腕時計
腕時計を一本も持ってないのは流石にまずいから買おうかなと思っていたら、都合よく動画がおすすめに出てきてめちゃくちゃ面白い。
腕時計はその人となりを象徴するアイテムというか、好きな小説や映画を一つ挙げるよりも説得力があるような気がした。
小説や映画などとは違い、パッと見で無数の選択肢の中から選べる点が大きいと思う。
選ぶポイントとしては、ブランド、機能、見た目、堅牢さ、ゴージャスさ、威厳、などがあるだろう。
種類はもうありとあらゆるデザインや形のものがあり、「こんなに地球上に腕時計いるんか?」と言いたくなるくらいデザインや微妙なモデルやバージョン違いが存在する。
その海のような選択肢の中で、何故その一本を選んだのか、想像するとその人となりが連想できて面白い。
特に興味深かったのが、プーチン大統領の腕時計が異様に高価だったことである。
チョイスからして相当な時計好きであることは間違いないらしいが、一つで500万円くらいするものがあった。腕時計が500万???
トヨタのプリウスが二台くらい買える値段である。
もし自分がどっかの大統領だったとして、500万円の腕時計をつけたいだろうか?と想像してみたが、答えは否である。
「それ、もう時計としての本来の意味じゃなくなってるやん。」という頭の中に生まれるツッコみに耐えれる自信がない。
時計は飽くまで身に着けるもので、時刻を知れる「アクセサリ」だと思う。
アクセサリはそれを纏う人をより美しく、より紳士にするものであれば、紳士になる為に500万もかかるはずがない。と自分は考えるので、自分とプーチンは全然違う価値観だと想像する。
逆にプーチンが500万円をつけるのは、箱庭的なものに愛着を抱く意識か無意識が存在するからかもしれない。
現実の世界にあるものを自分の完全なコントロール下に置こうとするタイプだとして、それが腕時計に波及しているとしたら500万円に納得できる。
腕時計について考えていると、小学生の頃の筆箱を思い出す。
初代は入学と同時に買ってもらったマリオカートのビジュアルが全面に貼られたパカッと開くタイプ。二代目がランバードのとにかくペンが大量に入るやつ、三代目が小学生にしては異様にモダンな差し込んで折りたたんでボタンみたいなので留めるタイプ。
どれもその時の自分の最新の思想や価値観を詰め込んだもので、腕時計に近いと感じる。
二代目の時はとにかく色んなペンを大量に持ってる奴がすごい。みたいな世界観だったので、容量を追求した箱型だった。そういうブームが去ると、スマートさや無駄のなさを重視していた。
そして、そういう自分の価値観をコントロール下に置くことは楽しいことだった。教科書やノート、下敷きの色まで指定があったので、筆箱が唯一自由なフィールドだったのも大きいかもしれない。
大人になるとそれが腕時計に変わるのかなと思う。
そう考えるとプーチンのチョイスは何か子供の箱庭的に思える。
どれもデザインも色味もどこかロシアという国を象徴する寒さを感じるが、それと同時に内面的というか「その時計を一番愛しているのは間違いなく俺だ!」という「執念」のような愛着を感じる。
トランプ元大統領のチョイスは「俺はこのクソ高い時計をつけるのにふさわしい人間だ!」という「俺」を感じる。
バイデン大統領のチョイスは女性ウケしそうな紳士的で爽やかで、言い換えるとクリーンで潔白であろうとする、あらなければならない「社会性」を感じる。
不思議なことに、そう思う。
他の動画ではユニクロの柳井さんの時計なども紹介されていて、それも非常に面白い。
自分はどんな腕時計を買おうか、迷う。
買うとしても普段の自分の延長線上にあるものになると思う。だとしたら、やっぱり黒かな。
小説を書きまくってます。応援してくれると嬉しいです。