センチメンタル

先日とてつもなくセンチメンタルになってしまった。

嬉しい気持ちや、悔しい気持ち、悲しい気持ち、寂しい気持ち、いろんな気持ちが溢れ出てしまい、故のセンチメンタル。
一人自宅で感情的になって大粒の涙がポロポロとこぼれ落ちてきて、集めて小さな海にしてメダカが飼えるんじゃないかなってくらい。


涙をこぼしながら私の口から飛び出てきた言葉が「ただ普通に幸せになりたかっただけだよ」の一言。
そこで「はっ」とし、何?普通の幸せって?

今の私の幸せは普通ではない幸せなのだろうか。
ここまでの人生私は私の思い描いてきた自分を生きてきたはずだったけど、潜在意識の中の私はそうじゃないよって叫んでいたのか。

決して今現在幸せじゃないわけではない。
じゃあ満足言っているのかと言われると、そうでもない。
それは不幸とは別問題で、ここからは自分の努力次第でどうにでも転べる人生の選択肢なだけで、不幸ではない。
あの日の私の「ただ普通に幸せになりたかっただけだよ」がもつ意味は一体…。


結婚したら幸せ?
子供ができたら幸せ?
バリキャリでしっかり稼いでキャリアを積んでいくことが幸せ?
好きなことできるのが幸せ?
心地いい場所にいることが幸せ?
苦労がないことが幸せ?
お金が沢山あれば幸せ?

全部幸せだし、全部手にしたいものかもしれない。だけど全てを手にすることは難しいと私は感じる。
それは努力が足りないからではないと思う、だって全てを手にしても次の欲求が生まれてきて、また新たな不満が生まれる。
結局一生続く。けどこれが悪いことではないし、そうしてモチベーションにして目標にして頑張れたりするんだと思う。

そうわかっているけど、ないものねだりで、自分は何も持っていない気持ちになってしまって、センチメンタルが加速。

何が幸せかは分からない。
ただ、本当にどんなに辛いことでも、
それが正しい道を進む中の出来事なら、
峠の上りも下りもみんな、
本当の幸せに近づく一歩一歩になる。

宮沢賢治 「銀河鉄道の夜」 


偶然にも幸せについて考えていると、目に入った文章。
何が幸せかはわからないと言っている。
人生には『幸せ』と『不幸』の二択しかない!というわけではなくて
失敗や成功、不幸を味わいながら、最終到達地点に幸せがあるだけであり、どちらを選んだからダメだ、どちらを選んだから正解だと言うわけではないと言うこと。

短絡的に今この瞬間だけを見ると、とてつもない不幸が起きたとしても、それはいつかの幸せの種であること。
それを思うと、私のただ普通に幸せになりたかっただけなのにも、いつか訪れる未来をただ今は創り上げている途中なだけと思いたい。

こんな気持ちになったことを私は恥じたり、哀れんだり、嫌になったりはしない。
ただそういうタイミングだった。それだけ。


いつかの理想の幸せまで歩みを止めないだけ。
それでいいじゃんね!って思ったらセンチメンタルも愛おしい。

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