さあ、感動の方程式を考えよう
まず感動の方程式を考える前に感動するための要素を考えよう
愛?、好きな人?、時間?、雰囲気?
僕は感動した経験を脳内から引き出そうとした時、たくさんの尊い”思い出”から感動した瞬間を想起した。
そこで感動とは思い出の存在が一番大きいのではないか?という仮説が生まれた。
(記憶と思い出の違いがあるが、その違いは単なる情報としての価値か経験をもとに自身の価値基準で優劣をつけられた情報との違いであると考える。)
記憶)) 過去→今
思い出)) 過去→経験→今
そこで、感動を構成する要素の一つである思い出に対し疑問が生まれた。
「なぜあんなにも思い出は尊いのか?」
それは”思い出”という過去の事象を
今という時間軸で考えることができるからであるという結論に至った。
各個人これまでに様々な辛い過去や素敵な思い出があると思う。
人間は生きているだけでそれらの経験がデータベースとして残り続ける。
その脳内に蓄積されたデータベースに対して、それ以降から今までの自身の経験が過去の事象達に対し部分的に働きかけることで崇高な思い出が選別される。
思い出)) 過去→これまで→今→過去の記憶→今の思い出
思い出を選別する際の判断基準は、当時の価値観と現在の価値観の差異だ。
心に残っている崇高な思い出は”今振り返ってみると”当時の純粋な価値観でしか考えられていなかった未熟な自分への懐古や、自分が干渉せずともそこにあった何気ない日常のためにかけがえの無いものになっていたりする。
あの時はありがたみや感謝など感じる暇が無かったが今振り返ってみると二度と手に入らないという”時間の制約”によって”代替不可能な付加価値”になる。
思い出)) 過去→これまで→(今→過去の記憶)+時間の制約→崇高な思い出
だから思い出はあんなにも尊い。
また思い出は経験の中で美化されよりその価値を高める。
思い出が尊い理由を考えると
感動の方程式に重要な要素として
”時間軸の概念”
が必要だ。
感動における時間軸の概念、それはつまり過去の自分と現在の自分との”変化”の割合であることを意味する。
あなたの人生の中で最も感動した体験はなんですか?
部活などで優勝した瞬間。自分が生まれた瞬間の動画。結婚式。子供が生まれた瞬間。様々だ。
時間の流れは絶え間なく、今は常に過去に変わり続けている。
感動とは過去の思い出が今の環境と”瞬間”で交差するポイントで生まれるセンセーショナルな感情である。
「昔はこうだったのにこんなに成長して」
その過去と今の”変化”の幅がそのまま感動の幅に変わる。
その”変化”による感動の幅を助長するのが”愛”の存在だ。
(愛についてはまだ人に語れるほど自分自身が確信が持てていないので
それが持てるようになった時書こうと思う。)
また、感動には欠かすことが出来ない要素が空間だ。
下水道の中で挙げた結婚式と綺麗な式場であげる結婚式。
どちらの幸福度が高いだろうか?
幸せという視点で考えると言わずもがな後者であると思う。
空間が与える心理的な満足度は大きい。
結婚式だと主役の声が聞こえなかったり表情が分からないこともあり、五感に十分に働きかけない状況には少し物足りなさを感じる。
しかし、結婚式のような心理的な満足度が高い幸福な空間ではそんな違和感すらも美化されスペシャルな思い出に変わるだろう。
それは何とかして幸福だという結論に落ち付けたい人間的な都合が良い解釈だ。
ただ、僕はそんな希望を切願する深層心理すらも幸せな空間を構成する不可欠な要素であり人間的で”美しい”と思う。
ここまで書いて気付く方もいるかもしれないが、感動の瞬間に作用する人間の五感の要素は意外と少ない。
感動を構成する要素はほとんど人間の頭の中にあるものだ。
すると忘れてはいけないものがストレスというマイナスな影響だ。
いくら幸福な環境でも三日徹夜の状態や精神的に病んでいる時にはどうしても100%では喜べない。
時間軸の変化による思い出の選別、その変化量、そして愛。
また、場面における心理的に作用する外的要因の空間と個人の状況的な要因。
これらの要素を踏まえ僕の考える感動の方程式は以下とする。
異論は認める。