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#007 祖母の作業場 香りが映し出す光景

今日もあの香りがする あの香りはわたしにとって当たり前のものだ 特別好きでも嫌いでもない ただ祖母が作業している それを知らせる香りだった


雪国にあるわたしの実家は三階建で一階が車庫 二階と三階が居住フロアになっていた 二階の玄関にアプローチする階段は近所では緑の階段と呼ばれており 雪で滑りやすくなるのを防ぐために 階段全体が人工芝風のマットで覆われていた 学校から帰ると緑の階段を駆け上がって家に入り そのまま家の中を横断する廊下を裏庭側の突き当たりまで進む 洗面所の右手にある扉を開ければ薄暗い階段が下へ伸びている その薄暗さは子供のわたしにとっては少々進むのをためらうものだったが あの香りが階段の下へと誘う 

「やっぱりここだ」

その香りで祖母が下にいることを確認するとゆっくり階段を踏む 先ほど緑の階段を駆け上がったばかりなのに また同じくらいの段数を降りていく 途中で物音に気付いた祖母が声をかけてくる

「おかえり」 

両親は共働きだったため学校帰りにわたしにこの言葉をかけてくれるのは祖母だけであった


祖母はよくここにいた 車庫の奥のスペースで裏庭につながる場所 薪ストーブや大きな冷凍ストッカー 畑仕事用の道具などもあった ここが祖母の作業場である

わたしは祖母に帰宅したことを知らせると また二階に上がり夕飯の時間までテレビを見たり宿題をしたりして過ごすことが多かったが 時々祖母の作業を眺めたりもした

パチパチと音を立てる薪ストーブの上には 大きな金色の鍋が置かれていて あの香りはそこから白い湯気とともに舞い上がっている わたしの視界を行き来する祖母の動きには一切無駄がない 働き者という言葉がぴったりな人なのだ 

祖母は料理が得意だった 身内だからとかではなく本当に上手だったと思う 彼女の料理で育ったわたしは幼い頃から肉より魚が好きだったし 母が作るたらこパスタより祖母の煮付けが好物だったのだ 

人をもてなすのも好きだった祖母は度々作業場でこしらえたものを人に配っていた 祖母の作るそれには定評があって 家にはそれを引き取りにくる人がしょっちゅう訪れた そして皆が同じことを言う

「おいしいおもち ありがとう」

祖母が作業場でこしらえるそれはおもちである あの香りの正体は白い皮をまとったあんこなのだ

まだ熱々の白い皮を働き者の祖母は素手で操り じっくり丁寧に炊き上げられたあんこを手早く包んでいく そして表面にほんの少し焼き目をつける それが祖母のおもちだった

祖母のおもちは確かに美味しい でも子供のわたしにとっておやつがこのおもちでは納得できない だから出来上がりを待ちわびることも 仕上がりに感動することもない 本当にただそれは祖母の作業だという認識でいた



あんこを炊いてみよう とふと思ったのはおよそ2年前 たまたまSNSで見つけたごま団子のレシピ 中華圏のスイーツとしても知られるあのごま団子をたこ焼き機で作るというレシピだった 面白そうだと思ってやってみることにした そこでなんとなくあんこも自分で炊いてみようと思ったのだ

祖母の作業は何度も見たことがあるのに最初から最後まで目を離さずに見たことはないから 祖母の炊き方は知らない すぐに聞くこともできなかったのでネットで炊き方を調べてその手順に従った

作業が進むと当然 あの香りが漂う 懐かしいあの香りだ あの作業場と祖母の姿が目に浮かぶ 薄暗い階段 薪ストーブの上に載せられた大きな金色の鍋 白い湯気があの香りのいく先を映し出す 昔何度もぼんやりと見ていたあの光景だ

その光景からイメージされる仕上がりは完璧だった 初めて自分で炊いた目の前のあんこ いよいよその仕上がりを確認しようと味見したとき 完璧だったはずのイメージは一瞬で崩れ去った 

「ちがう」

もう何年も食べていない祖母のあんこ それでも今口にしたあんこの味がかけ離れたものだということはすぐにわかった あんこってのはどうやら奥が深いらしい 今すぐにでも祖母のもとで修行したいと思った

しかし日本に帰れない日々が続いていて 結局あんこ修行はできないでいる それでもあんこ職人の祖母を持つプライドからか 日本に行けないこの期間もじっとしていられず その後も何度か挑戦した 母に頼んで日本産の小豆を送ってもらったりもした 母にはおばあちゃんの仕事は何一つ真似できないと言われた それはつまりあの味は祖母にしか出せないということである そんなことはわかっている 過去に何度も煮物や常備菜で祖母の味を再現しようとして失敗しているのだから 再現とは言わない せめて祖母の背中が見えるところくらいまで行きたい 祖母は数年前に手を痛めてからあまり作業をしなくなったそうだが 次回の帰国時にはなんとしても修行させてもらいたい 

今は自主練に励むのみ 時々腕試しに友人にも配って食べてもらったりもした 嬉しいことに美味しいと言ってもらえた 娘もおしるこにしてあげると喜んで食べる 

とはいえ未だに納得の出来にはならないし 毎回仕上がりは違う それでも諦めずに挑戦するのは あの香りから浮かび上がる光景が恋しいのだろう


祖母の作業を知らせるあの香り

今はあの香りが好きだ 間違いなく特別な香りだ 





https://anchor.fm/-95203/episodes/007-e1crin6

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