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ストロングゼロ2

3年前に書いた記事。当時は28歳だった。



31歳になった次の日にドライ味の500mlを1本買った。
サーモスのタンブラーに氷を詰め、15分くらいで飲み干した。
その後はハイボールに切り替えたので頭が痛くなることはなかった。


飲み物としての感想を言うと「安く酔える酒だなぁ」というところにのみ着地する。
3年前に書いた記事の冒頭のように「僕はストロングゼロが大好き☆」というテンションにはもうなれない。
酒に求める要素や効能が変わってしまった。

20代はとりあえず「暗くなったら飲む」みたいな感じで阪神戦を見ながら角ハイボールとレイズのポテトチップスを食べていたが、その時代は過ぎ去った。
角ウイスキーは少し値段が高いので、お金がない時はストロングゼロで喜んでいた。今はもう、ストゼロから自分の生活に緩急をつけようと思わない。今回も記事を書く為のひやかしみたいな側面で買ったような気がする。なんだか申し訳ない。



4~5歳の子供が自分で作ったダンボールのおもちゃなどを頑なに「捨てないで」と言っていたのに、ある日突然「捨ててもいいよ」と言うと親は複雑な気持ちになるらしい。

それと同じ例ではないが、年月が経ち感覚が変化し、もう必要としなくなることは様々なことで起きる。音楽や服、髪型、思い出。
無意識に人生を支えて来たメンバーがふわっと離れていく。
ストロングゼロはもう自分の人生にそこまで関わってこないのだと思うと、複雑で、寂しさはある。

この前渋谷に行ったらパルコが建て替わっててびっくりした。
2014年に上京して初めてヒカリエを見た時もその巨大さにびっくりしたのに、2019年にヒカリエの前に更に巨大なスクランブルスクエアが建ち、もう完全に渋谷に馴染でいる。
上京して8年になるのに、自分がその二つのビルで買ったものといえばランチョンマット一枚だけである。



多分、ストロングゼロそのものを飲まなくなる事実が寂しいのではない。
ストロングゼロを取り巻く20代の記憶も、もうせっせと思い出さなくても生きてけそうな予感がしている自分に何か、違和感、寂しさ?を感じているのだと思う。


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冠
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