#036 未来を語る人
普段自分が発する言葉の割合は 過去 現在 未来 どの部分が多いのか考えたことがあるだろうか
人との会話で話題になっているのはどの部分が多いだろう
そんなことを考えたのは友人と未来を語ることがあったからだ
20代をがむしゃらに走り抜いたわたしたちは 今自分の在り方や未来を模索している
この台湾という土地で妊娠出産を経てできた友人のほとんどは いわゆる「ママ友」と呼ばれるべき類だが 話題が子供だけに限定されてしまうのは少々寂しい 過去の思い出を共有したり 今はまっているものなんかを紹介し合うのもいい でも未来の話をする機会があるだろうか 子供の将来のことではない自分自身のことを
5年後10年後もっと先でもいい 自分がその時どうなっていたいのかを考えることはあるか なんとなくでもぼんやり描くその未来の方向に足先は向いているのか
10代の頃は未来しかなかった 自分がどんな大人になりたいのかを嫌でも毎日のように考えさせられ そのさきに向かうように言われた あの頃思い描いた大人にはなれたのだろうか なれた人もまだなれていない人も 今の自分が描く未来の自分はどんな姿なのか考えてみるのはどうだろう
友人の未来の話はわたしのそれよりももっと具体的で 彼女は越えなければならない壁もしっかり捉えていた そしてそれを越えていくための策も考え始めている
自分がやりたいことと 自分にできることには距離があったりする だからこそ一人だけでやろうとせずに進めていく力も必要だと気づいたのは最近のことだ
友人はそのことも理解していて それでいて決して近道しようとせずにしっかりと石垣を積もうとしていた
長い時間をかけて何かに挑戦していくことはとても怖いことだ 社会の時計というのは時間の一定性を疑いたくなるほど無情なのだ 少なくともわたしたちはそのことを理解できるほどには大人になっている
それでも逃げずに向かおうとする人の未来は きっと明るいはずだ
自分はどうだろう
わたしは確かに今未来の自分のために新しい挑戦をしようとしている時ではあるのだが 彼女のように未来の景色が見えているわけではない
今の自分がどんなことに興味を抱いて 未来の自分にどんなことを期待するかということはわかっていても 未来の自分がどうなっているのかはまったくわからない
今の自分の熱量が未来に伝わらないかもしれないし むしろその可能性が高い
今興味があって挑戦しようとしていることが未来の自分にどんな力を与えられるのか 何もかも未知数で こんな自分になっているのもいいな と思う姿はいくつか描いているけど 理想の自分の姿をまだはっきりと描くことができてはいない
ただそんな状態でさえ これから向かう先のことを友人に話すのは楽しかった 友人の話を聞いて 自分も頑張ろうと思えたし お互いの未来が楽しみになった
変えることのできない過去を語るよりも いくらでも変えられる未来に挑戦していたい もっと未来の話をしていたい そんな風に思えた
恥ずかしいと思うこともあるかもしれない でもこんな風になりたいって未来を語り合える友人がいたら それはなんて素敵なことだろう
あなたが望んで描く未来なら わたしは決して笑ったりしない その未来が輝くように心から応援したい
未来を語る人たちがより自分の未来を信じて進んでいけますように
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