ファンでもないのにBUMP OF CHICKEN藤原氏の結婚にショックを受ける女の心境。
藤君の結婚
藤君――というほどバンプに親しみもなくライブにも行ったことはなくアルバムを数枚聞いたことがある程度の私であるが、アーティストやアイドルの結婚は胸にこみ上げるものがある。
私は推しの結婚にはまた直面したことがない。というか異性の芸能人にこれといった推しがいないのかもしれない。敬愛するミュージシャンなどが結婚しても「ほお……」と思うだけのような気もする。なのに数多の女性ファンを抱える(であろう)男性芸能人が結婚したときにはなぜかショックを受ける。その人を好きだった女性ファンの気持ちに勝手になって勝手にショックを受けてしまうのだ。
だからこれから書くことは完全に私の妄想でありBUMP OF CHICKENともそのファンとも一切の関係がない。これから書くのは推してもない芸能人の結婚にショックを受ける女の了見違いな物語だということを予めご了承願いたい。
午前二時フミキリに望遠鏡を担いでった人たち
2001年にリリースされた「天体観測」はバンプを一大スターに押し上げるきっかけとなった名曲である。
バンプを支持する多感な若者たちは己の心とこのこの曲を重ね合わせた。夜空に彗星を探すような、宛名のない手紙を崩れるほど重ねるような、掛け値なしの青春と純粋をそれと知らずに持っていた。その美しい共感、そして美しいだけでなくときに人間心理の暗さにも触れてくるバンプの曲は、多くの若者たちの愛と青春と夢と葛藤のテーマソングだったに違いない。
今は見えなくなったあの彗星
バンプに共鳴した若者たちもやがて20代、30代……となる。そして大多数の人は午前二時にフミキリに望遠鏡を担いでいくことができなくなる。進学、就職、失恋、人間関係の軋轢、結婚、叶わなかった夢、忘れてしまった情熱――様々なイニシエーションを通じて誰もが大人になっていく。心からBUMP OF CHICKENできたあの頃のピュアな気持ちはすり減って今では影も見えなくなってしまう。仕事に疲れた、人生に疲れた、そんなときふと聞こえてくるあの頃何千回も聴いたメロディー。
あの頃は自分の心を守る術すら知らず全力で傷付くことができた。しかし今は……。
藤原氏自身も2014年ごろにはもはや「天体観測」の自分ではいられなくなったことを自覚していたように思う。
BUMP OF CHICKEN 「ray」の歌詞より一部抜粋 ※なおアーティスト本人は歌詞の一部抜粋はあまり好まれないので各位全文を確認し曲を解釈して頂きたい。
私の人生バンプと関係なくね?
あの頃自作のプラネタリウムに実在しない穴を空け、自分だけの星を作り恥ずかしい名前付けた私たちは、いま藤君の星は自分とは関係ないことを知った。自分が大人になったこと、藤君が成功したこと、藤君が結婚したことを通じて「自分がかつて純粋だったこと」を強く自覚する。汚れて初めて知る白さがあったのだ。
(個人的には私の青春時代は妄想と怨念に満ちていた。今の方が楽しい)
藤君の結婚の知らせを聞いて真っ先に思い出したのは、私の周りにいた「バンプが好きだった人達」のことだった。バンプが好きだった人達、生きるのがきっと昔より上手くなったのではないだろうか。あなたももう結婚したんだろうか。私はいま、プラネタリウムを聴いてあまりの清純さに号泣している。
藤原の女たち
「リリィ」より
彼はアーティストなので、表現者なので、ミュージシャンなので、結婚は望めない。
彼と上手くいかなかった女性たちもきっと何人かいるはず。もしかしたら藤君が密婚しててバツイチバツニの可能性も否めない。過去の女性たちが彼の今回の堂々たる結婚発表を何ら気にしていなければ良いが、自分の果たせなかった未来にショックを受けていたら、と思うと胸が痛い。誰のものでもない星だから彼を諦めることができた女性もいたはずだ。
私はラブストーリーを見ても男に選ばれ幸せにゴールインするヒロインよりも、彼のことが好きでたまらなかったのに上手くいかなかった女が気になる性分なのだ。そんな女にはヒロイン以上に幸せになって欲しい。1000%余計なお世話ではあるが。
まとめ:推してもない芸能人の結婚に私がショックを受ける理由
自分がヒロインではなかったことを思い知らされるから
なのではないだろうか。何百人という女性がそれを同時に体験する。その共感の渦に勝手に飛び込んでしまう。
彼の曲のすべてに彼のヒロインが見えるようになる。
しかし忘れてはいけない。私たちは彼のヒロインではなかったが誰かのヒロインなのである。陳腐だけどこれを忘れると病気になるよ。元気に生きよう。
以上妄想でした。