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大壹神楽闇夜 2章 卑 3賈具矢羅乃姫(かぐやらのひ) 11

 翌日、正妻は五瀨に奴婢の待遇改善を求めた。五瀨は正妻の顔を見るや怪訝な表情を浮かべたが正妻は気にせず訴えた。
「良い加減にしてもらえぬか…。私も忙しいんだ。」
「分かっています。ですが、此れは重要な事です。五瀨が奴婢を消耗品として考えているのでしたら構いません。ですが、もしそうであるならいずれ奴婢は死滅し私達は元の生活に戻らねばならなくなるでしょう。」
「どう言う事だ ?」
「はい。私は昨晩奴婢が収容されている住居を見に行きました。其処には横になって眠る事も許されない奴婢がひしめき合っていました。しかも糞尿もその場にさせ、窓もなく臭気がこもっております。」
「知っている。」
「奴婢は毎日過酷な労働を強いられています。其れなのに横になって眠る事も出来ないでは作業に支障を来たすだけでなく奴婢の寿命を縮めてしまいます。しかも糞尿を住居の中でさせ窓も無く詰め込まれた状態では病が流行る元にもなりかねません。仮に病が流行れば一気に奴婢達に感染し死滅してしまいます。其れは私達にとっても脅威となり、八重存続の危機となりましょう。」
「成程…。其れは一理ある。其れでどの様にすれば良い ?」
「先ず、同じ大きさの住居を三つ作り奴婢が横になれる様にする必要があります。住居には窓を作り臭気がこもらない様にし、体は少なくとも三日に一度は洗わせなければなりません。其れと糞尿は必ず外でさせる必要があります。」
「うむ。分かった。直ぐに改善させよう。」
 と、五瀨は反対するでも無く其れを受け入れた。正妻は五瀨が素直に其れを聞き入れた事に驚いた。
「どうした ?」
「いえ…。反対されるかと。」
「何故 ?」
「何故 ?」
「そうだ。素晴らしき案に反対するは愚者である。其れに私は其方が今の様に前向きに考えてくれる事を望んでいた。とても嬉しく思っている。」
「あ…。はい。」
 と、正妻は素直に笑顔を浮かべた。
 二人の妻が言った妙案をそのまま実行しただけではあるが、正妻自身こうも上手く行くとは思ってもいなかった。
 二人の妻は言った。此れは正妻にしか出来ず、しかも五瀨と正妻の溝が修復されるだろうと…。其の言葉の通り少し打ち解ける事ができた様な気がした。
「さて、では早速皆にこの事を伝え、実行に移そう。」
 そう言って五瀨は住居から出て行った。
 五瀨が出て行くと其れと変わる様に二人の娘が入って来た。
「正妻…。」
「其方達…。」
「どうでしたか ?」
「はい。五瀨は聞き入れてくれました。」
「其れは良い事です。」
「ええ…。其方達のお陰です。でも、これからどの様にすれば ?」
「はい。其れは正妻の住居で話しましょう。」
 二人の妻がそう言ったので正妻は住居を出て自分の住居に向かった。
 今回の事で正妻は完全に二人の妻を信頼した。否、信頼と言うよりも頭の良さに驚かされた。自分がどれだけ訴えても聞き入れようとしなかった五瀨がこうも素直に聞き入れたのだ。しかも、二人の妻が言った様に五瀨との溝も少し改善された様にも思う。それでいてこの二人は驕らず自分達は一歩下がった所にいる。

 成程…。

 五瀨が自分の横に置きたくなる訳だ。

 と、正妻は素直にそう思った。
 そして、三人は正妻の住居に入り次の妙案について話し始めた。
 其れから間も無く新たな住居が作り始められた。元からある住居には新たに窓が作られ、中に溜まった糞は奴婢により外に運ばれた。新たな住居が出来るまでの間は横になって寝る事は出来なかったが奴婢達にとっては少しの我慢だった。何よりあの異様な迄の臭気から解放される事は何よりの幸せだったといえた。
 だが、これで面白くないのは人達である。奴婢の待遇が良くなると言う事は奴婢が少なからず人に近づくと言う事である。奴婢は奴婢だから奴婢なのだ。何より奴婢の惨めな姿を見るのが快感なのだ。
 正妻はつまらぬ事をする…。
 人達はそう思った。勿論裏でワッショイしているのは娘達である。本来なら不平不満がでる改善では無い。だが不平不満が出なければ意味が無い。だから、ワッショイするのである。
 五瀨との仲が良くなっても人の不平不満が強くなれば五瀨は疲弊する。人が正妻を敵視すればする程正妻は奴婢に拠り所を見つけようとする。やがて、改善されかけた仲は強烈な勢いで引き裂かれる事になる。だが、正妻は疑わない。一歩下がって話す二人の妻を謙虚で頭の良い娘だと思い信じている。
 今回の事も自分達ですれば良い事である。其れを自分達ではやらず、其の功績を自分に与え五瀨との間も修復しようとしている。これが他の妻達であれば此処ぞとばかりに自分達を売り込み正妻の座を奪おうとしていたに違いない。 
「でも、あなた達は何故私達の間を取り持つのです ? この妙案にしてもあなた達が行えばあなた達の株が上がると言うもの…。」
 正妻が問うた。
「大切だからです。五瀨様も正妻も私達にとっては無くてはならない存在。」
「そうです。妻として迎えられてから、正妻は私達に良くしてくれました。」
「私は当たり前の事をしただけです。」
「ですが、他の妻達は意地悪な人ばかり。」
「私達は毎日泣いておりました。」
「そうだったのですね。」
 勿論嘘である。だが、正妻は其れを信じ次なる案を実行する機会を待った。
 其れから三週間が経とうとした頃、新たな住居が完成し、其れに伴い奴婢の作業効率は良くなり、奴婢は正妻を見かけると必ず頭を下げる様になった。其の姿を見やり正妻は嬉しくなった。これで少しは奴婢の扱いが良くなると思ったからだ。だが、実際は其れをよく思わない人達からの執拗な罰が更に奴婢を苦しめる事となる。勿論此れは二人の妻達から先にそうなるだろうと聞かされていたので正妻にとっては想定内の事である。だから、人を咎める事はしなかった。
 正妻にとって大切な事は五瀨がちゃんと改善してくれたと言う事、そして次の妙案も間違いなく聞き入れてくれるであろうと言う事である。
 其れから一月が経った頃、正妻は新たな案を五瀨に持ちかけた。五瀨も正妻の改善案により奴婢が以前より働く様になったので心良く其れを聞く事にした。
「私は自分の子を叱る時、罰を与える時…。其れは間違いを犯した時と決めております。」
「確かにそうだ。」
「何故か分かりますか ?」
「理解させるためだ。」
「其の通りです。ですが人は自身の感情だけで奴婢に罰を与えております。此れでは奴婢は何をしても罰を与えられ何をするにも怯えなければなりません。」
「確かにそうだ。」
「此れは作業効率を著しく低下させる要因になっています。罰を与えるのは間違いを犯した時だけにしなければ奴婢は混乱し怯え、自身で考え動く事が出来なくなってしまいます。」
「成程…。確かに。だが、どうすれば良い ?」
「どの様な時に罰を与えるのかを決め、それ以外の時は罰を与えてはいけないと言う取り決めを作れば良いかと。」
「分かった。なら、直ぐに将軍を集め法を定めよう。」
 そして、直ぐに五瀨は法の取り決めに取り掛かった。
 これにより悪戯に罰を与える事が出来なくなった人達は更に不平不満が高まり更に正妻を忌み嫌う様になっていった。だが、其れとは逆に作業効率は更に高まり、五瀨は新たな矢と弓の開発に着手する事が出来る迄になっていた。其の所為もあり人は五瀨に抗議する事も出来ず、鬱憤だけが溜まって行った。
 やがて、人は正妻を狂気の目で見る様になって行く。だが、逆に奴婢達は正妻に感謝し、遠目であろうと正妻の姿が見えると必ず頭を下げて挨拶をする様になった。人は其の姿も気に入らなかったが、正妻に頭を下げている奴婢に罰を与えるわけにもいかず更に鬱憤が溜まった。
 何にしても奴婢の待遇がよくなり、更に作業効率も上がったので正妻は四人の正妻にもこの改善策を勧める書状を送った。武南方の正妻も此れには納得したのか早速其れを武南方に伝え改善する様に勧めた。此れにより四国の国力は一気に上がる事となり、兄弟達は五瀨と正妻の仲が元に戻ったと喜んだ。何より国の人々は奴婢が良く働く様になったのでとても喜んだ。

 そう…。

 人々は喜んだのだ。

 何故 ?

 勿論娘達がそう仕向けているからだ。
 否、仕向けなくとも人達は喜んだであろう。

 だから、五瀨の国で何が起ころうとしているかなど考えもしていなかった。ただ…。ただ、上手く行っていると思っていた。

 だが、現実は違う。
 娘達の所為で歪んでいた。この歪みは人をあらぬ方向に導き、正妻は悪女となった。
 突き刺さる歪んだ視線は正妻を苦しめた。だが、初めこそ人の愚かさに嘆いていた正妻だが次第に人を忌み嫌う様になっていた。人は自分を嫌う者を嫌う様になるのだ。つまり、どれだけ気丈に振る舞っていても正妻も人と言う事なのだ。だから、気がつけば正妻の拠り所は二人の妻と五瀨、そして奴婢となっていた。勿論二人の妻はそうなるのを待っていた。正妻が自分達を拠り所にする…では無く。奴婢を拠り所にするのをである。
「意外に早かったのぅ…。」
 二人の妻の一人が言った。
「予想外の嫌われっぷりじゃからのぅ。」
 片割れが答える。
「なんじゃか可哀想になってきよる。」
「確かにじゃ…。ちと、実儺瀨(みなせ)はやり過ぎでは無いかと思うておる。」
「じゃよ…。実儺瀨(みなせ)は加減を知らんのじゃ。」
「じゃぁ言いよっても本番は此れからじゃかよ。」
「じゃよ…。更に嫌われて貰いよるか。」
 と、二人の妻は次の案を正妻に話す事にした。
 次の案は奴婢に身分を設ける…と、言う事である。此れにより奴婢に罰を与えるのが人から奴婢に変わる事になる。つまり奴婢が奴婢を管理すると言う事だ。人は奴婢の最上位の者に話を伝えるだけで後は勝手に奴婢が働いてくれる。勿論反乱を防ぐ為に奴婢を監視する人は必要だが其れは極小数ですむ。そうなれば人は更に自由な時間を好きな様に使う事が出来る様になる。と、この様な案を正妻に話すと正妻はたまげた顔で二人の妻を見やった。
「なんと…。良くこの様な案を…。」
「気に入りませんか ?」
「真逆…。ですがどの様に身分を決めるのです ?」
「志の強い者を…。」
「志 ?」
「はい。正妻は奴婢の解放を求めているのでしょう。」
「そうです。」
「ですから、志の強い者を頭にしなくてはなりません。その者に正妻の思いを告げ奴婢の考えを一つにする必要があるのです。」
「成程…。その者を筆頭に奴婢の解放を求めさせるのですね。」
「はい。ですが五瀨様には内緒です。」
「分かっています。五瀨には人が更に自由な刻を使える様になると言います。」
「ただ…。」
「ただ…。何です ?」
「人は更に反発するでしょう。」
「確かに…。この国の人は歩むべき道を誤ってしまった。ですが、此れでは私達が忌み嫌う華夏族と同じです。」
「はい。ですから頃合いを見て人にも身分を与えるのです。」
「人にも ?」
 と、此れには正妻も驚いたのか少し大きな声で聞き返した。
「はい。」
「で、でも人に身分を与えるのは…。」
「正妻…。兵士には階級があります。其れは戦で好き勝手に行動させない為です。此れは国も同じ。人が好き勝手に行動するからこの様に無礼な振舞いがまかり通るのです。其れに五瀨様と将軍達で国を管理するには限界もあります。人に身分を与える事により、人が人を管理する様になります。」
「人が人を…。確かに五瀨の負担は減るでしょう。しかし…。」
「正妻…。此れには利点があります。」
「利点 ?」
「はい。情報操作がやり易いと言う事です。身分の高い者に此方が有利になる情報を与え其れを広めさせるのです。つまり、正妻の行いは正しいと皆に分からせる為です。」
「な、成程…。要するに誤った道を歩む人を正すと言う事ですね。」
「そう言う事です。」
「そうなれば奴婢の解放も…。」
「刻の問題と言う事です。」
 と、二人の妻の案に感心した正妻は早速五瀨にその話を持って行った。

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