巫蠱(ふこ)第七巻【小説】
▼赤泉院蓍と桃西社阿国③
「くじら姉になにさせたいん」
湖水に浮かんだまま、阿国(あぐに)は蓍(めどぎ)にいぶかしげな視線を向けた。
「皇(すべら)さがし」
「そこにしずんでるってことなん……さすがにあの人でもむりやろ。まさか、おぼれて?」
「いや自分を追い込むのが趣味のあいつだ。皇に死なんて楽はない」
▼赤泉院蓍と桃西社鯨歯⑪
……鯨歯(げいは)がふたたび顔を水面にだしたときには、すっかり日がみえなくなっていた。
ずっと息をとめていたはずなのに、呼吸の乱れがほとんどない。
「おまえを連れてきて正解だったな」
蓍(めどぎ)が鯨歯のあたまをなでる。
「次女さんからよろしくって言われてますし」
「……ありがと」
▼桃西社②
さて湖の西端の水底にはなにがあったのか。
暗闇を手探りしたところ、大きな岩に当たったと鯨歯(げいは)は言う。
「さわってみたかぎり、之墓(のはか)の岩に形状が似ていました」
「……おまえら知ってる? 諱(いみな)のいすは天然じゃない。玄翁(くろお)が作ったものだって」
▼巫蠱の地②
「だから、なん」
「いすは諱(いみな)の立場でもある。でもあの岩のほんとうの意味はべつにある」
「このしたにしずんでた岩も玄翁(くろお)さんによるものなんでしょうかね」
「うん。おそらく之墓(のはか)と対をなす、もうひとつ。もとは後巫雨陣(ごふうじん)にあったやつ」
「そんなの見たことないですよ」
▼後巫雨陣⑥
「かくせるところがひとつだけなかった?」
「植物たちのかげですか」
「おしい」
「……くじら姉、あそこって柱みたいな噴水がでてるんよね」
「そう、離為火(りいか)さんがなかにいるんよ」
「そこなんでは」
「そうなんですか、筆頭」
「十中八九。ともかくいまは朝を待とう」
▼桃西社阿国②
蓍(めどぎ)と鯨歯(げいは)が楼塔(ろうとう)の陸地で野宿する一方で、阿国(あぐに)はいつもどおり湖面のうえにて目をとじる。
しばしば寝返りをうつ。鼻孔や口内に水がはいったときは、むせて起きる。
姿勢をあおむけにして星を数えるたびに、湖全体に映じた光のひとつになった気がする。
▼赤泉院蓍と桃西社鯨歯⑫
明るくなった。
「まだ待つか。光がそこに届くまで」
……日射が湖面に乱反射してきた。
「鯨歯(げいは)、わたしを連れてもぐってもらえる?」
言われた彼女はなにも応えず、蓍(めどぎ)がいっぱいに息を吸い込むのを待って、あたまを水中にひっこめた。
ふたりが消えたあとに、波紋が残った。
▼桃西社鯨歯④
きのうよりも速く、鯨歯(げいは)は水底へとしずむ。
筆頭巫女(ひっとうふじょ)の息が切れないか確認しつつもぐっていく。
ふりかえりはしない。つないだ手のわずかなふるえから、相手のようすを把握する。
そうして岩に帰ってきた。
いまは薄暗い程度だ。分かる。確かにいすのかたちにみえる。
▼赤泉院蓍と桃西社鯨歯⑬
こちらの岩は黄色っぽい。とはいえゆっくり見ているひまはない。
蓍(めどぎ)が鯨歯(げいは)のそばにおりる。岩のまえで、しきりに手をよこにうごかす。
その意味をくみとった鯨歯は、いったん蓍の手をはなし、岩をうごかす。
かげから穴があらわれる。
ふたりはそこに吸い込まれた。
▼赤泉院蓍と桃西社鯨歯⑭
「……ずいぶん陳腐な仕掛けだな、岩をどけたら穴なんて。
「後巫雨陣(ごふうじん)と之墓(のはか)のほうは、もとからあったようなものだけど、こっちはひとりで掘ったものか……あいつ」
「筆頭、死んでなかったんですか」
「……わたしはおまえが誤解されないか心配になる。ともかく、でかした」
▼楼塔③
穴は西に通じていた。
すなわち、いま蓍(めどぎ)たちがいるのは桃西社(ももにしゃ)ではない。
「鯨歯(げいは)、思ってなかった? 楼塔(ろうとう)の地はまわりに比べて低い位置にある。名前負けじゃないかって」
そう言われた彼女は、是(ぜ)の道場と楼塔の屋敷をつなぐ渡り廊下が、坂であるのを思い出した。
▼赤泉院蓍⑦
「答えは、このさき」
蓍(めどぎ)は両手の人差し指と薬指を立て、壁にこすりつけた。
すると、あかりがともった。
「さすがに離為火(りいか)のようにはいかないけど、すこしはできると思ったからな」
彼女たちの周囲がみえてきた。
天井と壁とゆかは土の色。それが筒状に続く。
▼赤泉院蓍と桃西社鯨歯⑮
はいってきた方向とは逆にふたりは進んでいく。
「この……地下通路ですか? けっこう長いですね。天井はきちっとかためられてますし」
「そういえば鯨歯(げいは)、湖の岩はわたしたちが穴にはいったあと、どうなった」
「もとの位置にもどったようです」
「そういう仕組みか」
▼赤泉院蓍⑧
「……ただ歩くのも退屈だから、話しとく。この通路をだれが作ったか。掘ること自体はむずかしくない。
「不可能なのは巫女(ふじょ)のうち、わたしと身身乎(みみこ)と説(えつ)の三人くらいだ。
「蠱女(こじょ)のほうは、全員わけないと思う。
「これで候補が二十一人にしぼられる」
▼赤泉院蓍⑨
「とりあえず向こうが……どこにも通じていないと仮定してみるか。
「入り口である湖のそこまでもぐれて、かつ、岩をうごかせるのは……四人しかいない。
「宙宇(ちゅうう)、皇(すべら)、射辰(いたつ)、おまえ。
「さらに阿国(あぐに)をかいくぐれるのは、ただひとり……」
▼赤泉院蓍と桃西社鯨歯⑯
「うちの妹でも気付けないのは、ちゅーうですね」
「おしい。確かにあいつは……だれにも察知されずに……うごけるけど……それが……かえって……阿国(あぐに)にとっては不自然なんだ……」
「筆頭、なんかつかれてます?」
「わたしは……楼塔(ろうとう)がもっとも……きつい……そう思わない? ……きみ」
▼楼塔④
蓍(めどぎ)が話しかけているのは、もはや鯨歯(げいは)ではなかった。
筒状の穴は終わり、大きな空洞が広がり始める。
赤くそまった岩肌が、この空間を限っている。光の束が八条ほど、暗闇にふりそそいでいた。
中央に、人がひとり浮いている。
そこから声がおりてきた。
「蠱女(こじょ)にする質問?」
▼楼塔⑤
おりてきたのは声だけではない。
彼女が上体をまえにつきだした途端、その身が落下を開始した。
かたむき、あたまが地に向かう。
一瞬だけ逆立ちの格好になったが回転は終わらず、したの岩肌へとちょうどあおむけの姿勢でぶつかった。
すぐにむくりと起き上がる。
▼楼塔皇と赤泉院蓍①
「蠱女(こじょ)にする質問って……ぜーちゃんも言ってたな。ともかく……さがしだして七日目……ようやく……」
きれぎれに話す赤泉院蓍(せきせんいんめどぎ)へ楼塔皇(ろうとうすべら)は無言で近づき、両腕を伸ばし、向かい合ったまま彼女の両肩をもんだりたたいたりしはじめた。
▼楼塔皇と赤泉院蓍②
「皇(すべら)、そのままでいいから聞いてくれる? 御天(みあめ)が終わり始めた」
ここで蓍(めどぎ)はいったん話を切った。
が、皇は肩に専念しているのか、応えない。
「……筆頭蠱女(ひっとうこじょ)として今後を考えてもらうから。あと、そとのやつらとも会ってほしい。わたしといっしょに」
▼楼塔皇と桃西社鯨歯①
「あの、いいでしょうか」
そばにひかえていた桃西社鯨歯(ももにしゃげいは)が遠慮がちに声をかける。
両側から蓍(めどぎ)の肩を押したあと、皇(すべら)は鯨歯に接近し、今度はその肩をほぐしだした。
「ごめんね、鯨歯」
「効きますね……じゃなくて皇さん。わたし、事態が分かりません」
▼楼塔皇と桃西社鯨歯②
「そもそも」
あらためて鯨歯(げいは)はあたりを見回す。赤い岩肌の巨大な空洞のなかに彼女たち三人がいるのが分かる。
「ここどこですか」
「あー、だれにも話したことなかったけど楼塔(ろうとう)の地下。通路だけわたしが掘った」
「居心地は」
「わるい」
「え」
「気付かない? ここ暑いよ」
▼楼塔皇と桃西社鯨歯③
「暑い? どこがです?」
鯨歯(げいは)は自分のからだをなでた。
「汗なんて全然かいていませんが」
「だから危険なの」
「感覚では分からない暑さってことでしょうか」
「そう」
「つまり熱……」
ここで彼女は、はっとする。
「……そういえば皇(すべら)さんたちの屋敷の庭の露天風呂……あれって」
▼楼塔⑥
「ここがその真下……水はともかく、湯にするには、あたためるものが必要でしょう。
「おそらく蓍(めどぎ)も、そこから地下になにかあると思ったはず」
そう言って皇(すべら)は鯨歯(げいは)を空洞の中央にさそう。さっきまで彼女が浮いていた場所だ。
「さわらないで。熱気がでてるの、分かるかな」
▼楼塔⑦
空洞にそそぐ光を手がかりによく見ると、赤い砂のようなものが舞い上がっていた。
それを目で追う。どこまでも、のぼる。
自然とあごがあがる。
天井がみえる。ただでさえ赤い岩肌の中心に、とくに赤い円がくっきりと浮かんでいた。
「……あの一枚上が、うちの風呂なの」
(つづく)
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