見出し画像

歓楽街夜蝶

「あまりネット上でマウント取らないほうが良くないっすか?李涼姐(ねえ)さん。」
某デパートの前で涼やかな顔をして人を待っていると背後から声をかけられた。
「すいません、お待たせしちゃって。」
と軽く会釈したこの男は、待ち合わせをしていた当人である安治郎。通称は銀次で通っていて銀さん、と呼ばれている。名前がいくつもあるとややこしいが、夜の商売では本名を勿体ぶって明かさない人が多い。安治郎という本名は、彼と仲の良い他の客から聞いた。もちろん、勿体をつけているわけではない人もいる。有名人であったり政財界の人であったり、色々と事情があったりでお忍びでくるお客様もいるのだから、偽名を使うこと自体はこの世界では珍しいことではない。
「遅れて来ておいて、急に何のお話?」
着物の衿を気にしながら李涼は訝し気に見上げた。この男は背が高い。
「SNSをやっているから見てほしい!って言って、こういうのがからっきしダメな自分に無理やり登録させたのは、あなたじゃないっすか。」
そう言いながら画面を指し示す。
「ニックネーム、銀座の夜蝶、ですか。ふうん。フォロワーの人数が3万人とは、なかなかのやり手ですなぁ。」
銀次は感心したように言う。
「ねえところで銀さん。今夜は何処に連れて行ってくれるんですか。」
李涼はさも、待っていた人とようやく会えたと言わんばかりに満面の笑みを作り、寄りかかるようにして距離を縮めた。銀次は寄り添われながら李涼の晴れやかな笑顔を自分に向けられて途端に照れた様子である。営業スマイルなのに世の中のほとんどの男性陣は例外なくこんな手に弱い。
「右江川でも行きますか。」
右江川、という店は飲食店の評価で世界的に有名なあれのお墨付きを頂いている。テレビでも取材を受けている予約の取りにくい老舗の寿司店を提案された。
李涼はこのところ同伴でお寿司屋さんがずっと続いている、と思いつつも
「ああ嬉しい!あのお店に行きたかったんです。」
と大袈裟にはしゃいでみせた。時間と手間を取らせない寿司が好きであるということにしてある。お客様はみなそれを知っている。
「ところで銀さん。わたし、SNSでマウンティングも過度な自慢もしていませんよ。意地の悪いことを言わないでください。」
と言うと銀次は答えた。
「ひとつ何十万もする帯留めを買ったとかブランドのバッグを買ってもらった、とか高級な外車をカスタマイズしたとか、週に一度は写真を上げているじゃないですか。ああいうのは敵を作るばかりであまり得がないんじゃないですかね。」
これを聞いて李涼は笑顔を作ってみせた。
「ご忠告をありがとう。でも少し余計なお世話ですのよ。このところ365日、ずっと休む暇もないほど働かなければならないほど、店が忙しいのですもの。繁盛するのは大変有り難い事ではあるのですけれど、たまには息をつく場所が欲しくなる時もありますのよ。持ち物自慢くらい可愛いものではないですか。」
365日休みが取れないというのは幾分か話を盛っている。毎月コンスタントに休みがとれているのは一緒に働いてくれているチーママがしっかりしているからだ。チーママと言っても自分より年上なのだが。
「まあそうですね。ただ持てない男や持たない女の嫉妬っていうのはあまりばかにはできないもんですよ。」
そういう銀次は太い客だ。一番のお得意様と比べると、そこまで羽振りが良いとは言えないが、定期的に大きなお金を落としてくれている。なんでも意外なことに、元々は昔、お手伝いさんがいるような旧家の出身のお坊っちゃんらしかった。話していても、会話の中でふと育ちの良さが垣間見えることがあり、現在の仕事を鑑みると大きなギャップを感じることが多い。謎である。
銀次は暇なときに呼べば大抵の場合来てくれる。上の中くらいのお客様だから大切にしている。でも今夜は説教めいた話し方が少しわずらわしくて、早く店に戻りたくなっていた。洒落た内装の寿司屋のカウンターは、一枚板で出来ていてピカピカに磨かれ、顔が映るくらいに艶を出していた。
「おつかれ様。」
と冷えて霜で白くなっているビールジョッキで乾杯した。
「俺はねえ、姐さんが」
と言いかけるのを遮った。
「ちょっとまってくださいな。その呼び方やめてくれません?なんだかそちらの方面の姐(あね)さんみたい。少し陳腐すぎやしませんか?恥ずかしいような気持ちになりますわね。それにわたしはあなたのお姉さんでもないしね。」「はあ、すいません。わかりました。姐(ねえ)さんが、いえ李涼さんがですね。例えばの話ですよ?店のオーナーではなくて。ただのアルバイト、フリーターの女性であって宝石も着物も持たない人で、築年数30年くらいの六畳のアパートに住んでいる。スーパーのレジ打ちとかで生計を立てていてですね。仕事のない日はジャージで煎餅を齧りながらゴロゴロしているだけで、漫画を読むことと、パチンコに行くことだけが趣味の女性だったと仮にそうだとしても、俺は全く気にしないし今と全然変わらずにずっとずっと好きだと思うなあ。」
「仕事のない日はまさにその通りよ。なんでわたしの本当の姿を知っているの?透視能力でもあるのかしら。怖いわぁ!」
と李涼がちょっとにらむ顔つきをすると「えっ本当に?」と今度は銀次は意外な誤算に驚いていた。そこで表情を和らげて、
「嘘に決まってるじゃない。」
と答えた。意地悪はこの辺にしておいてあげよう。銀次はホッとため息をついて
「脅かさないでくださいよ。空想上で話したことがまさか現実だったなんてドラマみたいじゃないですか。俺の中では、なんかこう、気軽に話しかけられるような女じゃないんでねえ。あまりにも庶民的すぎて、もうびっくりしましたよ。で、俺の告白を見事にスルーしてくれましたね。傷つくなあ。」
「好きとか愛してると言うのはこの仕事のご挨拶のようなものなんです。こんにちは、おはようございます、というのと同じですよ。皆息を吐くように簡単に、好きとか恋しているとか言ってしまって。少しは自重してもらいたいものですわね。」
「いや、本気なんですよ。姐(ねえ)さん、いや李涼さん。結婚を前提に俺とお付き合いしてください!」
小さな黒い箱、それを彼は差し出して告白した。
カウンター越しの大将がその会話に反応する。素早く視線を上げて、しかしすぐにそれをまな板の上にもどした。周りの人たちは一瞬だけ会話が止まった。ざわざわしていた店がシーンとなる。が、しかしすぐに何事もなかったようにまた賑やかになった。李涼は思う。結婚ですって?冗談じゃない。私は一生結婚などしないと思っていた。仕事が好きなのだ。銀次が事務所を抜けられないのには理由があるのだろうが、好きであの人は色々な権力と対抗したりすり寄ったりしているわけではないだろう。組に所属していると義理とか人情とかで塀の向こう側に入ることもあるようだ。人生に保証も地位もない男。そこらのサラリーマンより将来のない銀次と何が面白くて結婚なんか。でも。と、ふと李涼は笑みを浮かべた。急に試してみたくなったのだ。賭けというやつに身をゆだねてみたくなったのだ。このままだと私は仕事と結婚することにもなりかねない。
黒い小さな箱を受け取って答える。
「いいですよ。あなたと一緒になっても。」
「え!いいんっすか。それ本当ですか!」
銀次は驚いて慌てた様子をみせた。まさか承諾されるとは思ってもいなかったようだ。
「ただし条件があるんだけどね。まずはお試し期間を設けてお付き合いをさせていただくということで。」
箱を開けると、10カラットのダイヤの指輪が輝きを放っている。
李涼は一息置いて、こう言った。
「その条件というのはね。わたしあと3つは店を持ちたいんだけど。それも23区内にね。どう?あなたが夢を叶えてくれないかしら。」
李涼は真顔で答えを求めた。

あれから五年後。
銀次は本当に夢を叶えてくれた。数億円もどうやって稼いだかはわからない。元々隠し持っていたのかもしれない。
「ママ〜!わたし今夜はいくらやウニのお寿司が食べたいな〜!」
小さな娘がわたしの着物の裾を引っ張った。
「はいはい。パパに良いお店を探してもらって3人で行きましょうね!」
わたしは今は彼をもう銀さん、とは呼んではいない。
仲良く手を繋いで3人は煌びやかなネオンの光と騒がしい音と雑踏でごったがえす夜の繁華街に消えていく。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?