葉をにごす。
これに対し、慎重に話を引き継ぐ商人こと鉄山アマリ。
「なにか事情があるみたいですね、旅人さん」
「そうですよ、商人さん」
▼そとの人間㉕
ふたりは顔を見合わせて笑った。せっかく名前を教え合ったのに、結局おたがい、これまでどおりの呼び方で相手を呼んでいたからだ。
歯を見せず、大声も出さず、ほほえみ合う。
「商人さん、話を聞いてくれますか」
「ぜひ」
「わたしは人と目を合わせてもらえないんですよ」
▼そとの人間㉖
「正確には、わたしの顔をまともに見た人は決まって目をそらしたくなるようです。悲しいこととも悪いこととも思われませんが。
「わたしは見られるために生まれてきたわけではありませんので。
「もちろん身内は普通に接してくれます。でも、あなたも例外のようですね」
▼鉄山アマリ②
一瞬、商人こと鉄山(てつやま)アマリは困惑した。
他人が目を合わせてくれないと旅人は言うが、その話自体にどこか違和感がある。
加えて、なにかを誇るでも同情を引くでもない、ただ相手の反応を見るためだけの語り口。
どうやら鉄山アマリは、試されているらしい。
▼鉄山アマリ③
★分岐点⇒[ありえないと思われる選択]
「確か待合所であなたに顔を向けられた兵隊さんが目をそらしていましたね。
「ただ、そこ以外で旅人さんに『そういうこと』をした人はいなかったと思います。少なくともわたしの覚えている範囲では」
「相手の目の焦点を顔の手前に誘導するんです。たまに失敗もしますが」
▼そとの人間㉗
「焦点誘導の鍵は『透明な壁』です」
それは光を屈折させ少しゆがんだ像を作る。
つまり自分がそのゆがんだ像を演じれば、あいだに透明な壁があるかのように見せかけられる。
その壁に相手の目を釘付けにすることで自分の顔をただの背景に落とし込む。
……そう旅人は説明した。
▼鉄山アマリ④
彼女の言うことが鉄山アマリには理解できなかった。
「旅人さん、その誘導はわたしにも?」
「どうでしょうね」
「屈折した像を演じられたとして反射はどう再現するんです」
「説明は比喩です。きょうの検査でとおされた部屋に透明な壁があったでしょう。だから想像しやすいかなと」
▼そとの人間㉘
旅人は目を細める。
「それにしても話題が飛躍してしまいましたね。名字を言えない事情の説明をするつもりが、すみません」
「いえ、興味深いお話でした」
「ふふ、ありがとうございます。おわびにひとつ――」
ここまで言いかけて彼女は言葉を切った。アマリから目を離し、ある方向を見る。
▼そとの人間㉙
視線は広間のすみのひとつに向けられていた。そこに兵たちが集まっている。
彼等のなかでもっとも身長の高い者が、広間にいる避難者全員を見回したのちに大声をあげた。
「みなさん、お知らせがあります」
広間のなかがざわつく。高身長の兵は、咳払いして続ける。
「雨が、やみました」
▼そとの人間㉚
「ですがご安心ください。なにも起きていません。死傷者もいません」
その言葉を聞いた瞬間、みなは一斉に胸をなでおろした。
兵の声も少しやわらかくなる。
「もちろん雨があがったあとも油断はできませんので、しばらくこの屯所を避難場所として開放したままにしたいと思います」
▼鉄山アマリ⑤
しかし雨がやんだなら、無理して屋内にとどまる必要もない。その場にうずくまっていた人々が、次々と立ち上がる。
鉄山アマリも腰を浮かせ、大きく腕を伸ばした。
一方、旅人は広間のゆかにすわったまま動かない。
どうやら偶然出会ったふたりが共に行動するのは、ここまでのようだ。
▼鉄山アマリ⑥
「本当にありがとうございました」
ふたりは同じ言葉をくちにしてから本日二度目の別れのあいさつをかわす。
自然に一緒になった者たちだから、自然に別れるのもまた道理と言える。
「そういえば旅人さん、さっき言いかけたことは」
「些細なことです。また会う機会があれば、そのときにでも」
▼鉄山アマリ⑦
屯所から出た鉄山アマリは夕暮れを見た。
あたりの小石と雑草に付いた水滴が斜陽を反射し、きらめいた。赤い光が目に入る。
(検査の残り半分を終わらせよう)
異常気象の直後ではあるが国境を越えるためにはあいかわらず検査が必要らしく、兵たちが人々を呼びとめては理解を求めている。
▼鉄山アマリ⑧
最後にアマリは、コウと名乗った旅人のことを思う。
ただの旅人とは思えない雰囲気といい、自分のもとに駆け付けてくれた行動力といい、いろいろ不可解であった。
だから彼は彼女を御天(みあめ)とも思ったのだ。
(なにより、なぜ彼女は「僕」を「商人さん」と呼び続けたのだろう)
▼鉄山アマリ⑨
あらためて彼は自分の言動を思い返す。
(僕はあの人のまえで商人らしいところを見せていない。よって商人という呼称には違和感があったはず。
(国境の状況を説明して「迷惑な話」と言ったからか……いや、これも根拠としては弱い。
(それなのに本名をあかしたあとでさえ呼び方が変わらなかった)
▼鉄山アマリ⑩
(そもそも僕は自分のことを商人と言っていないんだ。軽装の彼女はいかにも旅人という感じだったけれど。
(しかしこちらを試す様子を見せていたわりには僕の職について踏み込まなかったな。
(なんにせよあの人に、僕がなにを売っているか知られなくてよかった)
▼そとの人間㉛
自分が彼女にどう思われているか気にしながら彼は去る。
だが当の彼女も彼の心情を理解していた。確信はある。
彼は彼女に見られても目をそらさなかった。よって表情の観察が容易だった。
見るというのは見られるということだ。
(それに無自覚なのは「不敬」でさえある)
▼そとの人間㉜
彼は彼女を忌むべき名の人物と勘違いしてもいた。
最後までそれについて謝ることがなかった。
一方で彼の誠実さは本物だった。
(つまり彼はその忌むべき名を褒め言葉とさえ捉えている)
しかしたとえ褒め言葉でも、他人と重ね合わせて思われるのは、中傷以上に耐えがたい。
▼そとの世界⑩
――その翌日。国境から少し離れた場所にある建物の一室に三名の人影が集まっていた。
人払いを済ませ、話に入る。
「それで、彼女は美しかったのだな」
「はい、待合所で顔を向けられたときは思わず目をそむけてしまいました」
「似顔絵はかけるか」
「それが、できません」
▼そとの世界⑪
彼女について報告していた兵は、上官らしき者から厚紙と鉛筆を受け取った。
「うろ覚えでも後ろ姿でもいい」
うなずいた彼は鉛筆の先端を厚紙のうえに落とし、固まった。
直後、指先がけいれんする。同じ場所をたたく。かわいた音が連続する。
しまいには紙が破れた。
▼そとの世界⑫
「すみません、紙が」
「いや、わたしのほうこそ無理にかかせてすまなかった。怪我はないか」
「いえ。お気遣い感謝します」
それから上官らしき者は厚紙と鉛筆を返してもらい、兵にたずねる。
「君の心になにがあった」
「罪悪感が襲ってきたのです。それも、とびきりの」
▼そとの世界⑬
「そうですね、分かりやすく説明すると……
「たとえば小説で登場人物の外見的特徴を事細かに描写すれば読者は喜ぶでしょう。しかし本人に直接同じことを言ったら、気持ち悪いと思われかねません。
「この感覚が増幅されるのです。本人が近くにいるわけでもないのに」
▼そとの世界⑭
「つまり言葉による描写も不可能と」
「彼女については『美しい』と表現する以外にありません」
「……茶々利(ささり)はどう思う。ずっと黙っているが」
ふたりの視線が、部屋にいる残りひとりに集中する。
その返事は一言。
「彼女は楼塔皇(ろうとうすべら)だよ」
▼そとの世界⑮
茶々利(ささり)と呼ばれた彼は自分に言い聞かせるように話を続ける。
「俺はきのう当人にいくつか質問した。
「彼女は自分が組織の代表であるとか誕生日を捨てる風習があるとか答えた。コウという偽名を使用していることも。
「これらは俺の見た限り、全部本当だ」
▼そとの世界⑯
「善知鳥(うとう)、鉛筆と紙を貸してくれ」
「茶々利は例の壁越しに彼女と対面したのだったな」
「似顔絵は無理だが名前の漢字は知ってのとおり」
茶々利は借りた紙に「皇」と書く。
「音読みすると?」
「普通コウだな。なるほど、彼女の偽名は『すべら』の別の読み方か」
(つづく)
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★IF[ありえないと思われる選択]
「鉄山アマリ③」より分岐の可能性【二割三分】
「旅人さん、あなたはただの旅人さんではありませんね」
鉄山(てつやま)アマリの言葉を聞いて、旅人の口角がややあがる。
「もしかして旅人さんは、御天(みあめ)さまではないにしても、その関係者……思われる者……蠱女(こじょ)ですか」
「そう思われますか」
「否定しないんですか。名字を名乗れないことといい、そのコウというのも偽物の名前ですね」
ここまでアマリは、まくしたてるように話した。身を乗り出すように旅人の顔に近づく。
「あるいは思う者……巫女(ふじょ)でしょうか。今回ここに来たのはなぜです。御天さまのことと関係あるんですか」
「商人さん」
旅人……彼女が顔もそらさずアマリの目を見つめる。
「選択、間違えましたね」
それを聞いて、目をぱちくりさせるアマリ。対する彼女は笑顔で応える。
「言いませんでしたか。みんな聞いていないふりをしながら……聞いているって」
「え……」
このときになってようやく、アマリの耳に周囲の人々の声がふたたび入ってきた。
「おい、そいつが巫蠱(ふこ)ってのは本当か」
「あんた、さっき『さま』を付けて例の名を」
「まさか『彼女』の名を叫んでたやつってのは、こいつなんじゃ……」
「なんでそんなやつが、ここに野放しになってんの!」
「兵隊さんたち、こいつらなんか怪しいぞ!」
「巫蠱どもが裏で戦争を起こしていると俺は聞いたことがある」
「どっちも捕らえたほうがいい」
気付けば旅人もアマリも取り囲まれていた。
うずくまっていた人々は立ち上がり、近づく者は近づき、遠ざかる者は遠ざかった。広間の壁際まで後退し、自分の子どもをかばいながら震えている者もいる。
「みなさん、落ち着いてください」
広間に待機していた兵隊のうち、もっとも背の高い兵が大声を出した。
しかし、みなは静かにならなかった。ざわつきに兵の声がかき消される。
このままでは収拾がつかないと思ったのか、高身長の兵は旅人とアマリを拘束する命令を部下に出した。そのなかには、雨のなかふたりのもとに来てアマリに手ぬぐいを貸してくれた兵たちの顔もあった。
アマリのあたまは混乱を超え、なにも考えられない状態にまでなっていた。
一方、旅人は。
人々に囲まれるなかで、彼女はうつむき、目を閉じていた。その状態で、すっくと立ち上がる。
動作は速くもなく遅くもなかった。静止を一切混ぜることのない流れるような彼女の所作は、あまりにも美しかった。
全員が息を飲んだ。アマリも思い出したようにごくりとのどぼとけを上下させた。
さきほどの所作の速度を受け継ぎながら、まぶたがひらき、あごがあがった。
全員が目をそらした。アマリ以外の全員が。
「ほら商人さん、言ったとおりでしょう」
そのまま彼女はアマリの左右の中指をつまんで引っ張る。
「誰もがわたしを見る勇気もない」
両の親指と人差し指でアマリの中指を引き、立ち上がらせる。が、彼はよろめくばかり。
彼女は無言で片方の中指を引っ張り続け、広間をあとにし、屯所そのものから出た。
太陽の光を浴びたところでアマリは、はっとして以下の言葉を口走った。
「かさ、かさを忘れてますよ」
旅人は首をふって、それに応えた。
「両手がふさがるのは、不便ですからね」
(おわり)
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