大臺神楽闇夜 1章 倭 3高天原の惨劇7
三佳貞達が中集落に到着する少し前…。泓穎達は別れた部隊と合流していた。総勢一万四千…。と、言いたいが倭兵、秦兵共に僅かな戦死者を出しているのでもう少し少ないはずである。其れでも高天原に残る八重兵と民を合わせた数の十倍以上はいる。不慣れなゲリラ戦で相手を翻弄して来た八重兵ではあるが王嘉の策によりその全ては炭となり塵となった。
泓穎は余裕の笑みを浮かべクスクスと笑っている。三佳貞達が中集落に立ち寄ったなら絶望を感じているだろうと思うと可笑しくて仕方なかった。其れに既に八重に策は無い。泓穎はそう考えている。何故なら鹿目である美佐江が既にいないからだ。
否、安心はまだ早い。まだ三子の娘達がいる…。だが、あれだけの山火事の中で合流出来たとは考え難い。仮に合流出来たとしてあの火事の中で何が出来るのか ?
何も出来やしないのだ。
泓穎は更にクスクス、クスクスと笑う。
「帥升…。何がそんなに可笑しいのです ?」
後続からやって来た項雲が問うた。
「なに…。三佳貞がの…。あは、あははは…。み、三佳貞があのババアの首を…。」
と、泓穎はケラケラと笑う。
「そ、そうですか…。」
項雲はどうも此の蘭泓穎を好きになれない。否、平然と人を食らっていた倭人を腹の底から悍しいと感じた。
確かに腹は減る。其れでも人が人を食らったりはしない。否、最終最後の選択として其れはあるのかも知れない。だが、其れは最後の…。本当に最終最後の選択である。其処に至る迄に本来なら出来る限りの事をする。草を食ったり、虫を食ったり…。馬を食う事も出来る。
だが…。
倭人は迷わず八重の民を食らった。
首を切り落とし、血を抜いて腸を取り除き…。其れはあたかも家畜を捌く要領で平然とやってのけていた。しかも、切り落とした首を山の様に積み上げ、掘った穴の中に腸を捨てる。其の光景は何とも異様であり、此の時も蘭泓穎はクスクスと笑っていた。
何がそんなに楽しいのか ?
蘭泓穎はケラケラと首山の前に杭を突き刺し、その杭に美佐江の首を突き刺さし更にケラケラと笑う。
人としての感情が無く。
人としての常識が無く。
人としての思いが無く。
項雲の目に映るは人の形をしたまったく別の生き物であった。正に鬼である。
しかも蘭泓穎はあろう事か死体からチンコを切り取り美佐江の口に押し込んだ。其れも一本ではない。何本も切り取り其れを美佐江の口の中に無理矢理押し込んでいたのだ。その姿を見やり蘭泓穎はゲラゲラと腹を抱えながら笑っていた。流石に其れは大将軍である陽が嗜めやめさせた。が、恐らく此れが倭人の本質なのだ。
先代の帥升は心穏やかであり、我等に対しての敬意を持っていた。だが、蘭泓穎は違う。人を虫ケラの様に思っている。
否、人を喰らう倭人を見やり、蘭泓穎も他の倭人も矢張り同じ種族なのだと知る。其れを目の当たりに麃煎達は気分が悪いと吐きに行っていた。
当然である…。
如何に敵であろうと其処に敬意が無ければただの畜生である。しかも、腹が減ったからと食ってしまうなどもってのほか…。畜生であっても其の様な事はしない。
何が神だ…。
項雲は改めてそう実感した。
「フフフ…。其れより何用ぞ ?」
楽しそうに泓穎が問うた。
「いえ…。我等が先に進んだ方が良いかと思い。」
「構わぬ。其方らの働きは迂駕耶に着いてからで良い。其れに此の様な戦は不向きであろう。」
「不向き…。と、言う事は何か策がお有りなのですか ?」
「策と言う程の物では無いが…。有る。」
と、泓穎は部隊の進行を止めた。
「さて…。見ておるがよい。」
と、泓穎は項雲を見やる。
「分かりました。」
と、言われるがまま項雲は後ろに下がった。
トボトボと戻って来る項雲を見やり麃煎と王嘉は溜息一つ。楊はクスリと笑った。
「笑うな…。」
項雲が言った。
「だから無理だと言ったでしょう。」
楊が言う。
「そう言うな。少しでも多くの民を逃したい気持ちは同じだ。」
麃煎が言った。麃煎達は一人でも多くの民を助けたいと項雲等を交え思案していたのだ。兵士である以上、八重の兵を殺す事に躊躇いは無い。勿論殺さずに済むならそうしたい。自分達の計画を進めるには八重の協力が不可欠だからだ。だが、人質を取られている以上どうにもならない。李禹が接触した三佳貞にはどうにもならぬと一蹴されている。
確かにどうにもならぬのかもしれない。話は迂駕耶に辿り着いてからなのかも知れない。其れでも民を殺す事には賛成出来ないと言うのが本音である。
戦うのは兵士であり、民では無い。民は国力であり糧である。民無くして国は成り立たず。例え侵略に成功してもその国の民がいなければ、その先に得る事が出来る物が何も無いと言う事になる。
つまり、麃煎達にとって民は宝なのである。
だが、その様な事は関係無いと言わんばかりに蘭泓穎は皆殺しにするつもりなのだ。平気で人を喰らう蘭泓穎の言葉を大袈裟に取る事は出来ない。蘭泓穎は間違い無く高天原に住む島民を一人残さず殺し、八重の民も皆殺しにする気なのだ。
そうなる前に…。
なんとかして繋げたい。
三佳貞が迂駕耶に伝えに行ってくれればと願うが、李禹の話から其れは無いと王嘉は断言している。なら、民を迂駕耶に逃す事が出来れば繋げるかも知れない。そんな事を麃煎達は一月もの間話し合っていた。
だが、倭族が主とし秦兵が後方で見ているだけとなると何も出来ない。下手に動けば悟られる危険がある。麃煎達を此処に連れて来たのも反乱をさせぬ為、つまりは信用していないのだ。特に蘭泓穎は疑り深い。ジャンク船に三子の娘が乗っていた事も項雲の手引きだと考えている位なのだ…。そして、先代を殺されその疑念は更に高まっている。
正直、困った。
何とかして前線に出たい。
だが…。
蘭泓穎は自分が指揮を取り島民を殺したいのだ。楊は何を持ってしても無理だと言った。例え良策があったにせよ。自分達を前線に出す事は無いと言いはっていた。其れには王嘉も司恭も同意見であったのは確かである。だからと言って諦める事は項雲と麃煎には辛かった。
「確かに…。あの様な光景は二度と見たくはない。だが、ら…。今の帥升に何を言っても無駄なのは明らか。」
「楊の言う通りだ。鬼に人の考えは通用しない。」
「大将軍…。何を言われたのです ?」
麃煎が問う。
「此れと言って…。だが、楽しそうだった。今から戦を始めると言うのに…。」
「楽しそうでしたか…。」
と、麃煎が言った所で大筒がなった。泓穎が部隊に指示を出したのだ。その音に合わせる様に倭兵は五人で一組の隊を作り山の更に奥に入って行った。
「何とも…。妙な策だ。」
項雲が言った。
「否…。流石は帥升と言った所です。」
司恭が言う。
「部隊を小分けにしてどうする ? 八重にはまだ千程の兵がいるはずだぞ。」
「消し炭になったとは言え。崩れ落ちた木々や岩や石等が行手を阻んでおります。こうなると大部隊での移動は伝達が思う様に行かず全滅の危険性が高まります。しかも、相手は罠を持って我々を待ち受けている。だったら尚更部隊を細かく分けるが良策。」
「しかし…。罠は既に消し炭だろう。」
「さて…。罠は仕掛けるだけが罠ではありません。」
と、司恭は蘭泓穎を見やる。泓穎はニヤニヤと笑みを浮かべ其処にいる。大将軍である陽も動く気配は無い。泓穎の周りには恐らく千の兵が動かず待機している。
状況が分からぬ以上動く気が無いのか ? 何かを待っているのか ? 兎に角先陣を切りたがる泓穎は静かである。
「八重は逃げずに向かって来るのかのぅ…。」
泓穎が言った。
「さて…。川を下り既にもぬけのからか。自暴自棄になって襲い来るか。」
陽が言う。
「三佳貞はおるのかのぅ…。クス。あは…。あのババアの首は見よったかのぅ…。あははは…。」
「お…。いや、帥升。勘違いをするな。確かに我等は怒っている。だが、好んでしているのでは無い。我等は穏やかに下の世に関与せず、その牙を封印して来た者。ーー然れど、八重は其れを良しとせず、先代に刃を向け、この地にて先代の命を奪った…。その真意は分からぬ。だが、理由がどうであれ許すは世界の乱れに繋がる。」
「だから ?」
「八重国は滅ぼす。だが、人殺しを楽しむは間違っている。其れは我等の同義に反する事…。忘れるな。下の民は奴隷ではないし物でも無い。民無くして国は成り立たぬ。我等を神とする新たな国を建てねばならんのだ。」
「そうか…。正にゆとり大将軍だのぅ。此の状況が分からぬとは…。八重は必死に向かって来ておる。兵も民も皆必死だ。退路を断ち、船を焼き…。我等を此の島に止めるは足止めであろう。既に迂駕耶には数万の兵が我等を待ち受けておる。その様な考えでは間違い無く全滅するは我等の方だ。持って生まれた体に胡座を組んでは殺されるが落ちだぞ。」
「だからと、民を殺す事に意味はない。」
「戦わぬ民なら許してやれば良い。戦わぬ民ならの…。」
と、泓穎はクスクスと笑う。冷たく氷の様な瞳がジッと其の先を見やっている。陽は知っているのだ。泓穎の残酷さも冷酷な所も全てを知っている。先代、つまり自分の母を突き刺した時も泓穎は表情一つ変えなかった。寧ろ笑みを浮かべていた様に見えた。当初は動揺しているのだと陽は自分に言い聞かせていた。だが、今はハッキリと違うと言える。泓穎は笑みを浮かべていた。此れから民を殺せるのだと言う喜びが溢れ出るのを我慢していたのだ。
真逆な事になった…。
当初の予定は我等に逆らう八重国を少し懲らしめる程度だった。八重国の王を処刑し、新たな王を建てる。それだけだった。だから、秦王政が何を企んでいようとどうでも良かったのだ。圧倒的な力の差の前には何も出来ないと考えていたからだ。だから此の島に上陸する予定も無かった。
だから、早まるなと言ったのだ…。
確かにこうなれば泓穎の言う様にトコトンやり合わねばいけなくなる。だが、そうなれば厄介なのが秦国の兵である。泓穎の考えで秦国の太子と民を人質として連れて来てはいるが、其れで安心は出来ない。秦王政は信用に足る者ではないからだ。八重国と同盟を結び裏切る可能性もある。其れに何故か八重の民は西南での出来事を知っている様でも無い。其れは船に乗り込んで来た娘達の言葉からも分かる。
三佳貞達は嘘をついていなかった。
真に知らぬ話…。
何とも不可解である。陽はジッと前を見やり。この何とも言えぬ大きな流れに飲み込まれて行くのを感じていた。
タラリ…。と、汗が流れ出る。
真夏の日差しは日が昇るに連れ激しく照りつけて来る。木々の遮りが無くなった山はただ暑いだけである。陽は汗を拭い泓穎を見やる。泓穎は相変わらずニヤニヤし乍周りを見やっている。
まだ、何も起きない。
何が起きるのか ?
項雲は既に八重は此処にはいないのでは無いかと考えている。砦での合戦、集落での合戦…。八重は非常に頑張ったと言える。だが、力の差は歴然である。確かに虚を突く策は見事であったが其れも此処迄である。策が消し炭になった以上八重に残された道は惨殺されるだけなのだ。
だったら逃げる…。
其れは恥では無い。
生き残るに恥も何も無い…。と、項雲は考える。が、此の様な項雲の考えを打ち消す様に大筒の音が鳴り響く。
「真逆…。まだ戦うつもりか。」
と、項雲は蘭泓穎の元に向かう。
ドンドン ドン ドン ドンドン。
大筒が鳴る。
「帥升…。」
「どうした ? 其方も気になるか ?」
「はい…。私は既に八重は逃げたとばかり。」
「楚の獅子も戦が終わり日和りよったか。」
「え…。」
「八重は逃げぬ。兵も民も…。皆死ぬ気だ。だから殺してやれば良い。一人残らず殺して食らえば良い。ーー項雲大将軍。次は其方等も遠慮せず食えば良い。人は美味いぞ。」
と、泓穎はニヤリと笑みを浮かべた。項雲はその言葉に凍りついた。言い返す言葉見つからずただ冷や汗がタラリと流れ出る。
「しかし…。やけに静かだのぅ。」
泓穎が言った。泓穎が言った様に大筒は鳴ったが戦っている様子は伺えない。八重が攻めて来ている様子も無い。
「あぁぁ…。まだ罠が残っていたか…。」
「落とし穴か ? 其れは困るよのぅ…。」
と、泓穎はクスクスと笑う。
「だったら無駄死にだ。」
「心配はいらぬ。どうせ、隠れておるのであろう。クスクス…。無駄な事を必死にのぅ…。」
と、泓穎は馬から降りると山の奥へとスタスタと歩いて行った。
「帥升…。何処に行かれるのです ?」
項雲が問う。
「狩だ。」
と、言って泓穎はスタスタと歩いて行く。
「万妓炎(まんぎえん)。帥升につけ。」
其れを見ていた陽が万に命令すると万は三人の部下を連れ帥升の元に走って行った。
「良いのですか ?」
項雲が問う。
「何がだ ?」
「帥升をいかせてしまって…。」
「フフフ…。逆に聞いても良いか。項雲大将軍。」
「お、応…。」
「誰が泓穎を殺せるんだ ?」
と、言って陽はゲラゲラと笑った。
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