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#053 貧乏舌は短所なのか

わたしは自身が貧乏舌であることを認めている 基本的に何かを食べて まずい と感じることはあまりない 辛口な口コミを読んでも 自身はそこまで酷さを感じないことが多い すごく美味しい とはならなくても大抵のものは「可」である もちろん元々苦手とするものを除いて


何を食べても美味しいというわたしの感想は きっと信用に足らないのでプロの方の味見役にはなれないだろう しかしモチベーションが下がっている時ならそれをあげることはできるかもしれない 

自分の料理に関してはどうも美味しいとは思えなくて モチベーションも上がらないし 全く上達しない

少し前まで貧乏舌ってやっぱり損なのかな と思うことが増えていた 30も過ぎてそれなりに大人だというのに味覚が貧困状態というのはいかがなものかと

そんな時期に一時帰国をして日本のものは本当になんでも美味しいと思った イメージ通りの味ばかりだ 最初こそ味付けが濃いように感じたけれど 数週間も過ごしていれば当然のごとく慣れてしまう

ある日母親とチェーン店の回転寿司で食事をした時のこと わたしはメニューにアジの握りがあるのを見つけて注文することにした 台湾にも日本の回転寿司チェーンが進出しており時々家族でいくのだが光物のネタは少ない きっと台湾人からすれば定番のマグロやサーモンに比べて馴染みがなく好んで食べる人は少ないのだろう そのうえ足がはやいとなれば利益は見込めない 実際の理由はわからないがわたしはこの時 台湾であまり食べられないネタをメインに食べようと考え まず目に止まったアジを注文したのだ

アジの握りは母親も好物でふた皿頼んだ 手元に届いてから口に運ぶまで特に会話はなかった 一貫食べ終えると 少し早く食べ終えた母がわたしにこう聞いた「このアジどう?」わたしは嫌な予感がした 母はグルメというわけではないのだが いつからか寿司やラーメンなどに関して好みが出てきたようで素直に美味しいということが減ってきた わたしは 「また始まった」 と思い母に口を挟まれないように早口で返す「わたしは普通に美味しいと思う ていうか久しぶりの日本だしなんでも美味しい 普段いいお寿司食べてるか知らないけどもうちょっと気持ちよく食べさせてよ」と

この時わたしは気付いた 外食中に母がイマイチと言うたびに自分が貧乏舌だと言われているみたいだし せっかく作ってくれているのに と少々不快な気持ちになる  もちろんこれは違いがわかるとかいう話ではなく 好みの問題であることはわかっている それでも好みの店じゃなくて申し訳なかったとも思うし 一緒に食事をする楽しみがなくなることがとても悲しいのだ 一緒じゃなくても母親が行ったことのあるお店に行ったと報告したときにもそのお店好きじゃないとか言われるとため息が出る

そう考えたら貧乏舌って最強じゃん!なんでも美味しいって楽しめるって幸せなことじゃん!なんて思えてきて 美味しそうに食べる人の方が一緒に食事してて楽しいし 案外これは自分の長所じゃないか?とそう感じ始めた

それから万が一好みでなかったとしても表現には気をつけたいなと思う なんてこんな書き方をしてやんわりと母親を否定しているあたり 表現には気をつけた方がいいと思う


*貧乏舌とは
何を食べても美味しいと感じ、味覚が鈍感な人を指す言葉

類義語バカ舌は美味しいものを美味しいと感じなかったり、誰もが美味しくないと評価するものを美味しいと感じたり、味覚がズレている人を指す言葉とされている


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