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自分のための料理

朝の台所でコーヒーを淹れたり、お弁当をつくったりしながら、朝ごはん用のかぼちゃ蒸しパンをせいろで温めようとしたときに、自分の中にある余裕を感じてうれしくなった。

膨らまなかったかぼちゃケーキ

今の会社に入って8年目の秋。この時期は繁忙期なので家事については潔くあきらめて、ある程度の外食もコンビニも良しということにしてきた。それが今年は週末に蒸しパンを作って冷凍し、平日の朝にせいろを取り出すくらいには生活をあきらめていない。

先週末は、畑でとれたじゃがいもを使ってコロッケを作った。じゃがいもを茹でたり、つぶしたり、まぶしたり、丸めたり。揚げるまでの工程が多いし、揚げた後の片づけもひと手間。だから私の中では、本当に気分が乗ったときに作る特別なひと品。この秋は、そんな特別もきちんと味わえている。

秋の気候も料理に向いているのだと思う。夏は暑すぎてサラッとした料理しかできなかったけれど、今は煮込むことも揚げることもできる。休みの日に窓から入ってくる気持ちのいい風の中、切ったり、炒めたり、煮たりしているとき、たまらなく幸せな気持ちになる。

大きな野菜を料理する楽しさに気づいた

それでついついあれこれ作りたくなって、今冷凍庫は下ごしらえした野菜やスープなんかのストックでいっぱいになっている。近々また忙しさの波がやってくる予定なので、それを見越してなんでも多めに作っておいた。

コロッケも、揚げる前の状態と、じゃがいものペースト(に炒めた玉ねぎを加えたもの)両方が眠っている。今度はそれほど手間なく揚げたてコロッケが作れるのはうれしいし、牛乳か豆乳が余ったらさくっとポタージュにしようと思う。冷凍ってすばらしい。食べる楽しみごと、とっておけるのだから。

後日コロッケはお弁当の主役になった

いつもの秋と比べたら確かに余裕はあるけれど、あたりまえに楽ではない。朝起き上がるのがつらい日も、心身共にくたくたになって帰る日も、立ち行かなくなってしまう日も、全然減らなくて時々折れそうになる。

でもそういうときに、料理をしよう、と思える気力が今はある。やりきれなくなったときに立派なゴボウをいただいて、夜な夜な炊き込みご飯を作って食べた。悲しい気持ちになったときに、蒸しパンを作ってたくさん食べた。くたびれた休日に白菜をひと玉買ってきて料理したら、気分が少しすっとした。

自分で作る料理に、革新的なものはない。だけど自分で作るからこそ、何かを増やしたり減らしたり、「いい加減」にやればいい。そうして手を動かして食事の支度ができたとき、作る前よりは何かが必ず前進している。料理が解決してくれるものはないけれど、少なくとも、温かい料理を食べて落ち込むことは絶対にない。

トマトもそろそろおしまい

得意料理は、煮込み料理か蒸し料理。手際の良さが必要とされる炒め物はやや苦手。揚げ物はより苦手。卵焼きがうまく作れないから、お弁当にはいつもゆで卵。冷凍して安心し、そのまま眠らせてしまうこと多々。パンもケーキも、なんだかいつもうまく膨らまない。

今年挑戦してみたいのは、かたまり肉で作るポッサム。畑のニンジンが豊作なので、キャロットケーキも作ってみたい。あと赤くなりきれなかったトマトでチャツネを作るといいと本で読んでやってみたいけれど、必要な材料が多くて諦めそう。がんばれたらやってみたい。

時間がない日の名もなき料理たち弁当

ベースが不器用だし、がんばれない日も多いし、きれいな作り置きも作れない。毎日きちんとじゃなくていい。自分が安心するだけの、それなりに健やかでいられるだけの、自分のための料理をあきらめない。

まずは冷蔵庫にある白菜がしなっとしないうちに使い切ること。段ボールに保存したじゃがいもの芽が出ないうちに食べたり、おすそ分けすること。作ってみて凍らせたままのバジルソースを、おいしく食べきること!

自分のための料理たち、人に見てもらうための写真ではなかったけど記録用に載せました。ちょっと恥ずかしいので、いろいろ大目に見てください。でも、これからも時々撮っていこうと思いました。

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