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曲が売れない理由

CDが売れないと言われて久しい。
私もちょうどその流れに乗るように徐々に買わなくなった。

よく言われる売れない理由を挙げてみる
1 音楽配信でダウンロードで購入する人が増えた
2 Youtubeなど、ネットで聞くだけで十分という人が増えた
3 AKBなど、アイドルのCDは単なるイベントチケットのおまけになった
4 違法配信者が沢山いてそいつが悪い

このあたりがよくテレビなどで言われているものだと思う。
1についてはちゃんと購入しているので問題ないだろう。業界も時代の流れでお金の入り口が変わっただけという認識じゃなかろうか。

2の動画配信だけで満足するというのは影響はあると言えばある。
だが、動画で紹介された事がきっかけでヒットした商品もある。音楽はメロディだけで満足する人もいるが、Youtubeで聴いたから購入したいという層も間違いなくいる。宇多田ヒカルや中島みゆきは自分のチャンネルでPVをフルで流しているくらいだし。




3はCDの購入という出来事を陳腐化したというのはあるだろう。以前は、街中にはタワーレコードやディスクユニオンの袋を持ち歩く人がいつでもどこでもいた。カッコよさやステイタスとして普段使いにも利用していたほど。今はそういう人は減りましたね。アイドル本人に罪は無いのだろうけど、道端やコンビニのゴミ箱に同じシングルCDが大量廃棄されてるのは見てていい気持ちはしない。ただ、このファン層がCDに印刷する業者の売上を支えていると聞くし、すぐに棄てるが購入はしているので、これも決定打ではない。

4の違法配信は実際に犯罪である。それを宛にしている人もいるだろう。
とはいえこれもまた限定的だろう。
何せ法を破っているわけだから大っぴらに儲けるのは難しいだろう。
まとめサイトや、製作者がリリースしてそうなエロ動画とはまたわけが違う。

他にもテレビや事務所が言う理屈はあるかもしれないが、膝を打って納得するような理屈は特に聞いたことがない。

紅白歌合戦をご覧になった人は多いだろう。
昔のような視聴率は無いが、それでも他のテレビ番組に比べればとんでもない視聴率を叩き出している。

「紅白と言えばこの人!この歌!」というのがありませんか。
私の中では、石川さゆりが「天城越え」「津軽海峡冬景色」を歌うと年末と紅白を感じます。
この2曲はカラオケのデンモクの履歴を見ると、年配の人でなく、10代も歌っている事がわかります。歌うまでいかなくてもたいていの人はどちらかは知っているのではないでしょうか。
また、昨年の紅白で言えば、桑田佳祐が最後にぶちかましてましたが、
今も最前線にいるとはいえ、歌った曲は昭和の歌で、「勝手にシンドバッド」に至ってはデビュー曲です

私は音楽業界が認めたくないであろう部分に問題があると思ってます。

まず、現在作曲家や作詞家という、音楽を作るプロに著名な人がいません
シンガーソングライターが増えたのは間違いありません。
とはいえ、シンガーソングライターが提供した楽曲でなんとかヒットするというのが快挙とされるのが現状です。前述の中島みゆきがTOKIOの「宙船」を手がけたように。

昭和のヒット曲の作詞作曲を見ると、阿久悠平尾昌晃などの名前が色んな所に見受けられます。阿久悠コレクションだけで歌謡曲からアニソンまでほぼ全てのジャンルを聴けるというのは大変な事です。

これは演歌についても同じです。
演歌の大御所歌手が弟子に曲を送ったりしてますが、名前だけで売っているのが現実です。演歌の新曲を年末の番組やNHKなどの特番で聞いても、「あの曲のイントロによく似てるな」とか、「サビの入り方はあの曲に似せてるなあ」とどれを聞いても同じようなモノにしか聞こえません。興味が無いから同じように聞こえるのではなく、たまにある突飛な歌を除けば、本当に同じ様に作ってるじゃありませんか。
津軽海峡冬景色なんてイントロの「デデデデーン!」で唯一無二の存在感がありますよね。この曲とまではいかなくても、細川たかしの「北酒場」や、八代亜紀の「雨の慕情」を今オリジナルで越えられる演歌があるでしょうか。これらはド演歌というほどでもなく、歌詞の情景が思い浮かぶような旋律ですしそれが生きる歌詞です。もし発売が今年だったら演歌界久しぶりの大ヒットというニュースになったと思います。
同じようなメロディをこねくり回すのは作曲と言えるんでしょうかね。

もう一つ思う所があります。
曲の著作権を守ろうとしすぎているように思います
パソコンが一家に一台普及し始めた2000年頃。
レンタルCDからダビングできないようにするコピーコントロールCDなるものが登場しました。エイベックスが張り切ってやってたのを覚えています。

レンタル品から遜色のないコピーCDが作られるとCDが売れなくなるという理屈はわかります。しかしCDを買ってた人はレンタルCDという産業が普及しても自分の好きな歌手のCDは買っていたんです。いい曲ならコピーも作った上で、自分用に買ってたんです

つまりCDレンタルという有料の視聴の場を経る事は、
大きな宣伝になった上に、レンタルじゃ物足りないと思う人が購入するという選別する場であり、その壁をぶち破ってミリオンセラーが生まれたのです。チケットのおまけの作られたミリオンセラーとは違ったんです。

それをみすみす壊したのがコピーコントロールCDやコピーガードの類いです。何せ新譜が出たから聞いてみようとしてもただ再生しかできない。ダビングできるCDと同じ料金を払ってただ聞く事ができるだけじゃシラケます。
私自身は好きな歌手のCDがこれにあてはまったので、「もういいや」と、その歌手の曲を真面目に聴くのをやめました。

そりゃあレンタル屋が全く存在してない世界なら良かったのかもしれませんが、持ちつ持たれつやってたのを一方的に「買え」というメッセージを載せて売られても買うわけがありません。音楽に強制って最も似合わない事だと思います

それにレンタルばかり意識してては、せっかく購入したCDが据え置き型のプレーヤーでしか聞けない事もありました。カーステレオやウォークマンタイプのプレーヤーが必ずしもCDのみなんて事ありませんよね。

その後よっぽどこたえたのかコピーコントロールCDは減りましたが後の祭りです。目先の売上欲しさに大魚を逃したように思います。

絶対的に正しい音楽とか絶対的に楽しい音楽って無いはずです。
人の受け取り方はバラバラなんですから。
クラシックも聞きますが、あれも好みの差はものすごく激しいジャンルですし、クラシックの巨匠たちも「クラシックと呼ばれるものを作ろう」なんて思っちゃいません。その時代に求められたものを、求められた相手のために作ったものが残っているだけです。「クラシック」というジャンルができてまだ100数十年程度だそうです。

芸術作品は本当に良いと思ったものを作る事がベストなんだと思います。死後になってやっと認められた芸術家も沢山いますが、認められなくても自分の表現をやめなかったから評価がされたんです。迎合したり強制しては新鮮さがありませんし、二番煎じなんてやったら価値がどの程度あるのか。野菜ですら鮮度が命なんですよ賞味期限切れの野菜や、無理やり食わされた野菜に料金を払いたいですか?私は払いたくありません。

音楽もまたしかりです。

#エッセイ #徒然 #音楽 #作詞 #作曲 #芸術 #鮮度が命

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