取材のあとの、帰り道
北海道で書いていてよかったなぁと思うことは、たくさんあるのですが、その一つに取材後の帰り道があります。写真は、すごく久しぶりだった取材の帰り、ほくほくした気持ちで、ぜんぶの境界線がまっすぐな景色を眺めながら帰った日です。十勝は、北海道は、どんな日も変わらず広いです。
北海道は広いから、会いに行くのも、帰ってくるのも、時間がかかります。それでも私たちは、雨の日も晴れの日も、コツコツ車を走らせて、会いたい人たちに、会いに行きます。その人たちは、街外れや、森の奥や、畑の中で、いつだって快く、時間をとって、待っていてくれます。そのことだけで、こんなにうれしいこと、伝わっているでしょうか。
会いに行く間のどきどきやそわそわは、最初の頃と今と、そんなに変わっていません。時間通りに着くかという基本的なことから、ちゃんと話を聞けるだろうかとか、写真はどんな風がいいだろうかとか直前まで考えてしまって、いつまで経っても慣れません。
けれど流石に私も成長していて、その昔はできなかったことを、今では楽しくやれているなと気づきました。それは、立ち話みたいに取材すること。最初の頃は、座って、向き合って、「さぁ、話しましょう」みたいな雰囲気じゃないと、聞けなかったんです。今は、「じゃぁ、パンでも食べながら」なんてことが随分増えました。大事なことは、何気ない時間の中に詰まっているような気がしています。
そして、取材してるっていうよりは、会いたい人に会いに行って、話をするという感覚です。これは良くないのかもしれないけれど、特別な質問とか、インタビュー術とか、そういうものもなくて、聞きたいことや思ったことを投げかけて、受け止めて、その繰り返しです。編集者らしいかっこいいことが書けたらよかったけど、普通に、いつも通りに、そこにいます。
そうやって、話を聞かせてもらって、一緒に過ごさせてもらう中で、いつも私のほうが、やっぱりうれしくなるんです。気持ちがうれしさで、満たされていく感じ。ほくほくして、じんわりする。帰り際の「記事、楽しみにしてます」に、背筋がしゃんとして、よかったなぁよかったなぁって気持ちになって。このうれしさの理由はなんなのか、上手く言葉にできないけれど、それが確かな原動力になっていることだけ、今は知っています。
あぁこれだっていうキーワードは、話を聞いている間に見つけていて。広くて長い帰り道に、いっぱいになった気持ちをさまして、ノートの中のキーワードが一つの軸になっていきます。文章の終わりか真ん中は、大体帰り道に、頭の中で少し書いておきます。不思議だなと思うのは、たとえば記事の内容が最初の構想と変わっても、その軸だけは変わらないこと。書いている途中、よく迷ったり止まったりしちゃうけど、軸があれば大丈夫です。
頭の中で書きながら眺める、車窓からの景色はいつも広くて静かです。こんな景色の中で、誰かに会いに行って、書いて、本を作る。それを仕事にできているって、どれほど幸せなんだろうって、最近よく考えています。もっとちゃんと伝えられたらいいのになって思うから、書いています。やっぱり発行日は、特別な気持ちになってしまいますね。また、大事な号ができました。