忙しさの肯定
窓を開けたときの風があまりにも清々しくて、初夏だと思いました。この時期の季節の進みは目まぐるしくて、足並みを揃えられないときがある。6月の始まりの週末、やっと季節の進みと自分の足並みが揃いました。
5月の連休明けからずっと、物理的にも気持ち的にも追われていて、喉のところにいつも心配ごとがあるような、意識しないと深呼吸を忘れてしまうような、そういう日が続いています。
そういうときにできる対処法は、ひとまずゆっくり息を吐いてみるとか、胸のあたりをトントンと押さえてみるとか、なんとも心もとないものですが、やるとやらないとでは違うというか。「焦ってますね」と自覚することは、ほどほどに大事なような気がします。
語弊があるかもしれないのですが。そもそも編集業をやりながらゆったり暮らすということ自体が、現実的ではないのかもしれません。
アポどりをして、取材に行き、記事を書いて、校正をする。しかも、ここは北海道。取材に行くまでに4時間かかるなんてことは、日常茶飯事。だからこんなに楽しくて、だからこんなにハードだったりします。
とくにこの5月は、取材に行きながら次の出張予定を組みつつ、目の前の〆切に間に合わせるみたいなことをしていたので、なかなかハードでした。(まだ渦中にいますが、一段落したということにしている)
少しだけ変わったのは、忙しさを肯定できるようになったこと。昔は自分の力不足で忙しいのか、本当に忙しいのかがわからなくてよく悩んだけど、今はそういう悩みはほとんどありません。心の中で「がんばってるよ〜」とつぶやけるようになりました。
数年つづけてみても忙しいと思うなら、それは十分忙しいと言えるのよ。という強い心をもって、いろいろなことがままならない日々を送っています。
それから、ある程度「この原稿に何時間」「あの作業に40分」「つまり4時間分足りていないなぁ」という風に具体的な遅れがわかるようになって、闇雲に慌てないようになりました。
といっても、遅れていることに変わりはないし、仕事というのは予期せぬアレコレが起こるものなので、いまだにあわあわしている日のほうが多いのも事実ですが。それがそうずっとは続かないこと、いつかは乗り越えられることを知っています。
そんなことを書きながら、今日も今日とて息詰まっております。でもそんな中でも明日の取材がたのしみで、今書いている原稿を仕上げるのがたのしみ。建前じゃなく本音で思っているのだから、本当に幸せなことですね。
例によって、少しでも早く原稿を書いたほうが良い夜ですが、気持ちに風を通したくなって書きました。写真は先週の日曜日、取材終わりに公園でパンを食べたときのもの。
前の号の取材のときに、「麦畑の中を風が走っていく光景がたまらなく好き」というお話を聞いてから、緑の中を抜ける風をみるのがもっと好きになりました。
前回の取材期間に思ったアレコレも、文字にできたらいいな。明日は今回最後の取材です。ちゃんと聞いて、ちゃんと撮れるようにがんばりたいです。