【感想】キツネ潰しー誰も覚えていない、奇妙で残酷でマヌケなスポーツ
エドワード・ブルック=ヒッチング、片山美佳子訳 日経ナショナル ジオグラフィック 2022.8.8
朝日新聞の読書欄(2022.10.8)で紹介されていたので読んでみた。
まず驚くのは、残虐で野蛮なスポーツ(これ、スポーツ?と疑問がわく!)が何と多いかということ。
その名も、キツネ潰し、リス落とし、クマいじめ、猫焼き。ほかにも、イノシシ、鶏、鴨、ブタ、ヤマアラシからライオンにいたるまでさまざまな動物がいじめられている。
本のタイトルになっているキツネ潰しは、Fox Tossingの名のとおりキツネをトスするゲーム。紳士・淑女が一組になってキツネを布に乗せ、布の両端を引っ張って空中高く放り上げる。会場は何度も放り上げられて息絶え絶えになったキツネの血や内臓でぐちゃぐちゃだった。この血なまぐさいゲームを男も女も楽しんだというのだから驚く。
<クマいじめ>についても、ある見物人は「それは見ていてとても楽しいスポーツだった」(強調筆者)と述べている。この見世物は、事前に爪と犬歯を抜かれた熊が鉄の首輪や足かせをつけられて闘技場に繫がれる。係員がからかって怒らせた後、5,6頭の犬がけしかけられ、死闘を繰り広げるというもの。別の見物人は「目隠ししたクマを鞭で打つタイプの熊いじめも大好きだ」とも言っている。
これを読むと日本の「犬追物」などとても動物愛護の精神に富んでいると思えてしまう。これは、円形の馬場の中に犬を放し、騎馬武者が矢を射かける武士の鍛錬のためのスポーツだが、先が平らな鏑矢の一種を使い、音は派手だが犬は死なない。犬にしてみればドッジボール感覚だったりして…。まさかね。
本書では残虐なスポーツの印象があまりに強いが、ほかにも奇妙なスポーツをいろいろ取り上げている。片足跳び競争、ポールシッティング(ひたすら竿の上に座り続ける)など、ばかばかしくて呆れてしまうゲームや、オートポロ、バルーンジャンピングなど危険極まりないスポーツもある。オートポロは馬の代わりに自動車に乗ってポロ競技を行うもので、車同士衝突するわ、ひっくり返るわ、押しつぶされるわで、これ以上選手の命が危険にさらされるスポーツはないといわれるほどだった。
なんで人間はこんな奇妙奇天烈なことを思いつくのか、ぞっとしたり、抱腹絶倒したりしながら読んでいるうちに、待てよ、ホイジンガ先生が何か言っていたなあ、と思いだす(『ホモ・ルーデンス』)。
ホイジンガは「遊戯」の定義について、「有り余る生命力の放出、先天的な模倣本能、競争本能、人間の有害な衝動を無害化する鎮静作用、満たされなかった願望を虚構によって満足させること」、などを列記したあと、これらは遊戯の部分的な定義にすぎず、遊戯の本質は「面白さ」だという。遊ぶのは人間だけではない。猫や犬だって生まれた時から遊んでいる。つまり遊戯は、ほかの根源的な観念に還元できない、理性を行使するだけの存在以上のものである。肉体的存在の限界を突き破っているのだ、と。つまり、遊戯とは結局非合理なものであるということになる。
また、ホイジンガは、現代のスポーツはまじめになり、厳重な規則に縛られ、記録はどんどん伸び、組織化と訓練が絶え間なく強化されつつあり、本来の「遊戯」という側面が失われてきたと指摘する。プロ化するスポーツはもはや遊戯領域から遠ざかってしまったのである。
この本に描かれている「変なスポーツ」の数々は、私たちがイメージする現代のスポーツ――フェアで健全で克己的――以前の原始的で本能的な本来の姿をとどめているといえるのかもしれない。